410 海溝と暖流
「姫様、バルク国のフィリップ殿下からお手紙が届いております」
そう言われてリネアが侍女から受け取った手紙には、赤い封蝋にフィリップの頭文字とお印である馬の蹄鉄モチーフの封蝋印が押してあった。
初めてもらった将来の婚約者からの手紙に、リネアは頬を赤らめながら封を切った。
半月ほど前バルクからの帰国報告と共に、王太子であるモンラードは父であるノアーデン国王に、アルヘルム王に直接縁組を内諾すると返事をしたとの報告をした。
国王の顔で喜びの言葉を口にした父王はすぐに人払いをし、リネアとフィリップの相性を祖父の顔で息子に確かめた。
「悪くないかと思います」
「我が国の淑女の嗜み…と言うか、その、リネアの好みを話したか?」
人は勝手なもので、多少背伸びをして掴んだはいいが掴んだ途端にその背伸びが気になるものである。
「はい。それも含めてバルク王と話をしました。フィリップ殿下もリネアと話題が合うようで馬選びでは親睦を深めていました」
「そうか」
祖父の顔をしたままで、ノアーデン王は笑顔を浮かべた。
「父上。近々バルク国より正式な縁組の申込み使者が来るでしょう。リネアの婚約式は来年でお願いできますでしょうか」
「む。来年か? 今年の秋でもよくはないか? 慶事は間を置かぬ方が良い。冬になる前にバルクでの婚約式を終えれば、雪に閉ざされる前に陸路で戻って来れよう」
「いえ、新型船が出来るのが来年春になりそうなので、出来れば婚約式はそれ以降を希望します。バルク王にも婚約式は来年で良いと内諾を貰っています」
モンラードは婚約式の時期は譲れぬとばかりに、父王に詰め寄った。
「ふむ。その新型船はバルクから依頼された交易船の事か?」
元々リネアをバルクに嫁がせるのに難色を示していた息子がそれを飲み込んだのだ。しかも、バルク王から時期の内諾を得ているのであれば、これ以上言う事もあるまいと、父王は初耳である新型船の事を尋ねた。
「いえ、依頼された交易船は造船中のものを回し秋にはバルクに納めます。それとは別に命じた船の事です」
「別に?」
割と武力が重んじられるノアーデンで、王太子とはいえ妃に打ち負かされてもなおモンラードが皆から崇められるのは、幼少の頃から頭角を現していた船舶設計の才がある為だ。
ロングシップやドラゴン船と呼ばれる船をより安定するように改良を加えたり、キャラック船と呼ばれる交易船がより荷物を積めるよう設計を変更したりしてモンラードはノアーデンの造船技術の発展に大きく貢献した。
船が安定すれば死人が減る。荷物を多く積めるようになれば一回の航海でより多くの利益が出る。モンラードはその功績で多くの国民から慕われていた。
そのおかげでそれまで船大工棟梁の口伝だった技術をまとめる事に成功し、疎らだった技術の平均化や伝承前の棟梁の死亡により霧散する技術保持に成功した。
船大工の養成所を併設した国営の造船所を建て、均一な品質を持った船を各国に輸出し国を豊かにしたのだ。
モンラードの名誉の為に説明するならば、モンラードは決して弱くない。ただごく普通の剣の才を持っていて妃のソニアに剣の才があり過ぎただけである。
「今までのキャラック船は三本マストでしたが、船の最後尾にジガーマストを追加して四本マストとし、より風を掴み早く安定的に走れるように改良した高速船です。これでノアーデンからバルクまでの航海日数を三分の二にまで抑えれないかと思っています」
モンラードは、バルクからの帰路の間に長年こつこつと設計していた新型船の設計図を書き上げていた。その設計図を父王に見せながら細部の説明を始めた。
「ふむ、新型船の有用性は相分かった。しかし、何故これがリネアの来年の婚約式に繋がるのだ」
「バルクには昨年『黄金の正妃』と呼ばれる皇女アデライーデ様が降嫁されています。そのアデライーデ様がバルクにもたらした恩恵は、父上もご存知だと思います」
「うむ。だからこそ、この縁組を受けたのだ」
「輿入れによりリネアが次代の王妃、テレサ王妃が生母、アデライーデ様が義母となります。しかしテレサ王妃と違いアデライーデ様はリネアとさほど年も変わりません。嫁げばリネアはアデライーデ様と何かにつけ比べられるのは必然です」
「うむ…」
ノアーデン国にも煩く囀る宮廷雀はたくさんいる。父王はモンラードの『父』としての心配に同意した。
「テレサ王妃は軍閥の家の出身でバルク王家を強力な陸の武力で支えています。しかし、バルクは我が国と比べる程の海洋力を持ちません。だからこそ、この新型船を。将来は新型船の改良船をもってバルクの海洋力を高め、我が国がバルクにとってなくてはならない国となる事が、リネアの…そしてノアーデンの国の為になると思います。婚約式での訪問で印象付けられればと思っています」
娘がこれからの人生の殆どを過ごすであろうバルクで、その立場を少しでも良くする為に父としてできる事、そしてノアーデンの王族として国の為に自分ができる事は、これしか無いとモンラードは確信していた。
大義名分は国の為だがその本心は娘の為だ。仮に将来フィリップからの愛が無くなろうとも、新型船が支える未来のバルクの海洋力がバルクでのリネアの後ろ盾となるはずだ。
それには婚約式に新型船を先頭とした大船団でバルクにペルレ島に乗り付け、バルクの貴族と民にノアーデンの力を見せつけなければならない。大きな力は煩わしい雀の口を閉じさせる。
「その為に時間が欲しい…か」
「はい」
「良かろう。春には間に合うのだな」
「必ず」
父王の問いにリネアの父としてノアーデンの王太子としてモンラードは答え、深く頭を下げた。
これがモンラードの「準備」だった。娘を思う父の愛は海溝より深く暖流より温かだった。
モンラード達の帰国後日を置かずして、バルクからリネア姫への正式な縁組の使者が到着した。




