384 特別と夜会
「そのような事も知らないとは、学院からやり直した方が良いのではなくて?」
「申し訳ございません…」
カトリーヌのせせら笑う声に反論もせず、ユリア・クリンガー伯爵令嬢は静かに目線を下げた。
問われた事に正解はなく、何を選んでも間違いではない。ただ好みの問題であるが、それがカトリーヌと一緒ではなかったというだけだ。
正しい答えのある問いに、正しい答えを口をしても言い方に敬意がこもってないとか、小馬鹿にした口調だと難癖を何度もつけられている。
ここはダランベール派閥の伯爵家主催の茶会で、主催者の伯爵夫人と令嬢もヒヤヒヤとした顔で事の成り行きを見守るしかなかった。
皇女カトリーヌとエリアスとの婚約、それに伴うクレーヴェ家の公爵への陞爵の公式発表は帝国貴族の話題を攫った。と、同時にエリアスの偽装婚約の話が本当のことなのかと陰で囁かれていた。
初顔合わせでエリアスを気に入ったカトリーヌは、当初ユリアの事をさほど気にしてなかった。
ダランベールの祖父からは「秘められた恋」の目眩まし役として、クリンガー家には旨味のある商取引を結ばせ十分な見返りを渡してあると言われていた。
母からも「貴族の結婚とはそういうもの。貴女がクリンガー家の者に恩義や負い目を感じる必要はないわ。寧ろクリンガー家はクレーヴェ家と縁を結ぶより多大な恩恵を受けたのよ。感謝されても良いくらいだわ。ユリア嬢も家の役に立ったと家門の中で立場を上げているはずよ。私のようにね」と、優しく手を撫でてくれた。
母も当時派閥内の家の婚約者がいたが、王宮に妃として上がる話が出た時に、円満に白紙撤回したと聞いている。母は一族の女性の中で一番敬われ、祖父と次期当主である伯父以外の男性より発言権がある。
ーそうね。私のおかげでエリアス様は公爵となり、その元婚約者も立場を上げるんだわ。お母様の仰るように、私は感謝されるべきよね。
カトリーヌは、自信を持って母親に微笑み返した。
婚約式も式自体は伝統に則り簡素であったが、披露宴は侯爵以上の家の者が招かれ、両陛下の主催の下に華やかな婚約披露宴が執り行われた。
その際、皇帝陛下から新公爵家には結婚祝いに皇都にある小宮殿を与えると聞かされ、カトリーヌはこの上ない幸せにあふれていた。
自分が嫌だと言った小国への輿入れは第七皇女に、自分の為に結婚相手の家を特例で陞爵させ、その上小宮殿まで贈ってくださるとは!と。
自分は陛下にとって、特別な皇女なのだとカトリーヌは思ってしまった。
無論ダランベールの祖父にとっても、自分は特別なのだと思っている。自分の為にこんなに相応しく見栄えのよい相手を用意してくれたのだからとエリアスを見ていた。
エリアスは白金に近い金髪と灰青色の瞳を持つ。貴族らしい端正な顔立ちは自分と並んでも引けを取らない。
婚約式までの短い間に贈られた花も贈り物の趣味も良かった。初顔合わせの他は一度しか会えなかったが、その際の会話も心地よかった。
だから、エリアスにとっても自分は特別なのだと思っていた。
「エリアス様にとってユリア様は特別だったと思っていたのに」
「でも、ユリア様はお心を残されているご様子よ」
「ユリア様、おかわいそうに。先ほども聞きたがりの方々に囲まれていらっしゃったわ」
婚約後初めてエリアスにエスコートされて出た夜会で、社交疲れを癒そうと庭に面したバルコニーに出た時に、そんな会話がバルコニー前の庭から耳に飛び込んできた。
いつもなら耳を素通りするありふれた噂話であったが、エリアスという言葉が耳に止まった。
人の気配を感じたのか、その噂の主達は声をひそめ衣擦れの音をさせて夜会の喧騒に戻っていった。
「少し話が長引いてしまいました。お疲れでしょう。なにか飲み物でも用意させましょうか。皇女様」
カトリーヌに数分遅れてエリアスがベランダにやってきた。
「いらないわ。それより聞きたいことがあるわ」
「……なんなりと」
エリアスは軽く髪をかきあげると、整った笑顔をカトリーヌに向けた。
「貴方の元婚約者って、どのようなご令嬢なの」
「どのようなと言っても、ごく普通の令嬢ですね。皇女様の足元にも及ばない令嬢です」
薄い笑顔のエリアスから、何も感じられない。なぜだか自然と笑みが溢れた。
「会ってみたいわ」
「では、クリンガー家に申し入れをし、後日改めて…」
「この夜会に来ているようだから、呼んできてちょうだい」
「かしこまりました。探して参りますので、こちらでお待ち…」
「いえ、気が変わったわ。一緒にいくわ」
ふと、エリアスとその元婚約者を二人だけにさせたくないとカトリーヌは気を変えた。
「承知しました。では、どうぞ」
変わらない笑顔のエリアスの差し出した腕を取り、カトリーヌはベランダを後にした。
エリアスのイメージは、ハリー・ポッターの10代後半のドラコ・マルフォイ役を演じるトム・フェルトンさんです。




