372 競馬場と見学
「競馬場の視察、楽しかったわ!」
「それは、良うございました」
レナードは楽しげな帰宅をしたアデライーデを笑顔で出迎えた。
アデライーデはライエン領の競馬場の見学ー表向きには私的な視察ーに行く為に、前日から王宮に泊まり込み見学をした日から3日ほど王宮でゆっくりとフィリップ達と過ごしてから離宮に戻ってきたのだった。
現代なら高速道路を使えば30分程度の道のりも、馬車の移動となると半日はかかる。
離宮から直接ライエン伯領の競馬場まで行くには少し遠すぎるので王宮からの出発となったのだ。
それに今回はフィリップも競馬場の見学についてきた。
現在のライエン伯爵は一度息子にその爵位を譲っている。そのライエン前伯爵は先の大戦で名誉の戦死となり、後を継ぐには若すぎた孫の為にライエン老伯爵は再び伯爵に戻ったのだった。
ライエン領には競馬場もだがコーエンのそろばん工房も建設される。バルク国は今まで以上に帝国やライエン領との結びつきが強くなる。今後の事も考え次代の顔繋ぎの名目でフィリップも同行となった。
フィリップはフォルトゥナガルテンには年齢的にまだ行けないので、今回の視察をとても楽しみにしていた。行きは期待に、帰りは馬や模擬競馬の感想をずっと話しバルクにも競馬場を作って欲しいとアルヘルムにねだるほどであった。
アデライーデは居間でレナードの淹れてくれたお茶にたっぷりと蜂蜜を入れて口をすると、飲み慣れた味に離宮に帰ってきたのだと実感した。
「競馬場はとても芝がきれいでね。緑の海って感じだったわ。私、馬の事はよく分からないのだけど、アルヘルム様とフィリップ様が目を輝かせてお話をされていたから、きっと良い馬がいたのでしょうね」
「さようでございますな。ライエン領は馬の産地でございますから、お二人にとっては楽園だったでしょう」
レナードは王宮から贈られたうさぎのフィナンシェをプレートに盛ってティカップの横に置いた。
「アルヘルム様は、ライエン伯爵のおうちとは親しいのね」
「はい、ライエン家とバルク王家は数代にわたって親交がございます。アルヘルム様もちょうどフィリップ様のお年ぐらいの時に先代のヘルマン様と引き合わせられました。ヘルマン様はアルヘルム様よりお年が上でしたが同じ馬好きと言うことで、すぐに意気投合されておりました」
レナードは昔を懐かしむような目をして二杯目のお茶の準備に取りかかった。
ー先代のライエン伯爵は戦死されたと貴族録に書いてあったわね。視察前にレナードから亡くなったとは聞いていたけど若くしてお子さんを亡くされて孫夫婦を育てながら現役復帰…か。大変よね。
アデライーデ達を出迎えてくれたライエン伯爵は、ちょっと昔のライオンヘアで有名だった日本の首相によく似た風貌で、すらりとしたご老人だった。
紹介された伯爵によく似た孫のヨアヒムは18歳。妻のヘレーナは17歳と若いが結婚2年目なのだという。
ヨアヒムはすでに何度かアルヘルムと面識があるようで落ち着いた感じだったが、ヘレーナはアルヘルムとも初めての対面だったようで少し緊張していた。
挨拶を済ますと、ライエン伯爵に先導され一行は競馬場に案内された。男性陣はみな馬好きなのだろう、共通の話題に盛り上がる。必然的にアデライーデの相手はヘレーナとなった。
ヘレーナはライエン伯爵家の親戚筋で、実家もやはり畜産をメインにした領地なのだという。ただ馬ではなく牛や豚が主力でチーズやハムの産地なのである。
チーズやハムと聞いた陽子さんは俄然その話に興味が湧き、男性陣は馬に女性陣は食べ物の話で盛り上がってライエン伯領の見学は恙無く和やかに終わった。
「ヘレーナ様が、フォルトゥナガルテンの特別招待へのお礼に何か送ってくださるって言っていたわ」
「ヘレーナ様とはライエン次期伯爵の夫人でしょうか」
「ええ、可愛らしい方だったわよ。チーズに詳しくて色々教えてもらったわ」
「それは良うございました」
アデライーデとレナードは穏やかにその日のお茶を過ごしたが、後日ヘレーナから贈られてきたお礼に腰を抜かす事となる。




