434 エールと黄金色の粉
「急に済まなかったな」
ナッサウに連れられ執務室に入ってきたゲオルグに、タクシスはソファから立ち上がって挨拶をし、アルヘルムは座ったまま微笑んだ。
「滅多にない執務室への呼び出しだからね。何かあった?」
ゲオルグは久しぶりに訪れた執務室を見渡し軽く二人と挨拶を交わすと、タクシスの隣にすとんと腰をおろす。
ナッサウの口調から政治的な緊急事ではないとわかったが、王弟である自分も王の執務室に呼ばれる事は滅多にない。この部屋は王と宰相だけが出入りを許されている部屋なのだ。
最後にこの部屋に呼ばれたのは、一昨年アルヘルムが出陣した時だった。その部屋への呼び出しに、ゲオルグはなんだろうと思いながら扉をくぐったのだ。
「この残り香は…カリルかな? どうだった? 辛くなかった?」
「いや、カリルは口にしてない。カリルは危険だと聞いたのでな。これはアデライーデがカリルを食べやすいように改良したカリーヴルストという料理の香りだ。だが、そう辛くはなかったぞ」
「へぇ、辛くない? でもこの香りはカリルなんだけどな」
「ああ、この香りだからここに来てもらったんだ」
ゲオルグが不思議そうに首を傾げた時に、フライドポテトとヴルストの大皿が載ったワゴンを押してアルトが入室してきた。
「彼は離宮のアルト・コール料理長だ。急遽来てもらったのは、ズューデンの料理を知っているお前にアデライーデの作った物を試食してもらおうと思ってな」
「試食? 良いけど、一緒に行った文官達じゃだめだったの?」
「まだ外には漏らしたくないとタクシスが言うのでな」
「?」
アルヘルムが目配せするとアルトは離宮でのカリルの試食からアデライーデがカリーヴルストを作った理由を簡単に説明し、ワゴンから小壺の一つを取るとゲオルグの前に置いた。
「ズューデンのカリルはソースですが、バルク人好みに改良され本来のカリルとは少し違うので、アデライーデ様はこの粉を『カレー粉』と名付けられました」
アルトの説明を聞きゲオルグが小壺を手に取り蓋をあけて匂いを嗅ぐと、確かにカリルの香りがする。懐かしい香りだ。
「そちらは辛味なし、こちらはレッドペッパーを少量加えた一辛、そして一辛の二倍のレッドペッパーを加えた二辛となります。どうぞ、それぞれ少量ずつをお試し頂けますでしょうか」
「へぇ、カリルを粉にしたんだ。どれどれ」
ゲオルグは、躊躇なく小壺の蓋を取ると順番に匂いを嗅ぐ。
「どれも香りは変わらないな。粉にすると、ソースよりカリルの香りが鼻に抜けるね。でも、ズューデンのカリルに比べると一辛も二辛もさほど辛くない。それに香りも味もズューデンのカリルと少し違うね」
それぞれ少量ずつ試した率直な感想をゲオルグは口にした。
「はい、殿下の贈られたレシピに乾燥ニンニクや生姜、バルクでも使われているハーブを十数種類ほど足してございます。辛味より香りを主眼に作られたそうです」
「あぁ、それでズューデンのカリルよりまろやかな香りと味になっているんだね」
「はい! アデライーデ様が料理人達の意見を取り入れ試作を重ね、バルクの為に調合なされました」
まるで自分の事のように誇らしげに胸を張りアルトは、ワゴンで一辛のカレー粉を使ってカリーヴルストを作るとアルヘルムたちの前に置いた。
「ふぅん、カレー粉はこうやって使うんだ。この甘いトマトソースに合わせると一辛は少しぴりっとするくらいで美味しいね。辛さに慣れない者には良いかも」
「こちらの甘いトマトソースは、アデライーデ様がカリーヴルストの為にお作りになられたトマトケチャップというものでございます」
「へぇ、さすが義姉上だな。色々な物をお作りになられる」
アルトの説明を聞きながらゲオルグが二辛の小壺に手を伸ばし、アルヘルム達が驚くほどカレー粉をたっぷりかけると、美味しそうにカリー粉にまみれたヴルストを口にした。
「殿下…。二辛でも辛くは…ない?」
ゲオルグともタクシスは従兄弟だ。王族と臣下の線引きはあるが、そこは幼い頃からのよしみで三人だけになると自然と口調は砕けたものになる。
「ん? 全然。僕はもっと辛くてもいいかな」
もっと辛くてもいいと言うゲオルグを、タクシスは別の生き物を見るような目で見て、そっとケチャップの壺を手にとった。
ゲオルグが呼び出される前に、全て試した甘党のタクシスは一辛がやっとだった。できれば香りだけ楽しめる辛味なしがいい。タクシスが甘いトマトケチャップをもりもりにヴルストの上に乗せると、ゲオルグが同じような目でタクシスを見ていた。
「アデライーデ様が仰るには、カリーヴルストには炭酸の飲み物が合うとの事でございます。貴族向けのコークハイやチューハイ、庶民向けのエールなどを取りそろえておりますが、お飲み物は何がよろしいでしょうか」
「私はエールをもらおうか。王宮でエールは飲めないからな」
アルヘルムが王宮では滅多に出ることのないエールを所望すると、タクシスもゲオルグもそれに習った。
「お、本当にこれはエールに合うね」
「あぁ、ピリ辛だからだろうか。杯が進むな」
しばらくカリーヴルストとエールを楽しみ、アルトが執務室を辞するとゲオルグがおもむろに口を開いた。
「ところで、カリーヴルストは美味しかったけど、ただの試食で僕をここに呼んだんじゃないよね?」
ゲオルグがエールを口にしながら尋ねると、アルヘルムはにやりと笑った。
「うむ。ズューデン国からレッドペッパーとターメリックを輸入しようと思ってな」
「カレー粉を売り出すつもり?」
「あぁ、タクシスが言うにはホケミ粉と同じようにバケる予感がするらしい。なぁ?」
「離宮の兵士達の賄いに出したところ、とても好評だったそうだ。問題の辛味は、一辛二辛のように分けて置いておくと好きな方を選ぶらしく、離宮では一辛が一番人気で、次は辛味なしのものだと報告があがっている」
タクシスがエールのジョッキを置き、深く座り直す。
「事前の報告では、レッドペッパーとターメリックはズューデンの商人らが何度も売り込みをかけているにも関わらず、ほとんど売れていないとあったのだが殿下の目から見てどうでした?」
「それは本当だったよ。ターメリックは、薬や染料として多少取引があるみたいなんだけど、レッドペッパーに至ってはこちらで全く受け入れられてないから上手く話を持ちかければ、ぼられる事なく取引できると思うね」
「現地での値段は?」
「安いよ。ズューデンの庶民が毎食たっぷり使えるくらいにね」
タクシスの顔がにやりと歪む。
カレー粉はズューデン国にもないミックス粉だ。大半の香辛料はズューデンからの輸入に頼るが、こちらで採れるハーブも使いその種類や配分も香りを重視したアデライーデのオリジナルである。
カリルの味も香りもこの大陸では知られておらず、カレー粉を披露すれば、その分世間に与えるインパクトは大きい。
いずれオイルサーディンのように模倣品が出ようとも、ホケミ粉と同じで混合物の種類と配分が分からなければ同じ物は作れない。まして、レッドペッパーもターメリックもズューデンでは安価なのだ。
「ふっ、くっくっくっ」
普及用の国内向けは別としても、国外の貴族向けにいくらの売価を付けようかと考えると自然と笑いが溢れてくる。
「ふふふふ…。本日のエールは格別に旨いな。黄金色のカレー粉がかかったカリーヴルストがつまみだからかな?」
そう言って、タクシスはエールのジョッキをぐいぐいと傾けた。
「兄上…ルーノ、大丈夫? 最近酒に弱くなった? それとも疲れてる? なんだか目が座ってギラギラして怖いんだけど」
ブルーノの黒い笑顔に恐れをなしたゲオルグが、いつの間にかジョッキを持ってアルヘルムの隣に移ってきて、そっと囁く。
ゲオルグは王弟となってから、国内の視察や外交を受け持ち国内外を飛び回っていたので、タクシスの黒い笑顔を直接見たことがなかったのだ。
「いや、大丈夫だ。アレはおおかたカレー粉の売り先の算段でもしているんだよ」
アルヘルムは苦笑いしながら、もう見慣れたタクシスの黒い笑顔を指差した。
そんな二人の会話も耳に入らないタクシスはエールをぐっと飲み干し、黄金色のカレー粉が入った小壺を大事そうに手にとった。
アルトの苗字が判明w
ルーノはブルーノの愛称で、幼かったゲオルグがブルーノと発音できずルーノと呼び、そのままゲオルグに定着しています。




