425 夢と分かれ道
「おかえりなさい。お庭でお茶をしましょうか」
「はい! すぐに着替えてきますね」
翌日、フィリップは少しだけ朝食に遅れてきたが何食わぬ顔して朝食を済ませるとリトルスクールに出かけていった。
今年の夏休みは今日で終わり。
フィリップはリトルスクールで授業を受け、村の食堂で食事を済ませてカイ達と別れの挨拶をして帰ってきたところである。
フィリップは着替えに。アデライーデはレナードに東屋でのお茶の支度を頼んで、暫くしてから東屋に向かった。
「初のお友達との飲み会は楽しかったですか?」
「はい! 食堂が昼間とは違ってて…」
フィリップはくるくると表情を変えて、昨日の晩の事をアデライーデに話し出す。よほど楽しかったのか、出されたお菓子には手を付けずにしゃべり、何度もマリアが黙ってフィリップのコーラのおかわりを継ぎ足した。
ー薫や裕人が、初めてお友達だけでファミレスに行った時もこんな感じだったわね。親に連れて行ってもらうんじゃなくて、お友達とっていうのが嬉しい時期なのよね。
「俺たちの王様はすんげーだぜ。バルクを栄えさせてくれるんだからな。アデライーデ様も優しいしさー。フィルは王様会ったことあるか? 俺、村に来た王様見たことあるんだぜ」とカイから自慢されたと、フィリップはちょっと恥ずかしそうに口にした。
マリアとクルーガーもフィリップの後ろで、くすりと笑う。
そしてまた、カイに聞いた王都やメーアブルグで流行りの菓子屋の話や酒場で初めて見た酔っ払いを「お酒を飲みすぎると、歌い出したり大声で笑ったりするんですね。僕、人の顔ってあんなに赤くなるんだと初めて知りました」と話しだした。
フィリップにとって、初めての夜のお忍びは楽しい酒場体験だったようだ。
フィリップが楽しそうに話すのを微笑ましく聞いていて、ふと気になった事をアデライーデは口にした。
「そういえば、お金は持っていったんですか?」
「はい。上着のポケットに入っていたんですけど、カイが『奢って』くれました。あ、その時に庶民は金貨は靴の中に入れておくものだと教わりました」
ーん? 靴に金貨? コインローファーみたいなもの?
多分、それはきっと違う。
酒場を出る前にフィリップはカイにお金を渡そうとしてポケットに入っていた金貨を取り出したら、カイから怖い顔をして小声で怒られたらしい。
「酒場で大金なんか見せんじゃねぇ。村は安心だけど、外じゃどんな奴らがいるかわかんないんだからな。それに奢るって言っただろ、俺に恥かかせんなよ」
そう言ってカイは庶民の酒場の流儀を教えてくれた。
酒場では注文毎にお金と引き換えるからなるべく釣り銭を渡さなくていいように小銅貨や銅貨をポケットに入れておくこと、大金は持ち歩かないこと、仕方なく持ち歩く時は靴の中に入れておくことを教えてくれた。
金貨を出して釣り銭をもらうと、店の中で目立ってしょうがない。帰り道に絡まれてカツアゲされんぞと、フィリップの知らない事を次々に口にした。
なんとなくカツアゲは強盗の事かと、こくこくと頷いているフィリップに気を良くしたのか、カイは教わったばかりの酒場でのかっこいい注文の仕方や初めて行く酒場での注文の仕方も伝授する。
初めての店ではエールかワインを一杯頼み、周りの人間がつまみや別の酒を頼むのに聞き耳を立てて値段を知ると恥をかかない。最後の1杯はコイン1枚を出して「釣りはいらねぇよ」と頼める酒を頼む事などを得意げに教えてくれた。
まだカイもこの村以外では飲んだ事はないのだが。
「王都じゃお忍びの貴族を狙う物騒な奴らもいるんだ。十分に気をつけな。あ、王都で飲むことがあったらマニーさんとこに来なよ。俺、それまでにいい店見つけとくからさ。そん時は奢ってくれよな」
王都と村の酒場の値段はちょいと違う。カイは意外にちゃっかり者のようだ。
「いつか、カイと王都でも飲んでみたいです」
「そうね。きっと楽しいと思うわ」
フィリップは王子である。この村のようには気軽にお忍びはできないかもしれないと思いつつ、陽子さんはフィリップに微笑んだ。
楽しいフィリップとのお茶の時間を過ごしていると、王城へ帰る支度が整ったとレナードが迎えに来た。名残惜しいが時間である。フィリップは王子らしく別れの挨拶をアデライーデにすると馬車に乗ってアデライーデに手を振った。
「ねぇ、クルーガー。庶民と貴族っていろいろ違うんだね」
「そうでございますね。違う事も多いかと思います」
からからと馬車の車輪が廻る。
「僕、父上のように良い王になれるかな…」
フィリップは湖の対岸の村を見つめながらクルーガーに問いかける。
「どうしてそう思われるのですか?」
「カイがね。景気が悪いと小さいうちから弟子入させられるって言ってた。今は景気がいいから豊穣祭まで家に居させてもらえるんだって。カイのすぐ上のお兄さんは、一番上のお兄さんを頼ってカイの年になる前には王都に働きに出たって聞いたんだ」
「庶民は成人前に働きに出る者も多うございますね」
「うん。僕知らなかったよ。ううん。習ってはいたんだけど、僕と同い年のカイ達が秋から働くって聞いてほんとなんだってびっくりしたんだ」
フィリップを乗せた馬車は、村人達が普段使う道とは異なる道を進む。村人は離宮を挟んで湖の対岸を走る道を使うのだ。この道は王族と警備兵達が使う道である。
「カイはピーラー職人になりたいんだって。一人前になって母君にピーラーを贈って、たくさん稼いで楽をさせるのが夢なんだって」
「孝行な事ですね」
からからと馬車の車輪が廻る。
「僕、カイに自慢してもらえるような王になりたい」
きらきらと輝く湖面と村を見つめながらフィリップはぼそりと呟いた。その言葉をクルーガーは拾わず、ただ微笑む。
しばらくして馬車が街道に入る頃、フィリップはアデライーデには聞けなかった男心の機微についてクルーガーに根掘り葉掘り聞き始めた。
夜の湖畔で見たことは、もちろん大人なのでクルーガーにも内緒である。




