358 誉れと不評
「良い名付けじゃないか。象徴的な名だが、メラニアも名付けの由来を聞けば喜ぶだろう」
タクシスはいつになく上機嫌でソファに腰を下ろした。愛する女性に由来する名を持つ美しい街が誕生するのだ。夫としてこれ以上の誉れはない。
「アデライーデには『幸せの街』という意味で名付けたと言っておくよ」
「それがいいだろう。嘘じゃないからな」
タクシスは、傍らの呼び鈴を手にとって鳴らすと室外に控えていた侍従にお茶を頼んだ。
「あの後、アデライーデから手紙が来てな」
侍従が下がったのを確認して、アルヘルムが別の話を茶と共に口にする。
「小型の室内温室…。アデライーデはそれをテラリウムと書いていたが、それでズューデン大陸から花を咲いたまま持ってこれるかもしれないと知らせてきた。絵入りでな」
「花を? しかし、花は海風に弱くて航海の間に萎れてしまうのがほとんどだと聞くが」
「あぁ。だが、もしアデライーデが言うように本当に花を咲かせたまま持ってこれるのなら、フォルトゥナガルテンの目玉になると思わないか」
アルヘルムの言葉に、タクシスは「ふむ」と言って茶に口をつけた。
みな考えることは同じで、過去に幾度となく生きた植物、特に珍しい花をズューデン大陸から持って帰ろうとしていた。
特にズューデン大陸と交易の盛んな西の大国は、何度も挑戦していると聞くが、未だ成功させたとは聞かない。極たまに運よく咲いたまま持ち帰れた花もあるようだが、すぐに枯れてしまうらしい。
「試してみる価値はあるな。フォルトゥナガルテンはそれ自体で価値はあるが、目玉は大きければ大きいほどいい」
「うむ。まずは近々送るズューデン国へ送る使節団に、そのテラリウムを持たせ秘密裏に花を株で持ち帰らせてみようと思う。螺鈿細工に使う貝も探させないといけないからな」
タクシスの言葉にアルヘルムは頷き、ティカップをテーブルに置いた。
「テラリウムなんだが、クリスタルガラスでなくていいらしい。ただ少し分厚いガラスであれば、なお良いと書いてあった」
「クリスタルガラスでないのであれば、すぐにできそうだな。飾りも何もいらぬのであれば、さほど手間はかかるまい。ちょうどいい、まだヴィドロが控えているはずだ」
すぐにヴィドロを呼び、輸送用のテラリウムの話をしアデライーデが送ってきた絵を見せると、ヴィドロはしばらく絵を見つめていたが、すぐに「承知いたしました」と言い恭しくお辞儀をした。
数日後、ティーワゴン程の大きさのある木箱を持って再びヴィドロがヴィダを伴ってアルヘルムに目通りを願い出た。
葛籠のような形をした木箱を前にして、二人は、アルヘルム達を待っていた。
「その中にテラリウムが入っているのか?」
「はい」
ヴィドロとヴィダが蓋を取り、四隅の細工をガチャガチャといわせると、木箱の側面がぱたんと四方に倒れ中からテラリウムが現れた。
「ご下命を頂き、秘密裏にご利用されるとお聞きしてこのようにお作りしました」
テラリウムは少し分厚い普通のガラスで作られていたが、特筆すべきは木箱のほうであろう。
木箱の内側はクッション張りになっていて、ガラスが傷がつかないようになっている。四隅には頑丈な留め金がつき、それぞれの側面には運搬用の取っ手がついていた。
「このテラリウムは『できるだけ空気が入らぬように』と、ただし書きがございましたので、そのように作らせました。蓋の取り外しにはお二人で行って頂きたいと思います。船中では木箱をこのように開放してして日を当て、運搬時には木箱を組み立て四人で運べるよう工夫をいたしました」
ヴィドロがこの工房で試作を作った時に、湿らせた土を入れた段階で重すぎて動かせなくなった。なんとか持ち上げた時には、土の重さで底のガラスが砕けてしまったのだ。
本来ガラスに、このような使い方をされるような丈夫さはない。貴族用のテラリウムならば、設置や移動の際は土や植物を植え替えれば良い。だがご下命のテラリウムは用途が違う。
形は作れたとしても運べないのであれば、役には立たない。
ヴィドロはテラリウムの厚さと大きさを工夫したが、薄すぎると土の重さでガラスが割れ、大きすぎるとピクリとも動かなくなる。
職人からの「ガラスに取っ手はつけられねぇもんな。持ち上げるのに一苦労だ」の一言にヒントを得て木箱をつける工夫をしたのだ。
それからは早かった。職人達に木箱をつくらせ運搬の振動からガラスを守るために内側にクッションを張らせた。
これで木箱を落とさない限り、テラリウムは守られ運搬もしやすくなったのだ。ついでに、周りからはただの重い木箱としかわからない。
「ふむ。大儀であったな、ヴィドロよ」
「ありがたきお言葉にございます。他に手持ちで持ち運べる大きさのものも、ご用意いたしております」
アルヘルムの満足げな表情に、ヴィドロは誇らしげな笑みを見せた。
このテラリウムは、使節団にこっそりと持たされズューデン大陸から珍しい植物をその姿のまま持ち帰ることに成功した。
持ち帰った花木は、フォルトゥナガルテンの大きな目玉となり、国内外の園芸好きの貴族の注目を集める事となる。
後に持ち帰られた花木はバルクで品種改良をされ、貴重な輸出品としてバルクの経済を支える一翼となった。他国はその秘密を探ろうと躍起になったが、長い間それは見つかる事がなかった。
「ヴィドロの箱」と名付けられたそれは、大きさの割に重く丁寧に運ばねばならぬものとして、荷運び人達にはひどく不評の木箱として名が知られるようになる。
作中に出てくる「ヴィドロの箱」は、「ウォードの箱」をもとにしています。
いつの時代も、どの世界でも植物好きの熱意はアツいですよね(*^^*)
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