402 お人形とカエル
「はじめまして、リネア王女殿下。お会いできて光栄です」
「こちらこそ、お会いできて光栄です。フィリップ王子殿下」
紹介はすでにそれぞれの親からされているので、二人は簡単な挨拶を交わした。
リネア王女は白銀に近いストレートの長い金髪で透けるような肌とアデライーデと同じような青い瞳を持っていた。北国の人達は総じて背が高く、リネアもフィリップより少し背が高い。
ふわりとしたシフォンの青いドレスに銀のローリエを模した髪飾りをつけたリネアは、お人形のように可愛らしかった。
ーえっと、何から話そうかな。
フィリップは事前に調べていたノアーデン国の事を思い浮かべた。
ノアーデン国は深い森と豊かな海に恵まれ造船業と漁業が盛んだ。その分、厳しい気候で穀物の栽培にはあまり向かない。南部はじゃがいもや大麦を主力に北部は畜産に力を入れている。
「こちらへの旅でお疲れではないですか?」
「いえ、道中花が咲き乱れ我が国ではあまり見ない花々の景色を楽しめました」
お互い定型文を読むようなぎこちない会話だが、とりあえず無事に会話は始まった。
ー花の話題が出たから、なにか花の事を…。
「庭園の花も盛りでございます。フィリップ様、リネア王女にご覧になって頂いては?」
フィリップが一瞬話題を考えた時に、すかさずナッサウが進言した。
ーえ?
いつもならこの場でコーラか果実水を一杯飲み、二つ三つの話題で会話する程度だった。庭園への案内もするなら、いつもの倍以上の時間がかかる。
ちらりと父母を見ると、親は親達で和やかに談笑していた。ナッサウもノアーデンの従者達も笑顔を浮かべたままだ。今までに無い流れである。
ーという事は、父上はノアーデン国からより良い条件で船を買う為に親睦を深めようとしていらっしゃるんだ。
今回帝国をはじめとした近隣諸国からの招待客が来ている。ゲルツ先生からも、招待客達はバルクとだけでなくお互いに商談を交わしたり親睦を深めたりしていると聞いた。
今まで以上に自分にそういう役目を期待されていると思ったフィリップは、にっこりとナッサウに頷いた。
「リネア殿下、いかがですか?」
「はい。ぜひ」
フィリップの誘いにリネアも笑って同意した。
バルクの初夏を彩る花は、エルダーフラワーやロビニエ(ニセアカシア)、ワイルドローズ達だ。薔薇も早咲きのものは庭園のあちこちで咲き誇っている。
庭園に降りる短い階段で、フィリップはリネアをエスコートする為に手を差し出した。リネアはにこりと笑い「ありがとうございます」とその手を乗せた。
ーん? 固い?
貴族令嬢が持つのは刺繍針や絵筆くらいで、とても柔らかい。それなのにお互いの手袋越しにわかるくらいにリネアの掌に固い何かがある。
「……」
「なにか?」
「いえ、どうぞこちらに」
緊張気味に聞いてきたリネアに、フィリップは笑顔で庭園の方を指し示した。
ぞろぞろとお付きの者を従えて、フィリップは夏用の庭園を案内する。夏の庭園は日傘を持たずとも歩けるように随所に日陰ができるように木が配置されている。
フィリップはナッサウから教わっている花や木の名前を紹介しながら庭園の散策を始めた。リネアも自国で見たことがない花があると軽く質問しフィリップも、簡単にだがそれに答えていた。
「フィリップ殿下は花樹にもお詳しいのですね」
「お小さい頃よりこちらを散歩されておりますので」
ナッサウとリネア付きの女官も後ろで二人を微笑ましく見ながら付き従っていた。
ナッサウは、リネア王女をエスコートしているのがアルヘルムでなくて本当に良かったと胸をなで下ろしながら目を細めていた。
当時のアルヘルムであれば、「あれは白い花、あれは赤い花」と説明していただろうと思うからだ。
庭園の中にある池のほとりにつくと、睡蓮の葉が一面に広がり所々に花を咲かせていた。魚が泳いでいるのが分かるくらい透き通った水は初夏の日差しを反射させきらきらと輝いていた。
「あら、カエルがいますわ」
「あ、本当だ」
子供らしく二人は池のほとりにしゃがみ込む。大分打ち解けたのか、二人は少しくだけたしゃべり方になっていた。
「アマガエルがいますね」
「うん。大きいのから小さいのまでいるね」
「親子でしょうか」
「そうかも」
二人が見つめる先には蓮の葉に乗った大きめのカエルが、げこげこ鳴きながら喉を震わせていた。
「可愛いですね」
「うん。真っ黒の大きな目だよね」
ーうん?
ーはっ!
子供達の会話にナッサウは声にならない疑問符を浮かべ、女官は危機感を募らせた。
ぱしゃーーん!
その時、近くて大きな魚が不意に跳ねる。それに驚いたのか小さなカエルは水の中に、大きなカエルはその自慢の脚力で大きく跳ねた。
そう。フィリップ達の方に向かって。
げこーー
ぐわしっ!
「あら、すごく跳ねましたね」
フィリップ達の方に跳ねてきたカエルをリネアは躊躇無く空中で掴んだ。カエルはいきなり掴まれて驚いたのか、ジタバタしている。
フィリップもカエルに飛びつかれたことがあるのでちょっと驚いたが、それより素手でカエルを捕まえたリネアに驚いた! 自分は網でしか捕まえたことがなかったからだ。
「う…うん。でもすごいね! カエルを素手で捕まえられるんだ! 僕は網でしか捕まえたことがないんだ」
「いえ、慣れれば簡単ですよ」
「本当に?」
目を輝かせてカエルを持つリネアに笑いかけるフィリップと、カエルをひっくり返しながら「お腹を軽く突くとぴくぴくするんです」と笑顔でフィリップに渡すリネアに、二人はカエルの話だけでなく虫や魚捕りの話で盛り上がっていった。
「あ…あああ」
そんな二人の後ろで、リネア付きの女官が膝から崩れ落ち、ナッサウはそっと女官に手を差し伸べた。




