369 裏事情と蜂蜜酒
「貴族達のフォルトゥナガルテンの評判はどうだ?」
「悪いと思うか?」
ヒバリはしぶとく囀り続けたが、喉の渇きには逆らえなかったようでアルヘルムが手ずから注いだ蜂蜜酒に口をつける。
アルヘルムは、その瞬間に話題をさり気なく変えた。
「温室と夜の妖精の国という設定が良かった。どちらも当初考えていたガラスの宮殿や貴族向けの大庭園の費用と比べると驚くほど安く早くできたな」
蜂蜜酒を飲み干した途端にヒバリから商人になったタクシスは、上機嫌のまま頭の中でそろばんを弾きつつ言葉を続ける。
国の鳴り物入りの施設を建てるとなれば、莫大な費用がかかる。目の肥えた貴族達を満足させるにはそれなりの建築家と資金が必要になるが、フォルトゥナガルテンで建てられたのは温室と庶民が住むような素朴な家だけだ。
造園にはそれなりの金はかかったが、フォルトゥナガルテンの広さで貴族の庭園のような整った庭を作ると考えれば破格の安さだった。植え替え用の控えの温室を二つと花畑を作っても当初の予算に遠く及ばない。
また時期も良かった。農閑期の新年から麦の種まき前の3月の間、手の空いた農家を雇うことができ仕事を与える事もできた。
荷運びの仕事に夫が行った家は、じい様ばあ様に幼い子どもを預け年長の子供を引き連れた女達が、貴重な現金収入を求めてやってきた。農作業に慣れた彼女達は器用に馬を使い土を均していった。
温室もそのほとんどは鉄枠と板ガラスで内装もほぼ無い。天井から垂れ下がる沢山のズューデン国の珍しい布やあちこちに置かれているベンチも、宮殿や邸宅の内装費と比べるとたかが知れている。
今回一番お金をかけたのは、妖精達の衣装だった。無論監修は美しいものが大好きなメラニアだ。
「庭妖精とキャンバス妖精が同じ衣装なのは、おかしいでしょう? 庭妖精は暗い中でも目立たなくてはいけないし、キャンバス妖精は絵よりも目立ってはいけないわ。やるなら細部まで妥協せずにこだわるべきだわ」
と言って、メラニアは妖精の衣装をその役割によってデザインを変え相応しい装いにする事にこだわった。
そして青の庭の音の妖精達の衣装の為に、メラニアはお気に入りのメゾンのマダム達を呼び、演奏家たちに何度も演奏させ奏でる姿が美しく幻想的に見える衣装を作らせた。
特にグラスハープ演奏の妖精の衣装は、ギリギリまでその衣装の細部までこだわり抜いた。
実は妖精によって違うのは衣装だけでなく、妖精達の住む家もだ。どれひとつとして同じ形のものはない。
気まぐれな妖精が同じ形の家に住むはずがないとのメラニアの意見がとおり、普段は左右対称の邸宅を建てる事を信条としていた棟梁達は、うんうん言いながら歪で素朴な妖精の家を建てたのだ。
特に崖をくり抜いた家を担当した棟梁は「オレはいつからモグラの家を作るようになったんだ」と、最後までボヤいていた。後日、そのモグラの家が一番評価が高かったと聞いて黙り込むようになるのだが…。
「夜にしか開かれないってのが、また良かったな。昼間もするならもっと設備や衣装に金もかかる上に、これだけの評判にはならなかったと思う」
「あぁ、茶会のご婦人より夜会のご婦人の方が魅力的に見えるのと同じだな」
二杯目の蜂蜜酒を手酌でグラスに注ぐタクシスの言葉に、アルヘルムは頷いた。
昼間のフォルトゥナガルテンもイングリッシュガーデン風で美しいが、国の鳴り物入りとしては少しインパクトが弱い。
だが、月明りと夜の暗さはそれだけで非日常で、同じ場所でも昼と夜とでは別の雰囲気を漂わせる。昼間の屋台より裸電球を灯した夏祭りの屋台の方が魅力的なのと同じだ。
それにフォルトゥナガルテンが夜だけ開かれるのであれば、昼間に掃除や商品の補充、花の水やりや植替え、温室のメンテナンスも今建築中の演劇場の工事もできる。
「あと茶器や食器、カトラリーに金をかけなくて済んだのも助かったよ。どれも数を揃えるには時間と金がかかるからな。しかし、最初に聞いた時は驚いたよ。貴族に茶を出すなと言われるとは思ってなかった」
「あぁ。最初は驚いたが、妖精の国という設定だからか、すんなり受け入れられたのは良かったな」
そう。フォルトゥナガルテンでお茶は出さない方がいいと言い出したのは陽子さんだった。
貴族にとってお茶はステイタスだ。茶葉にも淹れ方にも、そのお茶を飲む茶器やカトラリーにも強いこだわりがあり、香りや味で茶葉の種類を当てたり茶器やカトラリーを見れば、それがどの職人が作ったのかわかる貴族も多いのだ。
ティーカップやカトラリーを手に取れば、自然とそれに目がいき、これはどこのものかしらと考える。そうなったらせっかくの妖精の国にいるという魔法がとけ、現実に戻ってしまう。
だからこその手づかみだし、木のコップに舟盛りなのだ。
アルヘルムにフォルトゥナガルテンのメニューの相談をされた時に、前世の夢の国での経験から陽子さんはその重要性を強く主張した。
同じ理由で、妖精達が貴族相手に庶民言葉で話す事も提案した。だが、その事はアルヘルム達4人の間では最後まで意見が分かれた。
結局結論が出せず、王弟であるゲオルグ、タクシスの口の固い親しい親族を数組、個別にテストケースとしてフォルトゥナガルテンに招いて体験してもらい率直な意見を聞いたのだ。
結果は、誰からも紅茶無しと庶民言葉に文句が出なかった。いかにも気まぐれな妖精らしいとあっさり言われた。意外だったのはご婦人方々からの好評価だった。
「フォルトゥナガルテンの門をくぐってから出るまでの間、ずっと迷子の気持ちでいましたわ。身分を忘れて童心に戻ったようでしたの。きっと、殿方がお忍びで城下へ行くとあのような気持ちで過ごせるのですね。是非また訪れたいですわ」との言葉を貰った。
そして、どの夫人も夫の目が離れた時に扇で口元を隠しながら「次は、姉妹か女友達で楽しみたいからよろしく」とメラニアにねだった。
夫人らは政略結婚だ。夫婦仲は悪くないが、親しい姉妹や友人程には本当の童心にまで戻りきれなかったようである。
「本当にご婦人とは、細かいところまでよく気が回るものだな。感心するよ」
アルヘルムの言葉に、何か大事な事を伝え忘れているような気がしたタクシスだったが、その時は思い出せずにグラスに口をつけた。




