343 氷と木
「で、どうしてお前まで一緒にいるんだ?」
「ん? 未来のバルクの特産品のお披露目会だろ? 宰相の私が知らなくてどうするんだ?」
「ふん」
にやりとタクシスが、笑いながらとぼける。
あれから五日。タクシスが日程調整をしてアルヘルム、テレサ、フィリップが揃って予定の空く日を最速で作った。
そして、離宮に向う馬車の中でアルヘルムの向かいに座っているのはタクシスだ。
テレサとメラニアとフィリップは、後ろの馬車に乗っている。
本来であれば、国王一家と宰相夫妻と別れるべきであるが、タクシスが「国王と二人で少し政務の話をしたい」と座席の交換を申し出て、アルヘルムはタクシスと二人で馬車に乗った。
馬車が走り出してしばらくは、政務の事を話をしていたが、落ち着いた頃にタクシスがアルヘルムにテレサの事を聞いた。
「テレサか? 何も変わらないぞ。いつもどおりだ」
「そうか」
「……テレサとはこの前、アデライーデが作ったかぼちゃプリンを二人で食べてな」
「あぁ」
(知ってる。メラニアがその後、テレサ様とかぼちゃプリンで茶をしたからな)
タクシスは、その後のメラニアから聞いた言葉が気になって今日の離宮へ訪れにテレサを誘うようにメラニアに手紙を書いてもらったのだ。フィリップが同行するのは予定外だったが。
「…テレサにアデライーデとうまくやってくれていることを感謝していると伝えた」
「ほう」
「この降嫁に全く心がざわめかなかった事がなかったとはいえないが…」
「ないが…?」
「もう過去の事になっているようだ」
「……ほう」
タクシスの眉がぴくりと動く。
「お互い以前と変わらずにいようと言われた。私は恵まれているな」
(………いや、お前、それ、警告だぞ?)
タクシスは背筋にぞくりとするものを感じたが、アルヘルムは少し照れたような顔をして窓の外に目をやった。
(こいつ、気づいてない…な)
タクシスはアルヘルムを見て確信した。
「私、アデライーデ様が大好きよ。正妃となられてもテレサ様に対して気遣いもあって、皇女様なのに気さくで、とても可愛らしいですもの。テレサ様もアデライーデ様の事を好ましく思ってらっしゃると思うわ。アルヘルム様がテレサ様を大切にしてくださるのであれば、テレサ様は王妃として、割り切れるのでしょうね。私には無理だけど」
テレサ様との茶を過ごした後のメラニアの言葉を聞いて、タクシスに一抹の不安がよぎったのだ。
薄氷の上を歩くような微妙なこの関係を、テレサとアデライーデはうまくやろうとしている。
多分この薄氷を無意識に悪気なく踏み抜くのは、アルヘルムしかいない。
この関係の鍵を握るのはアルヘルムなのだ。
だが、残念なことにアルヘルムは、そういう機微に疎い。
幼馴染としては、それも仕方ない事だとは思う。
先代王は、公妾や第二妃を持たなかった。
だから、アルヘルムも小さい頃からそういう男女の機微というものに触れたことはない。そして、アルヘルムの性格的にも恋愛より、馬や武具に夢中になって別の意味で周りを心配させていた。
テレサを王妃に迎えてから、アルヘルムは尊敬していた先王夫妻に習い公妾も第二妃も持たずやってきた。何事もなければそれで良かった。
だが、先王と違いアルヘルムは帝国から皇女を迎え、正妃と王妃を持つようになった。
後宮の諍いもなくやってこれたのは、ひとえに変わった考えのアデライーデと王妃として矜持を持ったテレサのおかげである。
そして、多分テレサはアルヘルムがアデライーデに恋をしているのを感じ取っている。男の自分がそう思うくらいなのだから、妻であるテレサがわからないはずがない。
そして、テレサは王妃として全てを飲み込んでやっていこうとしている。アルヘルムを頼りに。
タクシスもメラニア一筋で、愛妾と本妻との間でうまくやる術など知らない。
だが、強烈にメラニアに恋をしたタクシスは、メラニアに誤解されないようにするにはどう振る舞えばいいかは、知っている。
(だがなぁ…。愛妾がいるような先例が身近にいなかったし、色恋に全く関心がなかった唐変木なこいつに、どう上手くやるかを伝えるかだ)
もとより夫婦の間のことに口を出す気はないが、アルヘルム達は王族だ。宰相として王家の安泰は守らねばならない。
(だが、こいつも自覚はないだろうが、初恋だものな。加減はわからないよな。この年で初恋…。暴走はしないだろうが、無自覚でなにかやらかされても困る)
「そうだな…。お互い気遣いは必要だよな」
「ん? 気遣い? 何のことだ」
なんの事だかわからないという顔をしたアルヘルムに、タクシスは「やっぱりな」と思ったが顔を崩さず心の中で、肩をすくめた。
「『家の内の平和は、夫婦のお互いへの気遣いで保たれる』って、我が家の先代の言葉なんだがな」
「? あぁ」
「だが母に言わせると、男の気遣いはかなりズレているらしい」
「……? 二人とも大事に思ってるぞ。分け隔てなく扱って同じように贈り物もちゃんとしている」
「うん。そうだな。血赤珊瑚も同じものを贈っていたし、そういうところはちゃんとしていると思う」
「じゃ、なんだ?」
「そうだな…」
きょとんとしたアルヘルムの顔を見て、タクシスはどう説明しようかと、頭を悩ませた。
(今から、離宮に着くまでの間に伝えるのは無理だな)
「今度母の所に顔を出してやってくれないか? 母も久しぶりに会いたいそうだ」
「ん? そうだな。書類仕事も早く終わるようになったし、伯母君とはアデライーデとの婚儀の時以来お会いしてないな」
タクシスはあっさりさじを投げ、経験者−第二夫人がいた母−に丸投げしようと心に決めた。




