363 鍵と錠前
「……どきどきしてきたわ」
「あら、わくわくなんじゃないの?」
どきどきしていると言ったのはロイス伯爵家の次女マティルダで、その向かいにいるのは従姉妹のビルング家の三女ドロテアである。
二人は新年祭で発表された帝国との国境沿いにできたガラスの街こと、フォルトゥナガルテンに向かう馬車の中で早く着かないかと話していた。
身分の高い家の方から順番に招待されて、やっと自分達伯爵家の子女の順番がきた。フォルトゥナガルテンに招待されるのは大人だけ。去年デビュタントを迎えたマティルダとドロテアは、その話を聞いて手を取り合って喜んだ。
フォルトゥナガルテンに入れるのは夜会と同じように日が落ちてからという決まりがある。二人は夕方に馬車に乗り込んで、道中どんな街なのかと話を弾ませながら向かっていた。
先に招待されていた両親や侯爵令嬢の皆さんにどんなところだったかと尋ねても「私達の口から聞くより、実際に見てみた方が良いから」と、笑って教えてくれなかったからだ。
婚約者がいる者は婚約者と、二人にはまだ婚約者候補しかいないから従姉妹同士二人で行く事に決まった。
「ドロテアと一緒に行かせてくださるとお父様に告げられた時に、お母様は少し羨ましげなお顔をされていたわ」
「人が多すぎると趣きが良くないからって一日に行ける人数が決められているらしいんだけど、不思議よね。夜会もお茶会も大勢いる方が楽しいのに」
そんなことをあれこれ話していると、あっという間に時間は過ぎていく。
二人が乗った馬車がフォルトゥナガルテンの正面玄関に着く頃には、すっかり日が落ちて辺りは暗くなっていた。
停車場は大きな屋敷の玄関のように立派で、周りに街灯がありとても明るかった。ただ庭木がみっちりと高い壁の代わりに植えられている。
従僕に手をとられて馬車を降りると、二人の目に不思議な光景が飛び込んできた。物語の挿絵から出てきた魔法使いのような長い杖をついて大きな帽子をかぶった人物が、その場に不似合いな立派な椅子に腰掛けていたのだ。
馬車は令嬢達を降ろすと、玄関前の睡蓮が浮いている大きな池をまわってどこかに行ってしまった。
何も聞かされていない二人が戸惑っていると、椅子に座っていたその人物が、よっこらせと立ち上がった。
コツコツと杖音を響かせて近寄ってきたのは、腰の曲がった老女だった。その老女は年に似合わないはっきりとよく通る声で二人に声をかけた。
「これはこれは、可愛らしいお嬢さん方。ワシはこの門の錠前。お二人は鍵となる招待状をお持ちかの」
二人は言われるがまま、王宮からの招待状を差し出すと老女はしっかりと表書きを確かめ、招待状を懐に入れた。
「確かに鍵を受け取りましたぞ。フォルトゥナガルテンへようこそ」
そう言って門の錠前と名乗った老女は、にこりと笑った。
どうも招待状がこの門の鍵ということらしい。
「さぁさぁ、お嬢様方。これをお取りなされ」
「え、ええ」
老女はそう言うと、羊皮紙を一枚ずつ渡してくれた。
「これは、フォルトゥナガルテンの地図じゃ」
渡された地図を見ると、街の中心に大きな建物の絵があり、所々に小さな家の絵とたくさんの小道がある。
「ねぇ、錠前さん。大きな建物は温室よね? この小さな家はなんなの?」
「それは、ご自分の目で確かめなさるといい」
錠前は質問には答えてくれず、ふぇふぇふぇと笑いながら杖で扉をコンコンと叩く。叩かれた大扉が、ぎぎぎと軋みながらゆっくりと動きだす。
二人が門をくぐると、そこには所々がぼんやりと光っている庭が現れた。
いや、庭というより花と光の村と言ったほうが良いだろう。目が慣れてくるとその光は小さな家々の前に焚かれた灯りで、その家を繋ぐように続く小道も所々光っている。
フォルトゥナガルテンは今まで招待されたガーデンパーティのように整った庭ではなく、まるで昔絵本でみた妖精の国のような自然に近い場所だった。
すでに散策している紳士淑女達と、見慣れない格好をした者たちがたくさんいる。マティルダは、思わず錠前にあの者たちは何者なのって声をかけた。
「フォルトゥナガルテンは、妖精の村じゃ。あれらはここに住まう者たちじゃよ。土の精、花の精、大鬼や、庭妖精もおるんじゃ」
錠前が杖で指した先には、角の生えた鉄兜をかぶりひげをもじゃもじゃさせた大男達がいる。野性味溢れる軍服のような服を着て、手持ちランタンを持ち剣を携えていたり槍を背負ったりしていた。
白っぽい簡素な服を着て、ナイトキャップの様な白い帽子を被ってほうきを持っている者たちもいる。あれが庭妖精なのだろうか。
「道に迷ったり困った事や分からない事があれば、彼らを呼ぶといい。『誰か』と声を出せば、すぐに来てくれる。妖精はどこにでもいるものじゃからのぅ。……そうじゃそうじゃ」と錠前は笑って懐から皮の小袋を二つ取り出した。
「中にガラスのコインがはいっておる。親切にされたら妖精にお礼を言って一枚渡すといい」
「え、えぇ」
マティルダが錠前から渡された革袋をあけると、中には金貨程の大きさのガラスのコインがたくさん入っていた。
「ほれ」
「え?」
「ほれ、今親切にされたじゃろう?」
そう言って錠前は長い爪をさせたしわくちゃの手をにゅと、差し出した。
マティルダがぽかんとしていると、ドロテアがくすくす笑いながら自分の革袋からガラスのコインを取り出して、錠前に渡した。
「親切な錠前さん、ありがとう」
「ふぇふぇふぇ、確かにの。お嬢様方『終わりの鐘』が鳴るまで、たくさん迷って楽しみなされ。さぁ、早く行かないと楽しい時間はあっという間に過ぎてしまいますぞ」
錠前はガラスのコインを受け取ると、温室の方角を杖で指した。
「さぁ、行きましょう」
「ええ!」
マティルダとドロテアは、期待に胸を膨らませて門の鍵が指した方角に足を踏み出した。




