441 テルマエと富士山
浴場はちょうど昔の銭湯の男湯と女湯のように真ん中で区切られていて、隣から賑やかな声が聞こえる。
それぞれの浴場には中央に大きな湯船があり、木と皮で出来た寝椅子と椅子が隅にきれいに並べられていた。
現代でも銭湯の掃除は重労働である。当然だがペルレ島ではボイラーや水道がなく、掃除とお湯替えはすべて人力だ。浴場の手入れには時間も手間もかかる為、二つ浴場を作って交互に使い、洗濯や島の建物の掃除に利用していて無駄なく残り湯も使い切っている。
ぴかぴかの浴場に案内されてフィリップは不思議そうに、少しこだまする男達の賑やかな笑い声がする隣の浴場の方を見ていた。
「ここの掃除にはアデライーデ様のご指示どおり島で働く娼…こほん、女達が順番で担当しております」
と、フィリップの耳に娼館の話題を入れていいか判断がつかなかったヴェルフは、とっさに誤魔化した。
「そう。順番を決める時に揉めたりはなかった?」
「はい。滞りなく決まりました。以降も問題なく」
以前アデライーデが進言した『娼婦達が働く日数』をペルレ島の娼館の主であるマダムキティに納得してもらう為に少々骨を折ったが、ヴェルフはその事は言わず済ませた。
実際、三月もしないうちに、女達は娼館以外で働く日を楽しみにしだしたのだ。
元々望んで娼館勤めをしているわけでない。元農家の妻であった者は島の小さな畑や牧場で働きたがり、町娘だった者は掃除や厨房の下働きや売り子をしたがった。
大抵の女は年季が明けると島を後にしたが、年季が明けても家に帰りたがらない女は、そのまま島に残って娼婦や下働きの仕事を続けた。家に帰ればまた新たに出来た家の借金を背負わされ、どこかの娼館に売られるからだ。
そして、彼女達は一度娼館に売られて年を重ねた自分の売り先が、ペルレ島より待遇の良い場所であるはずがない事を知っていた。
メーアブルグのサロン・キティも比較的待遇の良い娼館だったが、病気になって医者にかかるのも薬を買うのも、その間の食事も枕銭から払うか娼館への新たな借金となる。
だが、ペルレ島では下働きでも体調が悪ければ無料で診察を受けられ、休んでいる間の食事も十分に出される。こんな待遇は王宮で働く貴族くらいなものである。
帰る先のない女や家に帰りたくない女達がペルレ島の代官所に島に残りたいと届け出れば、素行や性格を厳しく吟味され問題がないのであれば島に残る事が許された。
「そう。良かったわ」
アデライーデは、メーアブルグの孤児院に時々お忍びで慰問に行っているが、見る限り乳児が激増した様子はなかったが、気になる。
ーオギノ式の避妊方法が必ず役に立つ訳ではないし、成果があったとしても話が話だけにちょっと男の人には聞きづらいわね…。それにフィリップ様もいらっしゃるし…。
微妙なお年頃のフィリップに聞かせるには生々し過ぎる話である。ちらっと隣のフィリップを見ると、フィリップは不思議そうな顔をして浴場の壁を指差した。
「父上、あれはどこの山の絵なのですか?」
バルクで山といえば、北の連山を指す。だが二つの浴場に跨って描かれているのは山頂付近に白い雪を頂き青い裳裾を引いた富士山だった。
「ああ、それはアデライーデが浴場の飾りにと原案を描いて、画家達が描いた山の絵だよ」
「珍しいですね。こんな優美な山の絵は初めて見ます!」
ーふふっ。なんてったって日本を代表する山なんですもの。それに銭湯と言えば富士山の絵ですからねぇ
初めて一人暮らしをした時にも、すでにアパートにはお風呂が付いていて、陽子さんも幼い頃おばあちゃんに連れられて行った銭湯くらいしか銭湯通いの経験はない。
今では銭湯はスーパー銭湯となり、昔ながらの銭湯は貴重で、なかでも富士山の絵を描いている所は稀である。
ペルレ島に大浴場を作ると聞いて、できればとお願いしたのがこの富士山のフレスコ画(漆喰画)だ。
手前の浮島の松は日本画風に横にではなく、まっすぐにょっきり生えているが、そこは…まぁご愛嬌である。しかし、あの拙い絵心のないラフ画と説明書で、よくぞここまで見事に富士山を再現したものである。
以前ミニチュア版のこの富士山の絵を貰ったが、今日のペルレ島視察の密かな楽しみが、この大浴場の富士山の絵を見る事だった。
大満足である。
「アデライーデ様、あの山はどこの何という山なんですか?」
「あれは…、この世のものではないですね」
「この世のものでない?」
そう。前世の懐かしい山。でも、自宅からも見えなかったし一度も登った事もない。たまに新幹線や飛行機に乗った時に見るくらいの山。
だけど、日本人なら誰でも知っている山だ。だけど、それは話せない。
「以前、夢に見た山なのですよ。珍しく起きても覚えていたので描いてもらいました。美しい山でしょう?」
「はい! とても美しいと思います。青いドレスを着た貴婦人のようですね」
女性の陽子さんがラフ画を描いたからか、確かにフレスコ画の富士山は力強さより優美さが勝っている印象がある。
「ふむ。夢に出てきた山にも名付けをしないかい?」
「名付け…ですか?」
「あぁ、島の者がよく船員達に聞かれるらしいのだよ。『あの大浴場の山の名前はなんと言うのか』ってね。アデライーデの夢に出てきた山で名は無いと説明はしているが、折角の美しい山なのに名がないとはもったいないとね。何か名前を付けないかい?」
「であれば…、二つとない山で不二山…はどうでしょう? この島にしかない絵ですし」
名付けは前世と同じものが間違いがなくて良い。陽子さんにとっては文字違いだが発音は同じだし、不二山は富士山の異名だ。
「二つとない…か。良い名付けだな」
二つとないと名付けられたが、のちにはがきサイズの手軽なペルレ島土産で不二山の絵は大人気となる。
もちろん、仕掛けたのは悪徳商人と芸術家集団を従えたタクシス夫妻だったのは、言うまでもない。
富士山が描かれるようになった理由
始まりは1912年、大正元年に神田猿楽町の「キカイ湯」が増築の際、浴室の壁に富士山のペンキ絵を描いたところ大評判になり、これが他の銭湯にも広まったとの通説があるそうです。
鏝絵
蔵などの壁の仕上げとして、左官職人が鏝と漆喰で作るレリーフを「鏝絵」と呼びます。
https://www.waseda.co.jp/president-blog/plaster-trowel
大分県宇佐市安心院町は鏝絵の町だそうです。
https://youtu.be/GRNFmoKXAZk?si=ATjZXCoE1QqJEV9z




