423 階段と手紙
こんこん
「お、ちゃんと抜け出せたか!」
「うん!」
フィリップが教えてもらっていたカイの家の窓を叩くと、カイは手慣れた様子で窓から飛び出してきた。
「いこーぜ!」
「うん!」
子犬のように二人の少年は明るい夜道を酒場に向かって走り出した。その影をクルーガーとラインハート隊長が近くの物陰からそっと見て後をつけていく。
二人は気がついてないようだが、あちこちの物陰に私服の警備兵がたくさんいた。まるではじめてのお使いのスタッフのように…。
フィリップから打ち明け話を聞いたアデライーデは夏祭りを抜け出し、レナードを居間に呼んでなんとかフィリップの願いを聞いてやれないかと聞いてみた。変に隠し立てするより、ここは正攻法で正面突破するのが正しいと思ったからだ。
レナードは最初眉間に皺を寄せて難しい顔をしたが、その間に陽子さんは「これは…押せる」と勝機を垣間見た。
即答で「なりませぬ」と言われないのは、レナードも少し心の中で良いのではないかと思っているに違いない。あとは押して押して押しまくるだけである。
「ね。ここは私の村で王都のように危険じゃないし、警備隊の皆さんに協力してもらって見守ってもらえればいいし、酒場の女将さんにも飲み過ぎないように目を光らせて貰うように私からお願いするわ。もちろんフィリップ様にもはしゃぎ過ぎないように十分に言って聞かせるわよ」
そう言って熱弁をふるい最後にはつつーっとレナードに近寄り、手を組んでダメ出しのあざとかわいいポーズをとった。
「ね。レナード。一生のお願い」
多少気恥ずかしいが、フィリップの初めての「大人の階段」の第一歩の為である。陽子さんは頑張った。
「うぉふおん」
一瞬怯んだレナードは大きく咳払いをすると、いつもの顔に戻り「晩餐前にお茶をお持ち致します」と言って居間を出ていってしまった。
「大丈夫でしょうか」
マリアが心配そうな顔をしてレナードを見送ったが、夏祭りが終わりフィリップが湯を使っている晩餐前にクルーガーがお茶を持って居間にやってきた。
「『私は何も聞かなかった』とレナード様からの伝言でございます」
「え?」
「その代わりに私めが万事采配するようにと命じられました」
「え! じゃあ」
「はい。本日アデライーデ様は夏祭りでお疲れで晩餐後のお茶は取りやめられ、早めに就寝なさる予定でございます。どうぞ、こちらを」
クルーガーは一枚の紙をマリアに手渡し、にっこりと笑ってお辞儀をすると居間を辞した。
レナードはアデライーデからのお願いを聞き、すぐにクルーガーを呼び出し酒場へと向かっていた。本当に酒場で子ども達に酒を飲ませているのかと尋ねるためだ。
女将さんから話を聞くと、村では働きに行く前の子に何度か酒場でアプフェルヴァインやスプリッツァー等の薄い酒を飲ませ酒と大人の人付き合いに慣らさせる習慣があると笑って答えた。
いつの時代も親元を離れ稼ぎはじめたばかりの子どもを狙う悪い奴らはいる。言葉巧みに慣れない強い酒を飲ませ、賭け事や美人局で借金を背負わせたり酷いと攫われて売り飛ばされたりする。
親も言い聞かせるが、生意気盛りの子ども達の耳に親の諫言は素直に入らない。だからこそ親戚のような大人がいる村の酒場で薄い酒を飲ませ、巣立つ子ども達にいろんな話を聞かせて大人の世界を垣間見せる村の大事な習慣だとレナード達に女将さんは胸を張って語ったのだ。
そんな大人達の事は何も知らないフィリップは、どきどきしながらアデライーデとの晩餐を迎えた。
夏祭りが終わりアデライーデに声をかける前に侍従達に捕まりお風呂に入れられたのだ。
いつもはクルーガーが晩餐前には身支度を整えてくれるのに、今日に限って姿が見えない。晩餐への支度も先導も別の侍従がやってくれた。
「今日はね。夏祭りで疲れちゃったし、お祭りでたくさん食べたから晩餐は簡単にしようと思って」
迎えてくれたアデライーデの言葉通り、昨日と違ってミルクスープやシーザードレッシングのミモザサラダ、たっぷりのチーズがかかったチキンソテーが出てきた。しかも飲み物は有無を言わせずミルクが置かれている。
ー???
メニューと飲み物に若干の不思議さを感じながらも、そこは育ち盛り。お祭りでいろいろ食べていたとはいえ、ぺろりと平らげた。だが、アデライーデは晩餐の間も夏祭りの話ばかりで『飲みの誘い』の事を一切口にしないし、レナードもただ黙って控えているだけだった。
ーやっぱりダメだったんだろうな。
デザートのチーズケーキをミルクで流し込みながら、もしかしたら今日のミルクは『まだ子どもだからね』というメッセージではないかとフィリップは一人落ち込んでいた。
「今日は疲れたからお茶はまた明日ね。さぁ、フィリップ様も早く寝るといいわ」
「は、はい」
そう言われて食堂を送り出される際、フィリップはアデライーデからこっそり小さく折りたたんだ紙を手に握らされた。
「え…」
「しーっ! うまくやるのですよ」
そういきなり言われて驚いたフィリップは、チラと後ろのレナードを見る。
なぜかレナードは横を向き窓の外の月を眺めていた。
「はい! おやすみなさい」
「はい、おやすみなさい」
手紙の意味を察したフィリップが元気よく挨拶をし、部屋へ戻っていく後ろ姿にアデライーデは小さく手を降って見送る。そしてそれが見えなくなったところでアデライーデがレナードに笑いかけた。
「横を向くのは、ちょっとわざとらしかったんじゃないかしら?」
「いえ、至極自然だったと思います。今宵の月は見惚れるほど美しくございますので」
嘘である。本当はフィリップの顔を見たら細かくあれこれ注意しそうだったからだ。
レナードはアデライーデから相談され、すぐに王族の王子教育を思い出した。社交に酒は付き物で当然酒との付き合いも学ばされる。アプフェルヴァインを嗜みはじめたフィリップも、そう遠くないうちにそれらを学ぶ事となるはずだ。
アルヘルムはそれらを学ぶ前にタクシスと城を抜け出して城下町でワインを飲んで酔っ払い、しこたま叱った苦い覚えが頭をよぎったがレナードはそれを押しつぶした。
それに比べればちゃんと大人に相談してくるフィリップは、それだけで十分に酒の付き合いを学ぶ準備はできていると考え、酒場の女将さんから村の習慣を聞いてフィリップが村の子と飲みに行く事も経験と黙認することにした。
あとはフィリップ付きのクルーガーの仕事である。クルーガーは警備隊のところへ出向きフィリップの護衛の打ち合わせをしていた。
「私の事より、あのメニューの方がわざとらしかったのでは?」
「えー、胃を守るメニューよ。悪酔い防止にミルクやチーズを食べておくのは大事な事よ」
そう言って笑いながらアデライーデ達は居間へと向かった。
「お休みなさいませ」
侍従がフィリップが泊まっている一階の客間から出ていくと、フィリップはベッドから飛び起きてずっと手の中に握っていたアデライーデから渡された手紙を見た。
お忍び用の服と靴は浴室の隅の黒いカゴの中
ベランダから孤児院の園庭に抜けて村に向かうこと
飲みすぎないこと
どんなに遅くても12時の鐘が鳴るまでに帰ること
困ったことがあれば女将さんを頼ること
お酒は楽しく!
箇条書きに書かれたそれを見て、フィリップは叫びたくなる口を押さえながら浴室に向かった。すぐに黒いカゴを見つけお忍びの服に着替えると、ベランダに向かおうとしたフィリップは少し立ち止まりライティングデスクをあけた。
かちゃ、ガサゴソ…とん。
たたたた…
遠のく足音が消えた頃、フィリップの客間の扉が開き黒い影が入ってきた。
その影はベッドを整えると、開きっぱなしのライティングデスクの前で動きを止めた。
お忍びに行ってくるね。
カイと一緒に酒場に行くから心配しないで。
くっくと笑ったレナードはそれを懐にしまった。




