05 陽子さん 回顧
(誰…?)
日よけの影から現れた男性を見て、昨日読み込んだ貴族録を絵姿を脳内で検索する。
確か、宰相のグランドール…だったかしら。グランドールのことを思い出した頃「先触れもなく、失礼いたしました。アデライーデ様。グランドールにございます」と、挨拶をされた。
「過日、お倒れになったと聞きお見舞いに参りました。お加減はいかがですか?」
「ご心配をおかけしました。大事ございません」
続けて見舞いを言われたので、当たり障りなくそう答えた。
確かに、アポなしで一国の宰相が庶子とはいえ皇女のところに来るのはあまり考えられないわよね。アデライーデはこの宰相に会ったことあるみたいだし、私からなにかアクション起こして面倒ごとになるのは避けたいわ…
アデライーデらしく、皇女らしく振る舞わないと…
しかし、陽子さんがアデライーデになってまだ数日。
話したことがあるのはマリアだけである。知っている知識は貴族録のみ。
この世界の常識、まして王族の常識なんて知りもしない。
どう振る舞えばいい??
陽子さんは、冷や汗を流していた。
対応を間違えれば、「おかしな皇女」のレッテルを貼られかねない。もし仮に陽子さんがもとの世界に戻り、本当のアデライーデがこの体に戻ってきたときにそんな事になっていたら、アデライーデに申し訳がない。
陽子さんは今まで見た海外ドラマや映画の王女や女王を必死で思い出した。前世庶民の陽子さんは一度として本物の王族や皇族に会ったことなど無い。メディアを通してのニュースや映画くらいだ。
陽子…覚悟を決めて!
女優。女優になるのよ!
頭の中で往年の海外の名女優をイメージし、なりきって陽子さんは微笑みグランドールに席を勧めた。
マリアがお茶を用意してくれる間、グランドールは何も言わず、それまでアデライーデが見ていた花壇を眺めていた。
なにか言いづらいことかしら。
まぁ、今なら結婚のことについてよね。相手はバルク国王らしいってマリアに聞いたけど相手が変わったとか…そんなところかしら。
顔を見つめるわけにはいかないので、陽子さんも花壇を眺めるようにして眼の端にグランドールを捉え、さり気なく観察した。
冷たい雰囲気だが顔の造りは優しい顔立ちである。宰相としての長年の気苦労のせいなのか眉間に縦ジワが刻まれている。
渋い感じね…これはこれで女性には人気がありそうね。
見るからに上等な生地で誂えたであろう服をビシッと着こなしている。華美ではないが上品さで本人を引き立てている。そして少しやつれた感がある横顔には男の色気というものがなくはない。装飾品なのか階級章なのかエメラルドグリーンの石がついたブローチを付けていた。
40前後かしら。若いけど宰相だからエリートよね。
眉間に立てジワがあるわ。かわいい顔立ちなのにもったいないわね。苦労が顔に出るタイプなのかしら。
割と失礼な事を思いつつ、マリアが用意してくれたお茶に陽子さんは途端にご機嫌になった。
紅茶だわ!良かった。飲めるものが増えたわ。
アデライーデには悪いが、陽子さんはハーブティーはあまり好きではない。
ファミレスのドリンクバーにハーブティーが備えられた時に全種類試してみたが、辛うじて飲めたのは赤い酸味があるハーブティーだけだった。
今はそのハーブティーの名前すら覚えていない。
アデライーデの好きなハーブティーも全く飲めなくはないが、1杯で十分と思える。
紅茶を味わいつつ、目の前のグランドールについて考える。
(確か候爵で、皇太子時代からの陛下の側近だったはず…先触れもなしに来たってことは公式ではないのかしら。お見舞いだけでここに来たわけではなさそうね。この人はアデライーデの敵なのかしら味方なのかしら…)
そんな事をつらつら考えていると、グランドールが伏し目がちに言った。
「アデライーデ様 お輿入れ先がバルク国王と決まりました」
「そう」
(あら…嫁ぎ先は変わりなく? あ、正式にはアデライーデは聞いてないからだったか…)
グランドールは無表情なまま少し顔を上げ「ご存知でしたか?」と尋ねた。
「いいえ」
(ええ…噂だけどね。 だけど、曲がりなりにも結婚なのにおめでとうございますの一言もないわね)
陽子さんはティーカップを置き微笑んだ。
(まだたった14の子が結婚するのに…お母さんも亡くなっていて心細いのに何も教えない気なのかしら)
少しイラッとしていたが、まだ女優暗示は効いている。
「いつですの?」
「いつとは?」
(いつとは?? 出立の日に決まってるじゃない?辺境の小国に輿入れなんでしょ?)
陽子さんは、苛つくと主語が無くなる癖に気がついてない。
「出立の日です」
「…1月後です」
「そう」
(それだけ?? 出立前にやる事とかあるんじゃない?いくら庶子とは言え皇女の輿入れなのよ。お披露目とかご挨拶とかこの国での披露宴とか!一生に一度の結婚なのよ!)
かなりイラッとしていたが、まだまだ女優暗示は効いている。
(そうだ!お父さんはなにしてるのよ!)
「陛下はなんと?」
「……なんと、とは?」
(!! この宰相もしかして鈍いの?娘の結婚なのよ。普段あまり交流が無くとも、12人子供がいても結婚となると話は別でしょう)
「この輿入れについてですわ」
「…めでたい事と、とてもお喜びでした」
「そう…良かったわ」
(宰相の割に嘘がヘタね)
グランドールが答える一瞬の間を陽子さんは見逃さなかった。
(…何その間。厄介払ができてめでたいってこと?このまま何もなしに当日そっと出立なの?ちょっと待って、最後に娘にあったりしないの?)
アデライーデは、微笑んでゆっくりと紅茶を味わう。
(落ち着かなきゃ…)
そう思って陽子さんはゆっくりと紅茶を味わう。
そうだ!輿入れと言えば嫁入り道具。王侯貴族の娘の嫁入りはその家の財力やセンスを見せつけるものよね。
日本でもお金持ちだけでなく嫁入り道具には実家の紋が染められてたというし、お道具選んだりするわよね。
陽子さんは、気を取り直してグランドールに声をかけた。
「私が用意するものはございますか?」
「アデライーデ様がですか? いえ、輿入れの支度は私が抜かりなくいたします。アデライーデ様には輿入れまでの間、お心安くお過ごしになっていただければ…」
……アデライーデは自分の好みのものすら選べないの?
そう思って、アデライーデの部屋を思い出した。
あのゴージャス無個性なチェックインしたてのホテルのような部屋はこうやって選ばれたのか…
下にも置かぬ待遇ではある。血が通っているようには見えないけど厚遇ではあるから悪意はないと思いたい。細やかな気遣いはないが…
男性らしいと言えば男性らしいか…
ブランド品なら喜ぶだろうとか思いがちよね。
思い当たるフシのある陽子さんは、こめかみに軽い痛みを感じつつ輿入れ先のバルク国の事が気になっていた。
アデライーデがこれから先暮らす国である。辺境の小国と言われているくらいしか情報が無い。少しでも相手国のことが知りたい。
「そう… では、バルク国の資料を用意していただけますか?」
「…資料と…申しますと」
困惑した瞳をしたグランドールを見て陽子さんは、グランドールは宰相としてなにか心配しているのかと思い、誤解を解くべく微笑みながらグランドールに告げた。
「軍事や外交に関わるようなものは必要ありません。バルク国の習慣、風習、風土、地理、歴史や宗教等についてですわ」
相手国の習慣とか知らないと、嫁いた先で苦労するでしょ?と当然の事と陽子さんは主張した。
なぜか、僅かに戸惑いの表情を滲ませたグランドールが
「こう申し上げてはなんですが、バルク国は帝国より遠く資料と申しましても…」
「ふふっ」
貴方は!
14の女の子が!
里帰りもできないような遠く離れた国に1人嫁ぐのにその国の情報も教えないの?!
行った先では何があるかわからないのに!
情報は武器なのよ。知ってると知らないとでは大違いなのよ。
誰もいない輿入れ先でなんの情報も無く立ち回れるはずないじゃない。
丸腰で、戦わせようと言うの?
それじゃ、嫁がせるってより生贄に捧げるようなものじゃない。
女優暗示が0になった。
腹はたつけど、笑顔だけは忘れないようにしよう
睨んじゃダメ。
睨んじゃ…
「アデライーデ様?」
「相手国の事を調査もせずに盟約をむすび皇女を輿入れさせるのですか?」
陽子さんは静かに切れていたつもりだった。
が、隠しきれない怒気。
笑顔は張り付いていたようだ。
女優暗示は切れ代わりに仕事モードになった陽子さんは、これ以上グランドールに頼んでも無駄と判断した。
宰相として一旦断ったものを皇女の要請とは言えやすやすと渡さないだろう。
「貴方のお立場もございますしね。無理を言いました。忘れて下さい」
「アデライーデ様…」
グランドールはそれ以上何も言わず…、
いや何か言いたげな所在であったが陽子さんはグランドールに構っている余裕はなかった。どこからかバルク国の情報を入れなければアデライーデの輿入れ先での明るい未来はない。
元々、薄暗い未来しか予想できないのにこれじゃお先真っ暗だわ。
ティーカップを手に取り、だいぶ冷めてしまった紅茶に口をつける。
早く一人になりたかった陽子さんは、風が出てきたというアデライーデの言葉を聞いて暇を告げたグランドールにほっとし、去っていく姿を見て「ふぅん」と呟いた。