386 手紙と思惑
「お祖父様どうしてなの? どうしてあの女をそのままにしておけだなんて仰るの?! あの女はエリアスに未練があるのよ! 修道院がだめなら僻地の貴族か他国、年寄りでも赤ん坊相手でも良いでしょう? すぐに縁談を用意して私の目の前から消して下さい! 目障りだわ!」
翌日カトリーヌのもとを訪れたダランベールに、カトリーヌは烈火のごとく噛みついた。
「クリンガー家は、殿下の降嫁に協力をしてくれた家なのだよ。その家の令嬢に世間的にみて不利益だと言われるような家との縁談は組めない。聞き分けなさい」
ダランベールはいつも見せる優しい祖父の顔ではなく、無表情な顔でカトリーヌにそう告げた。
滅多に無い事だが、ダランベールがカトリーヌを殿下と言う時には、なにを言っても無駄だと言うことはわかっている。
「代わりに、お前の好きな物を贈ろう。ドレスでも宝石でも何でもいい。公爵夫人として相応しいものを何でも言いなさい」
ダランベールの甘やかせる言葉を聞いてもカトリーヌは悔しそうな顔をして、黙って応接間を出ていった。
ダランベールはやれやれという顔をして、メイドにお茶を取り替えるように命じた。
昨日の夜会の事は、朝一番にダランベールのもとに届いた二通の手紙で知った。一通はカトリーヌにつけた令嬢達の家からの手紙で、もう一通はエリアスからの手紙だった。
ダランベールはすぐさま夜会に出席していた派閥の貴族達やカトリーヌにつけていた令嬢達を呼び出し、詳しく話を聞いてみたが、エリアスとクリンガー嬢は型通りの挨拶を一言交わしただけだったと言う。
会話の途中で目が合ったかもしれないが、見つめ合ったと言うほどでなくエリアスは終始冷静に対処し、クリンガー嬢もカトリーヌが言うような未練のある態度や言葉遣いもしてなかったと聞いた。
縁談の話を辞退した事がカトリーヌの機嫌を悪くしたのだろうと、皆が口を揃える。
だが家と家との繋がりである縁談の話など、いかに皇女からとは言え、家長でもない限りやすやすと受けられる事ではない。やんわりと遠慮した事は、子である令嬢としての正しい対処だったとしか言えない。
応接間の扉が開いてメイドを連れた美しい女性が入ってきた。三十路を少し過ぎたくらいに見えるが、彼女はカトリーヌの母であり、この離宮の主であるダランベールの娘のビルギット妃だった。
「お父様」
「ビルギットか。カトリーヌはどうだ」
「部屋に籠もっていますわ。暫く出てこないでしょう。カトリーヌは悋気を起こすほど、エリアス卿の事を気に入っているようですわ」
そう言ってビルギットはサイドボードの上の花瓶に目線をやった。
応接間のサイドボードの上に飾られている真っ赤な薔薇の花は、今朝早くカトリーヌ宛にクレーヴェ家から届けられた花だった。
受け取った時には笑顔を見せていたくせに、部屋にはもう置くところがないからと、カトリーヌはここに飾らせたのだ。
昨晩エリアスはカトリーヌを送ってきた際に、ビルギットにも経緯を説明し、カトリーヌの名誉を傷つけるような状況にさせてしまったのは自分のせいだと庇っていた。
ビルギットもエリアスの礼儀正しく謙虚な姿勢を気に入っていた。
「呼ぶまで下がっていなさい」
ビルギットがメイドに命じると、メイドは二人にお茶を差し出して部屋を出てった。
「余計な事を言ってくれたものよ。公の場で『良い』嫁ぎ先など……」
メイドが出ていったのを確認してからダランベールは熱いお茶を一口飲むと、ティーカップを置き深くソファに身を預けた。
帝国は昨年まで大戦が長く続いた。そのような時代には貴族の結婚は早くなる。特に前線で指揮官になる下位貴族は早く結婚して後継を残す事が求められるからだ。
カトリーヌの嫁ぎ先にも苦労したが、伯爵家の令嬢で良い嫁ぎ先となると、爵位は同位以上となり下位貴族に嫁ぐ場合は裕福な子爵までに限られる。
派閥の長なればこそ、自分の頼みを聞き従ってくれた家を疎かに扱う事はできない。『秘められた恋』の代価はケチること無く、旨味をつけて当主に払っている。
クリンガー家の令嬢も当主に従い固く口を閉ざし、弁えた行動をしている。
ーその令嬢のいく分かでも、弁えてくれれば良いものを。
「お父様。縁組は難しいのでしょう? だったら、どこか適当な領地でもその令嬢の個人資産として贈るのはどうかしら? エリアス卿は機転を利かせて、クリンガー伯爵に『褒美』とぼかしてくれたそうよ」
「そうだな。そうするしかあるまい」
ダランベールは、ソファから体を起こすと紅茶に口をつけた。
「でもカトリーヌの降嫁は、ダランベール家にとって良き方に転がりましたね。まさか陛下が公爵位を授けてくださるとは思いませんでしたわ」
「あぁ、それもお前のおかげだな。カトリーヌの面差しは他の誰より陛下に似ている。だからこそ陛下もカトリーヌに愛情があるのであろう」
「皇子を産めなかったのが残念ですが、カトリーヌが男の子を産めば王位継承権を持ち、女の子であれば未来の皇后も夢ではありませんわ」
「うむ。その為にもカトリーヌには、是非とも子を産んでもらわねばな」
窓の閉まった応接間のサイドボードの花瓶から、薔薇の花びらが一枚、音もなく落ちた。




