432 ローカライズとフライパン
「ああ、俺は以前ズューデンの商人から確かにそう聞いた。火のように辛いのがズューデンの料理なんだとな。でも、このカリルは全く辛くないんだよな。本当はズューデンの料理は辛くないのかもな。俺はいっぱい食わされたのかもしれん」
そう言って、その年嵩の料理人は白パンをカリルにつけて味わった。
「確かに香辛料はたくさん使われているけど、辛くないもんな」
「うん」
その年嵩の料理人を囲んでいた若い料理人達もパンにカリルをつけて味わいながら呟いていた。
「あー、それは多分このレッドペッパーを入れてないからだ」
その話を聞き逃さなかったアルトが流しの方に置いていたレッドペッパーのボールをみんなの前に置くと、料理人達が一斉にボールへと近寄ってきた。
「これが、その火のような痛み…いや、辛さの元のレッドペッパーと呼ばれる香辛料だ」
「ほぉおお」
「レッドとつくだけに、確かに火のような色をしていますね」
「こんなに鮮やかな色の香辛料は初めて見ます」
初めてみる赤い色の香辛料を皆はじっと見つめた。
「その商人が言うように、ズューデンの料理は火のように辛いと思う。僅かな量でも痛…火のように感じるはずだ」
アルトは料理人としてレシピの大切さを知っている。だからこそ、ズューデンの料理の本来のレシピを正しく皆に知らせなければいけないと思い、レッドペッパーを皆に見せのだ。
だけど新しい香辛料に興奮して鼻に吸い込んで悶絶した事を話すのは恥ずかしいから、その辺りは黙っていた。
「でも、何で試作なのにレシピ通りにレッドペッパーを入れなかったんですか?」
一番若い料理人が、皆が思っている疑問を口にした。レシピがあり材料が揃っているなら、レシピに従うのが当然だからだ。
「それは…」
アルトがちょっと顔を赤らめながら観念した顔で自分の失敗を皆に話そうとした時に「それは私から説明するわ」とアデライーデから声がかかった。
料理人達は一斉に振り向く。
「ゲオルグ様からレシピを渡された時に、ズューデンへの使節団の中にはレッドペッパーの辛さに馴染めず滞在中ずっとナンばかり食べていた人もたくさんいたと聞いて、今回は入れずに作ってみたのよ。レッドペッパーは後からでも足せるから」
陽子さんはアルトの失態もマリアの心配も皆にわからないように説明をした。アルトだって失態を皆に知られたら恥ずかしいだろうし、マリアの心配はカリルがバルクに馴染めばいずれ笑い話になる話だ。
アデライーデの説明に納得したのか皆は一様に「なるほど」と頷く。
「あの…自分。ちょっと舐めてみても良いでしょうか?」
好奇心旺盛な若い料理人が手を挙げた。
「これからレッドペッパーを足されるのですよね? その前にどれだけ辛いか試してみたいです」
「自分もです! 火の味ってどんなものか知りたいです」
2名の勇者が味見を願い出て、焼き串の先にちょっとだけレッドペッパーを乗せる。
「いいか、嗅ぐなよ。絶対に嗅ぐな。息を止めて口にいれるんだ」
アルトはさっきの経験から、後輩達にアドバイスすると後輩達はこくりと頷き慎重にレッドペッパーを口にした。
ぱくっ
「おい、どうだ?」
アルトが心配げに声をかけた。
「ひーー。口の中が竈になったみたいです! 熱くてぴりぴりする!」
「くー、口が熱い! これは火の味ってわかる気がします」
二人は用意されていたミルクを飲み干すと額に汗を滲ませてゲオルグのレシピをじっと見た。
「耳かき程もない量でこれだと、本当にこの量のレッドペッパーが入っていたら、とても食べられないですね」
「うん。でも、少量なら良いんじゃないかな。これだけ香辛料が入っているなら打ち消し合うんじゃないか?」
「そうだな。ちょっと残りのカリルに入れてみようか」と、各自思い思いに自分のカリルにレッドペッパーをちょっとずつ足していき、自分好みの辛さを見つけようとしていた。
アルトも料理人たちに紛れてほんのちょっぴりレッドペッパーを口にした。確かに口の中はぴりぴりとするが、鼻から吸った時の痛み程ではない。
「俺、香りは好きなんだけど、香辛料控えめが良いかな。ヨーグルトかバターを入れてみようか」
「トマト多めに入れるとどうだろ。ピューレ持ってくる」
「からっ! お前の辛すぎるだろ」
「なんだよ。このくらい辛い方が俺はいいと思うぞ」
「ソースにするならもう少し粘度があった方がいいな。煮詰めるべきか?」
「水溶き小麦か、じゃがいもをすりおろして入れるのはどうだ」
そして、そんな料理人達のわいわいがやがやをアデライーデが微笑ましく見ていると、マリアがお皿を置きに行った隙にアルトがそっと寄ってきた。
「申し訳ございません。私が失態をしたばかりにマリア様を心配させ、レシピ通りの試作を作れませんでした」
「良いのよ。私もあのレシピ通りに作ろうとは思ってなかったから」
「え?」
「ゲオルグ様からズューデンの料理は辛いと聞いていたから、レッドペッパーの量は最初から調整しようと思っていたの。だから気にしなくていいのよ」
「……ありがとうございます」
アルトは、ほっと胸を撫で下ろす。
伝えられたレシピを、一度は正確に再現するのは料理人としての基本だ。アルトは自分のせいで正確に再現できなかった事を心苦しく思っていた。
そしてそれもだが、仮にレシピを正確に再現できていたらとてつもなく辛いカリルが出来上がり、それを口にしなくて良かったという2つの意味でホッとしていた。
「ですが、みなでカリルのレシピを改変していますが良いのでしょうか」
「良いと思うわ。本場の味を伝える事も大事だけど、食べる人が美味しいと思う味に変えるのは悪いことじゃないわ。同じ料理でも家によって入れるものが違ったり味付けが違うのと同じよ」
特に好みが分かれる香辛料と刺激物は、受け入れる側の好みとのすり合わせが大事である。
「アルト。ちょっと手伝ってほしいのだけど、良いかしら」
そう言ってアデライーデはフライパンに手をかけた。
香辛料や辛さの好みって本当に人それぞれですよね。
作者は辛さは中辛くらいが好きですが、子ども達はガラムマサラを足したりしています。
でも、家族の中でパクチー好きなのは私1人w
アジアンレストランでは家族の分のパクチーは私のお皿に入ります。




