404 サーモンと訓練
「え? ノアーデン国では船上でも剣術の稽古をするの?」
「はい、対海賊用の訓練として行います」
カエルを渡してから、フィリップ殿下は目を輝かせて虫や魚捕りの話をし始めた。リネアもその手の話は嫌いではない。いや、むしろ好きな部類なので自国での魚の捕り方をフィリップに話した。
フィリップは特に赤い身の魚…サーモンの話を目を丸くして聞いていた。バルクでは海流が違うのかサーモンは捕れないからだ。
白身の魚しか知らないフィリップは話を聞きたがり、その魚が秋には河でも捕れるが注意しないと熊と遭遇してしまう話や、冬には寒さで河が凍ってしまう話を夢中になって聞いていた。
それらの話の流れでノアーデンの海や船の話となり、船上での剣術の話となった。
女官からバルクの殿方との話題では剣術は好まれないと聞いていたが、フィリップはリネアに楽しそうに剣術の話を振ってくる。
果たして話をしていいものかと、ちらりと後ろを見ると女官はただ微笑んでいた。
ーなるほど。私から話題として出すのはダメだけど、フィリップ様から振られたのなら話しても良いのね。
リネアは女官の笑顔をそう理解した。
好みは人それぞれだ。好むから楽しそうに話題にされるのだとリネアは解釈し、であれば話を広げなければと、リネアは去年の夏の船上での剣術の稽古の話を始めた。
フィリップは当然ながら船上での剣術の稽古をしたことがない。二人は初夏に溢れるように花が咲く庭園を歩きながら、お互いの日々の鍛錬の話をしていた。
傍目に見れば美しい庭園でお人形のような美少女と美少年が笑い合いながら散策をしている図だが、話題は汗臭い剣術の稽古の話や馬術の訓練の話だった。
「フィリップ様、そろそろお時間かと思われます」
本来の顔合わせの時間を少し過ぎた頃、ナッサウが二人に声をかけた。
「え、もう?」
「はい。ノアーデン王太子ご夫妻もお待ちにございます」
「そうか。ではリネア殿下、戻りましょうか」
「はい」
ナッサウの言葉に素直を従い二人はお互いの両親が待つ部屋へと踵を返すが、部屋に着く間にも二人の口が止まることはなかった。
「庭園を楽しんできたか?」
アルヘルムの問いにフィリップは元気よく「はい」と答え、同じようにリネアも両親の微笑みに笑顔で返事をした。
「さて、今日は有意義な時間を持てましたな」
アルヘルムとノアーデン王太子はがっちりと握手をし、テレサとノアーデン王太子妃もお互いに微笑みあう。どうやら大人同士もお互いに満足のいく警備艇の契約ができたようだ。
大人達はそれぞれに別れの挨拶を交わし始めた。公式の場では迎えた側が先に別れの挨拶をするのが慣例だ。フィリップはリネアに向かい合うと、以前正式にアデライーデの離宮訪問した際の別れの挨拶を思い出し、満面の笑顔でリネアに別れの挨拶を口にした。
「本日は楽しい時間をありがとうございました。夢のような時間で、あっという間に過ぎてしまったのが名残惜しいです。またお会いした時に、夢の続きのお話をしてもよろしいでしょうか」
「「「!」」」
お互いの両親と、その場にいた使用人達の時が止まった。
「はい! 夢のような楽しい時でした。私もぜひフィリップ様と夢の続きの話ができる事を楽しみにお待ちしております」
リネアもフィリップの挨拶に見事なカーテシィをしたあとに笑顔で挨拶を返した。
ーはっ!
誰よりも早く精神を復旧させたナッサウがコホンと咳払いをすると、止まっていた周りの者の時間が動き出した。
「それではお見送りを」
ナッサウの言葉に周りがぎこちなく動き出し始めるのをよそに、フィリップはごく自然にリネアに手を差し出しリネアも自然とフィリップの手を取って、歩き始めた。
フィリップがリネアにかけた言葉は「正式な」婚約者と別れる時に男性側がかける言葉であり、リネアが返した言葉も「正式な」婚約者として女性側が返す言葉である。
言葉を発した本人達は、その意味を分かっているのかは定かでない。
「こほん」
アルヘルムが軽く咳払いをしてからノアーデン王太子に言葉をかけた。
「確か、暫くライエン伯爵領に滞在されるご予定とお聞きしたと思いますが…」
「え、ええ。暫くはライエン伯の競馬を楽しみながら、今年生まれた仔馬の吟味をしようかと…」
父親達はぎくしゃくしながらも、お互いの今後の予定を確かめあう。
母親同士は、ホホホと笑い合いながら「微笑ましいですわねぇ」と頷きあい、胸の内では本人とお付きの者に確かめなくてはと思っていた。
その後は無事にお見送りを済ませ、フィリップはナッサウと一緒にお疲れ様のお茶と言う名目のアルヘルムとテレサの尋問を受ける事となった。
同じくバルク王宮からの帰りの馬車の中で、何故か「バルクは遠い! 遠すぎる」とぶつぶつ言う父親とただ笑って自分の話を聞いてくれる母親に今日の楽しかった話をし続けていた。




