414 薄荷水と蕾
「ねぇ、クルーガー」
「はい、なんでございましょう」
離宮からの帰り道、馬車の中でフィリップはもじもじしながらクルーガーに話しかけた。
「クルーガーにも婚約者っている?」
「私めにですか? いえ、残念ながら…」
「……そうなんだ」
「婚約者がどうかいたしましたか?」
王族や高位貴族につく専属の従僕や執事は、ほぼ365日24時間勤務と言っても過言でないくらいのハードワークだ。
主人が目覚める前に起き、主人が床に着いてからやっと眠りにつけるような生活が365日繰り返される。もちろんお休みの日もあるが、主人の急な予定変更で不意に無くなることもある。
そんな生活なので専属者は独身が多い。家族より何より仕える主人が最優先されるので、結婚は職を辞してからという事が殆どとなる。時に王族に仕える者が家族を持つ事は、仕える主人の弱みにもなりかねないからだ。
「………」
クルーガーの問いにフィリップはなかなか口を開かなかった。カラカラという車輪の音が馬車の中に響く。しばらくしてからクルーガーの方から口を開いた。
「現在はおりませんが、私にも、過去に将来を共に歩みたいと思った相手がおりました」
「え、婚約しなかったの?」
「ご縁がなかったようで、その方は親の決めた相手に嫁がれて行きました」
フィリップの子供らしい直球な質問に、貴族の微笑みでクルーガーは短く答えた。
クルーガーはナッサウの親戚筋の伯爵家の三男だ。親から譲られる爵位はなく、いずれ貴族籍を離れる三男に末の一人娘を嫁がせられないと相手の親は思ったようで、貴族学院で想いを伝えあって直ぐに相手とは会えなくなり、風の噂で同位の家格の相手に嫁いだと聞いた。
「そう…なんだ……」
「何か、リネア姫についてお悩み事でも?」
クルーガーは、今はまだその話を詳しく話せそうになかったので、すぐにフィリップに質問を投げかけた。クルーガーの目から見てフィリップはリネアに対して好意を持っているように思えたからだ。
「ううん。そうじゃないんだ」
「はい」
フィリップは何か言葉にしたいが、それを上手く口にできないように見える。クルーガーはただ穏やかにフィリップが『それ』を言葉にできるまで待った。
しばらく車輪の音だけが、クルーガーの耳に響く。
「んとね。僕、リネア姫に手紙を書いたり返事を貰った時にはすごく嬉しいんだ。でもね、手紙を書き終わると少し寂しい気持ちになるんだよ」
「そうなのですね」
「だから、父上達からリネア姫を秋の豊穣祭に招待するってお聞きした時にとても嬉しかったんだけど、お別れする時にまた寂しくなるのかなって…。前回の馬選びの時は婚約者になるって思ってなかったから、また会えたらいいなくらいに思っていたんだけど……」
「また寂しくなるというのは?」
「アデライーデ様が王宮から離宮に行った時もそう思ったんだ。なんだか…こう…すごく寂しくて嫌だなって」
「わかりますよ」
「本当に? クルーガーもわかる?」
クルーガーの返事に、フィリップは小さく目を見開いた。
「ええ、胸にぽっかり穴が空いたようなちくちくするような寂しい気持ちですよね」
クルーガーは自分の経験を重ねて、気持ちを口にする。
「うん。そうなんだ! 僕は最初にアデライーデ様にとても失礼な事をしたんだけど、それを許してくれて家族になって下さったんだ。離宮に行かれるまで僕と一緒に授業を受けたり散策もよくしたんだよ。離宮に移られてからも変わらず、いっぱい楽しい事を教えてくれるし美味しいものも作ってくれるんだ。僕ね、本当にアデライーデ様と家族になれて良かったと思ってる。父上や母上と同じくらいアデライーデ様の事が大好きなんだ」
フィリップは自分と同じように感じる事があると共感してくれたクルーガーに、饒舌にそれまでの気持ちを話し出した。
ーやはり、ナッサウ様の思われていたとおりでしたか。
「そろそろフィリップ様にも年の近い相談相手が必要となったようです。ご成長により幼き頃より見知った爺相手では相談しにくい事もあるでしょう。アルヘルム様にはタクシス様がおられましたが、フィリップ様には血の近しい方で同性同年代の方はいらっしゃいません。それに私も思い出すには時間のかかる思い出も多くなってきました」
クルーガーがフィリップ付きに内定された時ナッサウにそう言われ、正式に任じられた時に心に留め置くようにと言われた事がある。
フィリップは、まだ愛の種類を知らない。親兄弟から受ける家族愛がフィリップの知る愛の全てであると。
大人の我々から見ると、それは淡い少年の初恋とわかっても本人は時が過ぎるまでわからぬ事がほとんどだろう。できればフィリップが思い返す時に『それ』を甘い薄荷水のような時だったと感じて欲しいと思う。
幸いにもフィリップの恋の端の方は、フィリップに対して片鱗もそのような気持ちはもっておらず母のような姉のような愛をもって接してくださる。
本人が気付かぬならば、蕾は蕾のままいつか思い出の花として咲くように大事に取っておくこともできるだろうから、そう導いてやって欲しいとナッサウはクルーガーに頼んだ。
「私に…、できるでしょうか」
「できると思うからこそ、専属に推しました。先代様から仕えアルヘルム様で私は終わるでしょう。貴殿にはフィリップ様かそのお子様までお願いしたい」
そうクルーガーに頼んだナッサウの目は、控えの間にかかった先王夫妻の絵を懐かしむように見ていた。
フィリップは現代の子のように、ネットやテレビ、友達から借りた親の知らない漫画や本から「そんな事どこで知った?」という情報を知るような事はない。
フィリップが知る情報は、本か周りの人からだけである。読む本もその時期に相応しいと思うものが教師により選ばれ本棚に並び、思いつく疑問には側仕えの者が模範解答を答える。
選択肢が多すぎ自由と言う名の枠がある現代人にはいろいろ思う事もあるが、それでもその不自由さの中に関わる人々の愛と思いやりがあった。
「最初はね。離宮も遠いなって思っていたんだけど、馬でいけるようになったから今はそんなに寂しくないんだけど、ノアーデンは遠いよね。毎年豊穣祭にリネア姫を呼ぶのかな」
「そうですね。それも良うございますね。豊穣祭が終わった後に陛下にご相談されるのが良いかと思います」
フィリップの愛は重いのかもしれない。




