344 あしらいとご挨拶
「ようこそ、皆様。お待ちしておりましたわ」
アデライーデのにこやかな声が離宮のホールに響く。
アルヘルムとテレサ、フィリップに続き、宰相夫妻が離宮のホールに招き入れられた。
「出迎え、ありがとう」
アルヘルムの返事に続き、皆と一言ずつ挨拶を交わすと最後にフィリップが品よくまとめられた花束をアデライーデに手渡した。
「本日は私までお招きいただきありがとうございます。正妃様のお美しさには敵いませんが、こちらをどうぞ」
その花束は、バルクに春の訪れを告げる白いクロッカスとフリージアにカラマツが丸くあしらわれていた。
「ありがとうございます。春を感じる花束ですね。いい香りですわ」
「温室で育てた早咲きを、正妃様を思いながら選びました。お喜び頂けて嬉しいです。また次にお会いする時にも花を贈ってよろしいでしょうか」
「ええ、もちろんですわ」
アデライーデがにっこりと笑って受け取ると、フィリップが嬉しそうに応じ、きれいなお辞儀をする。
いわゆるこれが、貴族男性が初めて女性宅へ訪問する際の基本会話らしい。
フィリップは何度も私的に離宮に来ているが、正式な離宮訪問は今日が初めてだ。「せっかくの正式訪問ですし、ぜひ『ご訪問』のご経験を…」と、ナッサウの助言がありフィリップと、このやりとりをすると相成った。
王宮からのお伺いの手紙にびっくりして、これはどういう事かとレナードに尋ねると、レナードは「フィリップ様の将来の御為にも是非、お受けいただければと…」と、アデライーデに恭しくお辞儀をして願われた。
なんでもこれは将来フィリップに婚約者ができた時、相手方宅への訪問の練習らしい。アルヘルムの練習相手は皇太后…お祖母様…だった。
当時のアルヘルムは、まーったく花選びにもやりとりにも関心がなかったようで、当時の教育係だったレナード達の手を焼かせたようだ。
レナード情報によれば、貴族は子供が五、六才くらいから人付き合いの練習の為に、同年代を集めたごく小規模の茶会を開くらしい。最初は親戚から始めるのが定番なのは、どの世界も一緒のようだ。
−−最初はやらかすものねぇ。
陽子さんは、もうはるか昔の薫と祐人の公園デビューを思い出していた。迷惑をかけたりかけられたりして、親子共に大分鍛えられた覚えがある。
陽子さんは親として。薫達は人生初の人付き合いを公園の砂場で学んだ。
そのあたりは陽子さんも知る『公園デビュー』と変わらないかもしれないが、公園デビューと違うのが「将来の結婚相手」を吟味する場でもある事だ。
−−王侯貴族って大変ねぇ。まだダンゴムシやおもちゃに夢中のお年頃でしょうに。まぁ…結婚相手を吟味するのは親同士なんでしょうけど。
「じゃあ、フィリップ様も婚約者候補がいらっしゃるの?」
「いえ、まだ正式な候補のご令嬢方はおられません」
実は、候補は数名いた。
王妃懐妊と聞けば、その日から貴族達は子作りに励む。王子に見合う年頃の女児は五才くらい下まで考えられるので、フィリップが五才くらいから候補者選定が行われていた。そして、十四才頃には候補は数名に絞られる。
だが、アデライーデが降嫁したことにより、フィリップの結婚相手は国内から国外にまで広がったので、今は様子見となっている。
「ですので、是非ともフィリップ様にはご経験が必要となります」
「わかったわ。私でお役に立てるのであれば、お安い御用よ」
「ありがたいことでございます」
アデライーデが快く了承してくれたので、レナードは心の中でほっと胸を撫で下ろした。
ーーー
フィリップがアデライーデに、正式な作法に則り花束を渡す様子を、アデライーデの後ろでレナードは感慨深く見つめていた。
去年フィリップが離宮にお泊りに来た時、短い口上と共にアデライーデに花束を渡すという事は出来ていた。アルヘルムのように「馬車の中で暇だったから」という理由で花を毟ったりしていないだけでも上出来だと思っていた。
あれから半年。きちんとした所作で挨拶も会話もできているフィリップの成長にレナードの目は細くなる。
「あら…意外にちゃんとできているわね」
「……そうだな」
アデライーデに花束を手渡すフィリップを見て、母親目線で息子の成長を喜ぶテレサに、アルヘルムは短く答えた。
「まぁ…フィリップ様、ご立派ですわね」
「うむ。淑女に対する対応を身につけるのは大事な事だからな。あの年できちんとされているのは珍しい」
同じようにメラニアとブルーノも、フィリップとアデライーデのやりとりを微笑ましく見ていた。
十才と言えば、小学校四、五年生。保育園か幼稚園から男女で長く過ごす現代でも同性同士で遊ぶ事が楽しい年令である。
テレサが主催する子供同士の茶会でも、まだ男子は男子、女子は女子で固まって過ごす事がほとんどだ。たまに、おませな小さな淑女が一言二言、小さな紳士に声をかけるくらいである。
ホールの片隅でもぞもぞ動く三人がいた。
エマ達である。
『きゃー。なんてすてきな場面なのでしょう』
『しっ! 心の声が漏れてるわよ!』
『だって~、アルヘルム様とご一緒の時も素敵ですけど、フィリップ様とああやっていらっしゃるのも、また絵になるんですもの』
『眼福…眼福…』
『いい? しっかり目に焼き付けるのよ。あとでアメリー様にスケッチブックをお願いするんですからね』
『もちろんよ! 今日の事はどんな事も見逃さないわ!』
『お二人が並ぶと、お人形のようね』
『偶然なのでしょうけど、フィリップ様の濃い緑のご衣装と、アデライーデ様の淡いグリーンのドレスがお揃いでご姉弟のようだわ』
『フィリップ様がもう少し髪を伸ばされたのなら、ご姉妹でも通じるかもー。ドレスもお似合いになりそうだし…』
『うふ…』
ホールには、それぞれの思いと少し腐った会話と妄想が交じっていた。




