408 波乗りと男の子
「えっと、なぜアルヘルム様もご一緒に?」
「そりゃ、貴女が面白そうなものを造らせたと聞いてね。離宮の警備隊にも協力させたんだろ? やはりここは、私も見ておくべきだと思ったんだよ」
馬車からきたわくわく顔で降りてきたフィリップに続いて、にこにこ顔のアルヘルムも離宮の警備隊の訓練場に降り立った。
同じような表情をするところはやっぱり親子である。
「アデライーデ様、前回お話いただいていたものができたと聞いて、すごく楽しみでした」
挨拶もそこそこに目を輝かせるフィリップに、アデライーデから笑みが溢れた。
「ええ、あちらにありますよ」
そう言ってアデライーデが指差したのは、訓練場の隅に建てられたテントだった。見れば1メートル程盛り土をした上に丸い床が置かれ、その板の縁にはぐるりとコの字型の黒い鉄の取っ手がついていた。
ぱっと見、陽子さんにはお相撲の土俵に見えなくもない。
薫達の小学校は新しく作られた小学校だったのでそんなものはなかったが、戦前からある古い小学校の校庭の片隅には土俵があった。陽子さんの通った田舎の小学校にも瓦を乗せた屋根が付いた立派な土俵があったのを覚えている。
「あれ、ですか?」
「あれ、かい?」
何となく船の形をイメージしていたフィリップとアルヘルムは、きょとんとした顔をしながら同じ質問をした。
「ええ、まずは協力してくださった警備隊の皆様に『あれ』をどう使うか、やってもらいましょうね」
アデライーデの言葉に、一緒に出迎えた警備隊長のラインハートがさっと手を挙げると二十名程の兵士が土俵をずらりと取り囲み始め、アデライーデ達は土俵の前に用意されたテーブルの席についた。
そして、稽古用の木刀と木の小楯を持った兵士が二人東西から土俵に上がった。
「用意!」と言うラインハートの声と同時に、土俵を取り囲んだ兵士達が一斉に床に付いた取っ手を掴み、「おりゃー」という掛け声をかけながら床を動かし始めたのだ。
ゴロゴロゴロゴロ
遠くに聞こえる雷のような音が土俵から聞こえ始めると同時に、船の上のように床が動き始め足元が不安定な状態になる。
「始め!」
いつもなら開始の礼をしてから練習試合を始めるが、床が動くのでそれは省かれるらしい。兵士達は不安定な床に足を取られながら、木剣を打ち合う。
「大波!」
ラインハートの掛け声と共に床が大きくゆっくりと動き、その揺れに引きずられながらも、兵士達は何とか木剣を打ち合っていた。
「小波!」
掛け声に合わせ、今までの揺れる方向とは違う角度で揺れ始め、その揺れに足を取られ二人は共に膝をついた。
「止め!」
ラインハートの掛け声と共に床の動きは止まり、フラフラとしていた兵士達はアルヘルム達に礼をとり土俵から降りていく。だがしかし、少し揺れが体に残っているのか足元はおぼつかなかった。
模範試合をぽかんと見ていたアルヘルムは兵士達の礼を受け「大儀であったな」と声をかけると、首だけ動かして隣のアデライーデに目をやり、土俵を指さした。
「説明してもらっても、いいかな?」
アデライーデはこほんと咳払いをして口を開いた。
「あれは、簡単な船の揺れを再現する疑似体験装置ですわ」
アデライーデの言葉と共に、マリアがビーズのソリテールの箱と刺繍の枠をテーブルの上に置いた。
アデライーデは箱からソリテールを取り出すと蓋をひっくり返して刺繍の枠を置き、その枠の中にビーズを入れるとビーズの上にソリテールの台を置いた。
「仕組みは簡単なんです。板と板の間に玉をいれて台を支えて滑りやすくするんですよ。で、力を加えると台が動くんです」
そう言って、アデライーデは指一本でソリテールの台をするすると動かす。
「なるほど、木材の切り出しや大岩を動かす時に使う丸太のようなものか」
「はい。丸太でもいいかなと思ったのですが、丸太だと一定方向にしか動かないので、マデルに頼んで鉄球をたくさん作ってもらいました。丸い物だと、力の入れ具合で不規則に動くので、そちらの方が波っぽいかなと思ったんです」
そう、陽子さんは子供達を連れて夏休みに訪れた都の防災センターにあった地震体験装置にヒントを得たのだ。
もちろん現代の防災センターの体験装置は、専門の装置で縦揺れ横揺れなどの体験ができる。波の縦揺れは無理だが、これなら横揺れの体験はできる。
あの日フィリップを見送ったあと、早速アデライーデはマデルと孤児院を建てた建築工房の棟梁であるスタンリー、それに離宮の警備隊長のラインハート・コンラディンに来てもらうようにレナードに頼んだ。
マデルはいつもの事だが、スタンリーとラインハートはアデライーデからのこの手の呼び出しが初めてである。
レナードから「アデライーデ様が作って欲しいものがあるとの事ですので、そのご相談とご協力を」と請われ、スタンリーはまたなにか建てるのかと思い、ラインハートは「警備隊に協力?」と、首を捻りながらやってきた。
アデライーデから話を聞きマデルとスタンリーは面白がっていたが、ラインハートは黙ってアデライーデ達のやり取りを聞きながら、この装置の設置場所を思案していた。
あと本当にこんな物が役に立つのかと、ちょっと疑っていたがそれは口にしないでおいた。
最初は地面に50センチくらいの深さの丸い穴を掘って兵士達をしゃがませ上板を動かそうとしたが、板はなかなか動かなかった。上板を軽くしてもらったり、鉄球の大きさや数を増やしたり油を塗ったりしたが動きが悪い。
これはしゃがんで力が入れ難いからだと兵士達から進言があり、逆に盛り土して兵士達が踏ん張れるようしたのだ。何度も高さ調整の為に盛り土を作り直し、船に乗ったことがある者が板の動かし方を指導して工夫をした。
ちなみに警備隊全員この波乗り装置を試したが、尻もちをつく者が続出し、まともに打ち合えたのは模範試合をした二人だけである。ラインハートも足を取られ尻もちをついた。
「ふむ、面白そうだな。フィリップ、やってみようか」
アデライーデの説明を聞いて、自分でも試してみたくなったアルヘルムがフィリップを誘う。
「陛下、まずは揺れに慣れるため『立つ』事から、お勧めします」
尻もち組のラインハートが、木剣を手に取ろうとしたアルヘルムに経験者としてアドバイスをする。
「お! おおう!」
「え? わぁあー」
三揺れもしないうちに二人は、尻もちをつく。
「ははっ。馬上の揺れとはまた違って、これはこれで楽しいな」
「はい! 足元が揺れるなんて初めての体験です。父上」
「揺れてる間に飛び跳ねるとどうなるかな」
「やってみます!」
ーあー、なんていうのかしらね。別世界でも男の子って同じようなこと考えるのね。
防災センターでも電車の中でも同じ事を言って飛び跳ねていた祐人を思い出し、楽しそうに転んでいるアルヘルムとフィリップを見ながら陽子さんはコーラのおかわりをしていた。
ちなみにこの仕組みは、のちに職人達が馬車の車輪に応用し飛躍的な車輪の開発を遂げバルクの輸出品となるのは、もっとずっとあとの話である。
床が動く土俵は、簡単なベアリングの仕組みを利用してます。ベアリングが最初に使われたのは紀元前で木製の玉で女神像を動かしたんじゃないかという伝承があるみたいですね。記録に残っているのはもっとずっと後ですが…。




