385 再会と火種
夜会に戻って末座の方に向かって暫く歩くと「あの青いドレスの令嬢がユリア・クリンガー嬢です」と、エリアスが足を止め目線でカトリーヌに告げた。
少し先の人だかりができている場所に向かってエリアスの視線が伸びている。確かに人だかりの中心に青いドレスが見える。
そちらを目指してカトリーヌ達が近づくと、それと気がついた者たちが道をあけて軽いお辞儀をし、興味深さを隠しながら知らぬふりをして、それぞれに会話を始めた。
カトリーヌが普段交流するのは幼い頃から付き合いのある派閥の有力侯爵令嬢がほとんどで、そうではない伯爵令嬢達と親睦を深めることはない。
クリンガー家も同じ派閥だから、主要な行事での家族揃っての挨拶を受けているはずだったが、ユリアは特にカトリーヌの印象に残ってなかった。
「お久しぶりです。クリンガー伯爵令嬢」
「お久しぶりでございます。クレーヴェ公爵子息様」
エリアスは、無表情な灰青の瞳でユリアへの挨拶をし、ユリアは伏し目がちにエリアスの新しい爵位で挨拶を返した。
二人が挨拶を交わす間にカトリーヌと親しくしている侯爵令嬢達が、そっとエリアス達の後ろについた。
「まぁ…。ご立派なこと」
「さすが、皇女様を迎えて新公爵になるだけあって、元婚約者にもそつのない挨拶ですな」
扇で口元を隠し眉を顰めた夫人達と、冷笑を浮かべた紳士達は遠巻きにエリアスとユリアの公式の場での再会を眺めている。
「カトリーヌ様、こちらがユリア・クリンガー伯爵令嬢です」
「皇女様にご挨拶申し上げます。クリンガー伯爵が末子、ユリアと申します」
ユリアは皇族に対する最上級のカーテシィをし、静かに微笑みを浮かべた。ユリアの後ろにいた二人の友人はいつの間にか姿を消してカトリーヌ達の前にはユリアただ一人が立っていた。
ユリアからの挨拶を受けている間、カトリーヌはユリアの品定めをしていた。
元婚約者は、特徴のないぼやけた金髪に人並みの顔立ちと暗い緑の目。多少肌が白いくらいだが、どれをとっても凡庸な容姿だ。翻って自分は王族の特徴である輝くような濃い金髪に母親譲りの明るい緑の目である。
エリアスが言ったように、自分の足元にも及ばないユリアの容姿にカトリーヌは心地よい優越感を感じていた。その証拠にエリアスは元婚約者を見ても顔色一つ変えないのだから。
公にはユリアは、自分の『秘めたる恋』の協力者なのだ。皆の前で労いのひとつもかけてやろうとカトリーヌは口を開いた。
「長い間、ご苦労だったわね」
「い……いえ、私の様なものが、皇女様のお役にたてた事を嬉しく思います」
ユリアは、目線を上げすにただ口角をあげた顔で答える。
ユリアの返事を気に入ったのか、カトリーヌは気まぐれを起こした。
「私からの褒美に、貴女に良い嫁ぎ先を紹介してもらうようにダランベールのお祖父様にお願いしておくわ」
このカトリーヌが気まぐれに発した言葉にユリアはびくりと目を上げた。揺れる瞳でユリアはカトリーヌを…、いや正確には目の端に映っているだろうエリアスを見る。
「そのような過分な褒美を頂く訳には……」
と、返すユリアの言葉にカトリーヌの眉が動いた。
「あら。私からの褒美が気に入らないのかしら?」
気まぐれとは言え、自分が与えた厚意を断られた事が無かったカトリーヌは、とたんに不機嫌を声に出した。
「いえ、そのような事はございません」
ユリアはカトリーヌの言葉に視線を落とすしかなかった。
「まさか、そのような事はございませんわ! ねぇ?」
「ええ、クリンガー伯爵令嬢は、カトリーヌ様のご厚意が余りにも大きくて戸惑ってらっしゃるだけですわ」
「ええ、そうですとも」
カトリーヌの不機嫌を察知した侯爵令嬢達が、すかさず割って入ってきた。
彼女達は幼い頃からカトリーヌの遊び相手としてつけられている令嬢達だ。彼女達はカトリーヌの性格を熟知している。激情家のカトリーヌが夜会や茶会で万が一にもなにか起こさないようにと、家から課せられた役目を彼女達は必死に守ろうとしている。
皆の注目とカトリーヌの気持ちと目線がほんの少し離れた時、ユリアは目線を横にずらし、そっと右手を頬にあてた。
困っている。
周りは、そんな仕草に見えていただろう。
その時、周りの誰も気が付かなかったが、エリアスの体が強張ったのを腕を組んでいたカトリーヌだけが感じ取った。
カトリーヌはエリアスを見あげるが、エリアスは表情を変えず前を見据えたまま耳元の髪をかき上げた。一瞬だけその手が耳に止まったが、手は自然と元の位置に戻った。
ユリアを見ると、先程まで真っ白だった頬にほんの少しだけ赤みがさし、目が潤んでいた。
周りから見れば、突然の褒美を過分なものと慎み深く辞退した令嬢と、長年婚約していたにも関わらずあっさりと爵位の為にそれを皇女との偽装婚約と謳い、元婚約者の窮地にも何もしない冷血者として映っていた。
だが、カトリーヌだけは違った。
何故とはわからないが、ユリアの頬の赤みからユリアはエリアスに心を残しているのだと確信した。そして、それがエリアスを動揺させたと思った。
『でも、ユリア様はお心を残されているご様子よ』
先ほどベランダで聞いた噂話が頭の中で響く。
ー私のものに手を出すつもり?!
カッとなったカトリーヌが、ユリアに詰め寄ろうと一歩前に踏み出そうとした時、エリアスが腕に回されたカトリーヌの手に手を重ね、カトリーヌの動きを制した。
「なにをするのよ!」
母親と祖父以外に自分の行動を止められたことのないカトリーヌは、持っていた扇でエリアスの手を叩いた。
その場にいた誰もが固唾を飲んで、事の成り行きを見守る。
「ご令嬢への褒美であれば、家長を通された方がよろしいかと。縁談となればどちらにしろ家長同士の話し合いとなります」
手を叩かれたことなど意にも介さないように、エリアスは貴族の笑みを浮かべ淡々と進言する。
そして、小声で「周りのご確認を」と囁いた。
エリアスの言葉で周りに目をやれば、とばっちりを受けないように気が付かないふりをする紳士や顔を扇で隠しひそひそと囁く夫人達、どうやってこの場を収めようかと戸惑う侯爵令嬢達の視線が飛び込んできた。
今までカトリーヌは各派閥の混じる夜会や茶会に出ても、自身の機嫌を取ってくれる祖父の派閥の高位貴族達との交流しかしてこず、このような視線で大勢から遠巻きに見られる経験などなかった。
ーくっ…。なんて無礼なの。皇女の私に対して!
丁度その時に、ユリアの友人達が呼んできたクリンガー伯爵夫妻が、足早にその場にやってきた。
「これは、カトリーヌ様。席を外しており申し訳ございません。ご機嫌麗しゅうございます。なにか我が娘にお言葉を頂いたようですが?」
にこやかにだが笑っていない目で、クリンガー伯爵はカトリーヌに丁寧に挨拶をした。
伯爵夫人は娘をそっと抱き寄せ伯爵と自身の後ろに隠し、その両脇を友人らが固める。
伯爵に問われたカトリーヌが不機嫌に目を逸らすと、エリアスはカトリーヌを隠すように前に出て、伯爵の言葉を受けた。
「カトリーヌ様は、此度のご令嬢の協力に深くお心を動かされ、個人的にも褒美を取らせたいとの事です」
「それは、なんとありがたき事でしょうか。ただ我が家はカトリーヌ様のお役に立てればと役目を果たしただけでございます」
クリンガー伯爵は大げさに受け応えてみせる。
「後日ダランベール侯爵から正式なお話があるでしょう。本日はカトリーヌ様もお疲れのご様子なので、これにて失礼する」
エリアスはそう言うと、クリンガー伯爵の返事を待たずにカトリーヌに腕を差し出すが、カトリーヌは歪んだ扇を握りしめて動かない。
「さぁ、お手をどうぞ。離宮までお送り致します」
カトリーヌは怒りと羞恥に苛まれながら、エリアスの腕を取るしかなかった。




