350 計画とあしながおじさん
「マリア殿。あれは一体……」
「はぁ、何でも『ウニ』という生き物らしいのですが、私にもあれがなんなのかさっぱりわからないのです。ただアデライーデ様はとてもお喜びになって、お持ち帰りになったのですわ」
困惑顔のレナードとマリアがひそひそと話しながら見る先には、金魚鉢に似たガラスの花瓶にウニが2つと柔らかいキャベツが1枚入れられていた。
どう見ても黒いイガグリにしか見えない。
ただイガグリと違うのが、じーっと見ているとトゲが動くのだ。
……不気味である。
アデライーデが言うには、エサはキャベツでも野菜くずでもいいらしい。ウニはキャベツが好きなのか、トゲをわずかに震わせながらキャベツの上にいる。
海岸でこれを見つけたアデライーデは、ものすごい勢いで子供達に詰め寄り、ウニについて詳しく聞き始めた。
子供たちが言うには、海岸でたまに転がっているらしく、ちょっと海が荒れた翌日は海岸でゴロゴロいるらしい。
「これって、みんなどうしてるの?」
「どうって……。どうもしないよ。遊んだりするくらいかな」
「あぁ、ハイニーじいさんは、見つけたら拾ってるな。何に使うか知らないけど」
「うん」
ーバルクでは食べる習慣ってないのかしら。お店でも見たことないわよね。
「おねぇちゃん、これ欲しいの? とってきてやろうか?」
「え? たくさんいるの?」
「あっちの岩場の海草があるとこにたくさんいるよ」
「本当に?!」
「とってきてあげるからさ」と言って、その子はにぱーっと笑いながら手を出してきた。
マリアはやれやれといった顔をして財布から銀貨を1枚取り出すと「バケツもつけてくれたら、もう1枚あげるわよ」と、ちゃちゃと交渉をする。
「いやったー」銀貨を見た子供たちはすごい勢いで駆け出したと思ったら、あっという間にバケツに半分ほどのウニを持ってきてくれたのだ。
そのバケツに入っていたウニは今、アデライーデのキッチンに置いてある。
「アデライーデ様は?」
「今日は疲れたから早くお休みになると、今はお風呂でございます。あの…ウニは夜に花瓶から抜け出したりしないでしょうか。危険はないとアデライーデ様は仰っていたのですが……」
生まれて初めて見るウニにマリアは怯えている。それはそうだろう。トゲのある生き物なのだ。
「いや、私も初めて見るのでわかりませんが、念の為に蓋をしておきましょう」
レナードは銀のおぼんを花瓶の上に置いて蓋代わりにすると、マリアと二人居間を出ていった。
しんと静まり返った、草木も眠る丑三つ時。
アデライーデの寝室のドアが音もなく動いた。白い影が、その扉から滑るように出てくると、ゆっくりと扉が閉まる。
ー良かったわ。こっそりと蝶番に蝋燭塗っておいたから音がしないわね。
白い影は白いガウンを着たアデライーデだった。
ー確か15分おきくらいに見回りしてるって言ってたわよね。
ガウンを着込んでストールを羽織りスリッパを握りしめたアデライーデが、キョロキョロと周りに気を配り、足音を忍ばせて二階の自室から階段を下りる。
目指すは自分のキッチンだ!
ーこの時間なら、まだパン職人さんも厨房にいないもんね。
はやる心を抑えつつ、キッチンの扉に手をかけた時に玄関の方で見回りの警備兵の足音が聞こえた。アデライーデは素早くキッチンの扉を開けて滑り込む。
彼らは決められた順路で離宮内を見回っているらしい。
扉に耳をつけ外の様子をうかがうと、足音は次第に遠のいてゆく。
ー危ない危ない。間一髪ね。
アデライーデは羽織っていたストールを扉の下の隙間にきっちりと詰めた。
厨房の窯の置き火から蝋燭に火を付けるとキッチンは途端に明るくなる。扉の下にストールを詰めて明かりが漏れないようにしているから、見回りにもバレることはない。
ーふっふっふー。これで完璧!
陽子さんは上機嫌になって、大きめのボウルに海水位の塩辛さの塩水をつくりキッチンバサミを用意する。
そして、バケツにはいったウニを取り出すと布巾を持った手に乗せて、器用にウニの口を浅くパチンパチンと切ってゆく。
ー朝市で、教わっておいてよかったわぁ。どんな経験も無駄にならないわよね。
そう。家族旅行の朝市で生ウニを自分で捌いて食べさせてくれるお店のおばあちゃんに、手ほどきを受けたのだ。
器用にウニの口を切り取り、魚の骨取りで細かいごみや内臓をとりボウルの塩水でウニをゆすぐと、艷やかな5弁のオレンジ色の花が開いたようなウニが現れた。
ーさぁ、でーきた。
小さめのティスプーンを持って、ウニを掬うときれいなぷるぷるとしたあのオレンジ色が、蝋燭の光に照らされて艷やかさを増す。
ぱくっ
口にいれると磯の香りが広がりクリーミーな甘みが口いっぱいに広がる。
ーおいっしいー! これよこれ!これがウニよー
採れたての生ウニ…。なんて幸せ……。
マリア達にもウニの美味しさを教えてあげたいけど、魚も生食の習慣ってあんまりないみたいだから、まだ言えないものね。マリアなんか「これは生き物なんですか?」ってすごい目で見てたし……。
そう。この世界、肉はもちろんだが魚も生食をすることはほぼない。魚に限って言えばカルパッチョのようなものは、あるにはあるらしいが漁師飯のようで貴族は火を通したものしか口にしない。
試作の時にマリアの目を盗んで、一切れ二切れアジの小片を口にしていたが、日本人として魚好きとしてたまにはお刺身が思いっきり食べたい。
マリアにウニを生で食べたいと言ったら、大反対されて捨てられると思ったのだ。
でも、どうしてもウニが食べたかった。
前世でも、生ウニ様にはそうそうお目にかかれない。
一匙一匙味わって、最後のウニを口に入れようとした。
バタン!!
ービクぅっ!!
背後の扉がいきなり開かれた。
戸口から入ってきた風でテーブルの上の蝋燭の火が消える。
震えながら目線を足元に落とすと、昔見た『あしながおじさん』の挿絵のような影が見える……。
だがシルクハットではなく、その影は先にボンボンのついたナイトキャップを被っていた。
ぱた…ぱた…
一歩ずつ近づくスリッパの音が聞こえる……。
ーさ…最後の一口……。
これから起こる事が頭の中を駆け巡るが、今この手に持っているウニを放棄することなんてできない。
震える手でウニを口に押し込む。
ー美味しい、美味しいわ…。
現実逃避しながら、ただひたすらにウニの美味しさを味わう陽子さん。
「なにを、なさって、おいでですか?」
ーひょえぇー
レナードの優しい口調と声音が怖い。
キッチンで、レナードの前でうなだれてつま先を見るアデライーデとガミガミとお説教をするレナード。
ー何でバレちゃったんだろう。完璧な計画だったのに。
完璧だと思っていたウニ計画には抜けがあった。
離宮の警備は15分おきに二人一組で巡回をする。離宮内も離宮外もだ。
離宮外の巡回をしていた警備兵は、すぐさまアデライーデのキッチンについた灯りを見つけた。不審者を確かめるべく、そっと窓から室内を確認した兵士は腰を抜かした。
真夜中にハサミを持ち、薄ら笑いを浮かべながらパチンパチンとなにかを切っている白い服の女がいる。蝋燭の明かりが下から照らしていれば、さぞ肝を冷やした事だろう。
すぐさま警備兵のうちの一人が「女の幽霊が出ました!」と、レナードを叩き起こした。レナードはまずはアデライーデの安否を確認するべく、アデライーデの寝室に向かうがベッドはもぬけの殻。
青ざめるマリア。
だが、ここでアルヘルムに鍛えられたレナードは、ピンときた。
報せに来た兵士に次第がわかるまで口外を禁止し、キッチンの窓の下にいる兵を呼びに行かせた。二人は今使用人部屋でお茶を出してもらっている。
「レナード様。このままではアデライーデ様がお風邪を召されてしまいますわ」
お説教が始まってしばらくしてからマリアが、優しく止めに入ってきてくれた。
「マリア…」
ーありがとう。助けてくれるのね。
つま先からマリアに目線を移して、アデライーデがホッとした表情をすると、マリアは厚手のガウンをアデライーデにかけた。
ーあったかい。これでお説教から解放されるわ。
綿のたくさん入ったガウンは、内側を暖炉で温めたのか、じんわりとあたたかい。
「これでお風邪を召しませんわ」
マリアは優しくアデライーデに声をかけ、にっこりと微笑むと言葉を続けた。
「では、続きをどうぞ」
「え?」
作中に出てくる『キャベツウニ』は、
我が地元神奈川県水産技術センターが研究開発したんですよー(〃∇〃)
いろんな地方の水産技術センターが同様の研究をしています。
愛媛県ではブロッコリーを食べさせた『ウニッコリー』もいるらしいです!驚 (゜∀゜)
ウィキペディア 『キャベツウニ』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%99%E3%83%84%E3%82%A6%E3%83%8B
神奈川県水産技術センター 『キャベツウニについて』
https://www.pref.kanagawa.jp/docs/mx7/kikaku/kyabetsuuni.html
※ウニが食べているキャベツが、お肉屋さんでお肉が買った時に敷いてある緑の紙に
どうしても見えちゃう 笑