41 晩餐と駒鳥
アルヘルムにエスコートされ、貴賓室の隣の間に移動すると大きなテーブルにテーブルセッティングがされていた。
侍従達が二人の椅子を引き着席する。
「アデライーデ皇女殿下、食前酒はいかがですか?お好みでなければ果物水などもご用意できますが」
アルヘルムがアデライーデを気遣い声をかける。
「ありがとうございます。食前酒をいただきたいと思います」
--食事にはジュースよりお酒がいいです。
「では、食前酒を」
--一応飲めるんだ。
アルヘルムの言葉に給仕が食前酒のボトルを選び、金色の酒がグラスに注がれた。
「殿下との出会いを祝して」
「陛下のご健康を願って」
軽くグラスを掲げ食前酒を口にした。
--少し酸味が強い白ワインのような味だわ…発泡してないからシャンパンとも違う…なんのお酒だろう…
「蜂蜜酒は初めてですか?」
「初めていただきました。美味しいですね」
「バルク国では養蜂が盛んなので、よく飲むんですよ」
「そういえば、タクシス閣下にお会いした折にバルク国では紅茶にも蜂蜜を入れるとお聞きしたのですが蜂蜜はバルク国ではよく使われるのですか?」
「ええ、料理や菓子などにもよく使いますね」
「初めて紅茶に蜂蜜を入れていただきましたが、とても美味しいと思いましたわ」
アデライーデは、にこにこと蜂蜜酒を口にした。
--蜂蜜酒って、甘いお酒かと思っていたけどそうでもないのね。子爵の書いた紀行本に蜂蜜酒の事は書いてなかったけど、この国には美味しい物が沢山ありそうで、期待が持てそうだわ。
「気に入っていただけたようで光栄です」
帝国の貴族はワインやシャンパンを好む。蜂蜜酒は古くからある酒だが帝国では1つ格が落ちる様な扱いを受けていた。戦勝の祝いの席で口直しに馴染みの蜂蜜酒を頼んだときの貴族達の冷笑は今でも覚えている。
だが、アデライーデは蜂蜜酒を気に入ったようでくいくい呑んでゆく。
アルヘルムはさり気なくこの少女を観察していた。
蜂蜜酒を飲むときにどんな表情をするかと思っていたが、美味しそうに飲むアデライーデの心の内を計りかねていた。
--嫁ぐ国に慣れようとしているのか? それとも若いので単に知らないだけなのか…
グラスが空く頃、前菜が運ばれてきた。
前菜は、小アジの酢漬けとニンジンと生ハムのマリネ。
グラスには白ワインが注がれた。
--鯵だわ!こっちに来て初めて!やっぱりお魚はいいわねぇ。お肉も美味しいけど、続くと飽きちゃうし。お箸があれば最高なんだけど。
「……魚がお好きですか?」
アデライーデが真っ先に鯵の酢漬けに手を出したのでアルヘルムは、意外そうに聞いてきた。
「ええ。好きですわ。バルク国の食の事を書いた紀行本にも魚料理の事が書かれていてとても楽しみでしたの」
「ほぅ…我が国の事が帝国で紀行本に…」
「食に造詣の深い方のようで、港町で食べた食事の事が生き生きと書かれていました。絵もお上手なようで挿絵もありましたわ」
「それでは、そのうち港町の方もご案内いたしましょう」
「ありがとうございます。お手すきの時に是非」
コンソメスープと刻んだ卵と小エビを散らしたミモザサラダが順に出てきて魚料理は海老のアクアパッツァだった。
食べやすいように殻は剥かれ、丸く形を整えられた蕪と一口大の海老がゴロゴロ入っている具だくさんのアクアパッツァ。上には刻んだ香草がちらしてある。
陽子さんは感動しつつ、箸ではなくフォークが進んでいる。
「帝国の最後の夜に両陛下とバルク国の海老をオードブルでいただきました。とても美味しかったですが、こちらの海老のアクアパッツァはそれ以上に美味しいですね」
「料理長が聞くと泣いて喜びそうですね」
アルヘルムは、白ワインを傾けながらアデライーデが食事をする様を眺めている。
続く肉料理はボリュームのある牛肉のステーキで、デザートはナッツと干しぶどうの入った小ぶりなケーキに蜂蜜がかけられていたものだった。
食事中は当たり障りなく料理や道中の話をし、アルヘルムは思っていた以上にアデライーデとの会話が弾んでいたことに驚いていた。
帝国の皇女は気位が高く扱いにくいと聞いていた。
まして親子でもおかしくない年の差。この晩餐も会話が弾むことなく淡々と終わるだろう、気の進まぬ事なら『処理』は早い方がいいと思っていたからさっさと始めたのだ。
--意外だな…大人の会話がちゃんとできる。そういう教育は皇女ならこの年で教育が済んでいると言う事なのだろうか。
アルヘルムに限らず、王侯貴族は年下と会う事は成人まであまりない。
ほぼ大人の中で育ち、幼少期に出会える同年は選ばれて用意されたご学友程度。成年後には身分の何たるかの教育を受けた者たちだけなのだ。
初めて年下とダイレクトに接する事ができるのは自分の子供達ぐらいなのだから、大抵はどう子供に接していいかわからないのだ。
当初の予定ではさっさと晩餐をとったあとは、ブルーノと会う予定だったがアデライーデに興味が湧いた。
食後のお茶が出てきた時に、アルヘルムはアデライーデをベランダに誘った。
「少し庭園でも眺めませんか?」
顔合わせの後の晩餐が済めば、即解散と思っていた陽子さんは少し意外だったが、食事中の会話は楽しくできたし断る理由もないので快諾する。
--そんなに長くはないと思うし…初めてのお誘いは断らない方がいいわよね。
給仕は給仕長に急な予定の変更を足早に告げに行く。
お茶を飲み終わる間に、ベランダの席が整えられていたようですっかり日のくれた庭園の所々には篝火が焚かれていた。
そろそろ晩春とはいえ、日が暮れれば肌寒くなる。
ベランダのソファに移動したアデライーデには暖かな羽織物が用意された。
「飲み物は何がよろしいですか?」
「では、蜂蜜酒を」
陽子さんは遠慮なく酒を所望した。
度の過ぎない飲みニケーションは、嫌いではない。
酒飲みの性である。
--これから夫婦になる相手なら早めにコミュニケーションが取れていたほうがいいしね。お茶より口が軽やかになるはず。
二人の前に蜂蜜酒が用意されると、給仕達は下がり侍従長とマリアだけがベランダの端に控えていた。
「殿下とのご縁に」
「皆さんの歓迎に」
軽くグラスを掲げ蜂蜜酒に口を付けると、アルヘルムから話しかけてきた。
「殿下には、我が国の食事を気に入っていだけたと思って良いのでしょうか」
「もちろんですわ これから楽しみです」
「帝国の方は魚はあまりお好みでないと聞いてきましたが、殿下は海老はお好きと聞き皆張り切ってました。これから腕を奮ってくれると思います」
「とっても楽しみですわ」
アルヘルムは、一口蜂蜜酒を口にするとアデライーデに問うた。
「殿下はバルク国をどう思われますか」
「どうとは?」
「帝国に比べ、小国の我が国は殿下にとってこれから不自由な事も多いと思いますが…」
「皇后様も同じ質問をされましたわ」
「皇后陛下が?」
「ええ、全く同じ質問です」
「殿下はなんとお答えになったのですか?」
「これから大きくなる伸びしろのある国だと思いますと答えました。それに…お食事も美味しくて楽しみな国だとも。お父様も皇后様もバルク国は落ち着いた穏やかな国だから安心だと送り出してくださいましたわ」
「それは最上の賛辞ですね」
「帝国でバルク国の事を私なりに勉強しましたが、もっとこの国を知りたいと思います」
「殿下は…そういう風に我が国を思ってくださってましたか」
と、アルヘルムは笑顔でグラスを手にとった。
--聞く限り厄介払いでは無いような… 嘘で取り繕っているようには見えないが…
和やかである。
--今…今ならお願いできるかも…
陽子さんは場の和み具合を計ってお願いを口にする。
「あの…もしよろしければ、できれば『殿下』はお辞めになっていだたけると…」
「………」
確かに今は皇女なので正式な敬称は殿下だが、陽子さんにとって殿下といえば下膨れで踊りが上手な殿下しか思い浮かばない。
ーー連載当初から読んでいたのよ…
殿下呼びされるとどうしても頭をあの曲がぐるぐる回るのよね…
アルヘルムは、アデライーデのお願いに少なくない衝撃を受けた。
国の大小を問わず、未婚の王族貴族女性を敬称無しで呼ぶことができるのは家族のみ。婚約者で幼い頃からの婚約者であれば私的な場では愛称で呼んだりするが、結婚までは大抵『名前+嬢』と呼ぶ。
そして社交界で女性から敬称無しで呼べというのは、肉食系夫人の直接的な「お誘い」の時くらいだ。
--確かに2週間後には婚姻だか… 積極的なのか…
それとも名前で呼べと言っている意味を知らないのか?
「だめ…でしょうか。帝国でも殿下と呼ばれたことが無く、呼ばれるのに慣れてなくて…」
「そういう事であれば…アデライーデ様とお呼びしてもよろしいでしょうか」
ぱあァァとアデライーデの顔が輝いた。
--良かった!これで解放されるわ!
--そうだよな。こんな子供がお誘いなど無いな。
思ったよりしっかりしているから考えすぎた。
「ありがとうございます。陛下」
「では私の事も陛下では無くアルヘルムとお呼びください」
「よろしいのですか?陛下は呼ばれ慣れていらっしゃるのでは?」
「よく呼ばれるが、未だに慣れないですね」
「ふふっ…お父様も同じ事を言ってましたわ。未だに注目に慣れないって。どこの国の国王もみな同じなのかもですね」
「………。 そうかもですね」
蜂蜜酒が空になると、冷えてきたのでとベランダの二次会はお開きになった。
--殿下呼びもやめてもらったし、なかなかに有意義な晩餐だったわ。
暖かな羽織物のお礼を言い、アデライーデは退室の挨拶をしてマリアを連れて自室へと戻っていった。
アルヘルムは晩餐室までアデライーデを見送ると、ブルーノが待つであろう執務室に戻っていった。




