447 グロッグとヴェルフ
「フィリップ。ここまで、どうだったか?」
アデライーデが化粧直しというトイレタイムで席を外している間、矢場のカウンターにもたれ掛かり、アルヘルムはフィリップにペルレの印象を尋ねた。
「すごく考えられている…と、思いました。入浴で武装解除と衛生管理は一石二鳥だと思います。でも…」
「でも?」
「どうして医師達の診断に弾かれた者達に無料の食事を提供するのですか? この島の収益の何割かは船員が落とす遊興費と聞きました」
「お前はそれを、損だと思うか?」
「…不公正だと…思いました。他の船員達は安くない料金を払っているのにと」
少年らしい真っ直ぐな感想をフィリップは口にした。
「ふむ」
アルヘルムはそう言うと、トラウザーズのポケットから大銀貨を取り出し、カウンターの端にいたテンダー(矢場の世話人)に指でピンと弾いて酒を二つ頼んだ。
テンダーは大銀貨を受け取ると、特別に用意された小さなガラスのグラスにラム酒を注ぎ、炭酸水で割ってレモンを絞る。
テンダーは「グロッグでございます」と、グラスをすっと差し出すとまた元の位置に戻っていった。
グロッグは船員達が航海の間に飲む酒で、ズューデンではラム酒が安く手に入るらしく腐りやすい水に混ぜて飲まれている。この島ではアデライーデの柑橘類の推奨によりレモンを絞って供されていた。
アルヘルムがカウンターに肘をかけてグロッグを口にするのを見て、フィリップはその琥珀色が揺れるグラスを手にとり口をつけた。
村で口にしたアプフェルヴァインやシャンディガフより強烈な酒精が、口に広がる。
「この島は船員にとって夢の島なのだよ。旨い酒と珍しい料理、そして美しい女達と過ごす楽しい時間を楽しみにして船員達はこの島にやってくる」
「はい…」
「それが、叶わぬと知った時にどうなると思う?」
「どうって…」
叱られれば、それを受け入れるしかないとしかフィリップは知らない。規則は破ってはいけないもので破れば罰を受けるしかないとフィリップは思っていた。
戸惑うフィリップを見て、アルヘルムはヴェルフに視線をやった。
「大抵の船員は暴れて抗議します。もちろんこちらもそれに屈する事はありませんが、中には逆恨みをして夜に倉庫に忍び込み、納めた輸入品やこちらの船、役人に狼藉を働く者がおりました」
「え…」
ヴェルフの言葉に、法と秩序の遵守を座学でしか知らないフィリップは驚いた。
「バルクとしては当然の対処でも、こちらの法や秩序の網の目をかい潜り、鼻を明かしたいと思う者は多うございます。ましてや異国の地の決まり事など、見つからずにやり逃げれば儲けものと思う愚か者は多いのです」
長くメーアブルグの治安を守ってきたヴェルフの言葉は重い。
「しかしながら、未然にそれが防げるのであれば、ある程度の妥協は必要でございます。貿易船が立ち寄らなくなるのはこちら側としても本意ではございませんので」
「……それが、食事の提供なの?」
「はい。警備兵達の怪我や命、積荷の保全の労力と比べれば、酒や食事の提供など食材の廃棄率の軽減でしかございません」
きっぱりと言い切るヴェルフの目には迷いがなかった。
「その…食事の提供で、狼藉は無くなったの?」
フィリップの質問に、ヴェルフはちらりとアルヘルムを見た。アルヘルムはヴェルフの視線を捉え、黙ってグロッグを口にする。
「減りはしましたが、皆無では…ございません」
「え…じゃあ…」
「海には蠱惑的な人魚がいて、たまに気に入った船員をその麗しい歌声で海底の人魚の国へと誘うと信じられているそうでございます」
「……」
「船長も…よくよく知った話で、ございます」
ヴェルフの言葉に、フィリップは座学では知り得ない現実を知った。
グロッグ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%B0
書泉・芳林堂書店様用と、応援店舗用の書きおろしSSを本日書き上げました!
どちらも作者としては、なかなかの出来かと思っています!
今回のお話は少し短いです。




