34 夜半のお祝い
テーブルには、グリーンと白の小花が蠟燭を取り囲む様に飾られ金の縁取りのされた白いプレートと磨き上げられた銀のカトラリーが3人を待っていた。
侍従達が、皆の椅子を引く。
花の形に折られたナプキンを膝に置くとすぐに食前酒が運ばれてきた。
金色のシャンパンだ。
シュワシュワと小さな泡を登らせながら小ぶりなグラスに注がれる。
エルンストはグラスを手に取り「アデライーデの幸せを願って」と願いを口にしグラスをアデライーデに少し傾ける。
ローザリンデも「アデライーデの幸せを願って」とグラスを持ち上げる。
アデライーデも「ありがとうございます」と2人の願いをグラスで受ける。
口に含むと口当たりの良い酸味とオレンジリキュールのような香りが抜けてゆく。
「美味しいです」
「本当ね 良いシャンパンだわ…」
「うむ」
ローザリンデも気に入ったようだ。
グラスを置くと、アミューズブュースが運ばれてきた。
細かく刻まれた酸味の強い硬いオレンジとキツめの塩味の生ハムの刻まれたものがスプーンに載せられている。口に入れると混ざりあって程よい酸味と塩味になる絶品だった。
ローザリンデによれば、エルンストの好物らしい。
オードブルは冷たいエビのカクテル。グラスの縁に載るようなサイズでは無い海老を一口大にして香草を背に、薄いグリーンソースが散らしてあった。
セイヨワサビを刻んで入れてあるグリーンソースに檸檬が入っていて僅かに黒胡椒の香りがする。
(美味しい〜〜〜!オーロラソースも美味しいけどこれは大人の味だわ)
いつものお料理も美味しいけど、今日は特に美味しいとニコニコして食べるアデライーデをエルンストとローザリンデは微笑ましく見ていた。
(…………海老よね?)
手の止まったアデライーデにローザリンデが尋ねた。
「とうしたの? 美味しくなかった?」
「あ!いいえ、とても美味しいです。でも内陸国のこの国で海産物の新鮮な海老って珍しいと思って…。」
「これはね、エルンストが貴女に食べさせたくってバルク国から取り寄せたのよ」
ローザリンデがそう言うと、エルンストが照れくさそうに海老を食べ始めた。
「バルク国で人気のものと聞いてな…祝いの席には欠かせないらしい。確かに甘みが強くて美味いな」
親ってありがたいよね。
皇帝とはいえ、内陸国のこの国に海老のお取り寄せは難しかったろう…
「お父様、お取り寄せしてくださってありがとうございます。バルク国は港がありますものね。あちらで新鮮な海老やお魚が食べられると思うと楽しみです」
「まぁ」
アデライーデが楽しそうに言うので、ちょっと安心したような2人だった。
親っていうのは、いつの時代も子供が可愛いくて心配よね。
時々お手紙を書いて安心させてあげたいわ…
「コンソメスープをお持ちしました」
琥珀色の澄んだコンソメスープをチューリンで給仕長がサーブする。
(これも美味しい…)
コンソメスープに舌鼓を打って味わっているとローザリンデが声をかけた。
「ね、アデライーデ。バルク国についてどう思ってる?」
「これから発展する国だと思います」
「ほう…どうしてそう思うんだい? バルク国は静かな小国と言われているが」
「港があるので、他大陸貿易で豊かになる可能性があります。他の大陸のことは資料が無かったのでわかりませんが、珍しいものは皆好きだと思いますし造船と交通が発達すれば、いろいろな珍しいものが入ってきて商業が発達すれば活気も出て生活も便利になると思います」
「それに紀行本で読んだのですが、バルク国のお料理は美味しいそうです。私、お食事やお菓子の美味しい国は将来発展すると思います」
「お食事?」
「はい」
ここからは陽子さんの独断と偏見だ。
「他の国の美味しいお菓子やお料理を楽しめるのは、入ってくる文化を受け入れる柔軟性があります。良いものをなんとか自分の所で作りたいって工夫する国民がたくさんいるって事だと思います。今は小国でもきっかけがあれば十分発展すると思います」
そう…日本もそうやって開国して色んな文化を取り入れて文明開化ってなったのよね。
歴女とまではいかないが、ちょっとだけ歴史好きな陽子さんである。
歴史書斜め読みだけど…
「それに港町は他の大陸との玄関口ですので、きっと異国情緒あふれるところだと思います。珍しい物も沢山あると思いますので見つけたらお2人に贈りますね」
にこにことそう答えたアデライーデに、2人は顔を見合わせた。
「うむ…楽しみにしているよ」
エルンストが微笑むと、陽子さんは嬉しくなった。
「桜鱒のポワレ アロゼ仕上げでございます。お飲み物は辛口の白ワインをご用意いたしました」
白ワインのグラスが満たされると、皮目がパリッと焼かれた桜鱒が香草とみじん切りの固ゆで卵を刻んだ上に載せられたプレートが出てきた。
「私もお魚好きなのよ。特にアロゼで仕上げたお魚は中身はしっとりとしていて皮がパリパリしてて美味しいわ」
ローザリンデがとても上品にカトラリーを扱って、美味しそうに食べてゆく。
「アデライーデはお魚好きなのね」
「はい、美味しいものは大好きです」
「最近はワインも嗜むようになったと聞いたが…」
ぎくっ!!
エルンストが遠慮しがちに聞いてきた。
「最近…好みが変わったのか…美味しいなと思いまして…お酒が…」
どぎまぎしながら答えると、ローザリンデが笑いながらうなずく。
「大人になったのねぇ」
(見た目は子供、中身は還暦だけどね…)
「私もアデライーデ位のときはよくワインを飲んでいたわ」
「そうなのか?」
エルンストは知らない話らしい…
「皆さん、どのくらいから飲まれるのですか」
「そうねぇ…いつから飲んでいいと決まっているわけじゃないけど大抵社交界にデビューする前に親が慣れさせておくわ。
だから、アデライーデも決して早くはないわよ。
お茶会もそうよ。お茶が飲めないとお茶会にならないから8才くらいから薄いお茶から飲める様に練習するわね」
陽子さんの子供の頃、コーヒーを子供が飲むとバカになると言われてうすーいコーヒーを作ってもらっていたっけ。
インスタントだったけど…
うすーくしても苦かったけど、大人の味って思ったわね。
懐かしい思い出だ。
桜鱒のプレートがきれいになったので、グラニテが出てきた。
イチジクの葉が敷かれたプレートにコロンとした黄色い檸檬が載せられて出てきた。
「檸檬のグラニテでございます」
給仕の説明を受けてカットされた檸檬の上部を取ると、中には粒の荒いかき氷がこんもりと盛られていた。
檸檬の香りがする…
檸檬シャーベットかしら…
口に含むと、全く甘みのない冴えた冷たさと檸檬が桜鱒と焦げたバターの味をあっという間に追いやった。それに…
前を見るとローザリンデにはベリーのジャムのグラスが添えられている。
「私はもっと甘い方が好きなのよ。アデライーデもベリーを添える?」
きっとこのグラニテはエルンスト好みなのであろう。
「ありがとうございます。今日はこのままいただきます。黒胡椒が振られて美味しいです」
「自慢の氷室があるからね。今年は秋まで氷が持ちそうだ」
「夏も楽しめますね」
流石王宮だわ。
三口程でグラニテが終わると子羊のロティが運ばれてきた。
「子羊のロティの春野菜添えでございます」
子羊にナイフを入れると、柔かいバターを切るように入っていく。
添えられた春野菜も甘みが強い。
オレンジ色のソースがかかっているそれは丁寧に処理されているらしく、くさみのない美味しさだった。
「ニンジンのソースですか?」
「そうよ。料理長自慢のソースでね。私もエルンストも大好きなのよ」
「私もこのソース、とても美味しいと思います」
「料理長が喜ぶな。しばらくニンジンづくしになりそうだ」
ローザリンデが笑い始めると、エルンストもこらえ切れず笑いだす。
アデライーデも釣られて笑い出し、3人だけの祝いの席は幸せに溢れていた。
デザートのチーズのプチフールをいただいて、3人はソファに移動した。
熱い紅茶を給仕が置くと、侍従長だけ残し皆は下がっていく。
「ね。アデライーデ」ローザリンデがアデライーデの手を取る。
「明日の出立に私達は立ち会えなくてごめんなさいね。慣例でね、私達が見送るのは出陣する兵士達だけなの」
「気にされないでください。慣例なら仕方ありませんもの。それにお2人に大切にされているのはとても良くわかります」
「静かに暮らすのがお前の幸せだと思っていた」
エルンストがアデライーデの肩に手をかけアデライーデを不安げに見つめる。
「はい。私は静かに暮らすのが1番だと思っています」
「本当か?」
「のんびり穏やかに暮らす以上の幸せはないと思います」
アデライーデは2人に笑いかける。
「ここからバルク国はどのくらいかかるのですか?」
「馬車で7日くらいか…」
「たくさんお手紙を書きます。バルク国王に時々里帰りをお願いしてみます」
「そうね、お願いしてみるのも良いかもね」
ローザリンデは優しく笑う。
王妃が国を離れる事など滅多にない…
「街道を整備してもらうようにお願いしてみますね」
「街道を?」
「ええ、里帰りの為にって言うのは気が引けますけど、交易のためにって言えば整備してくれるかもしれませんし」
アデライーデがそう言うと、2人は声を出して笑い始めた。
(私…おかしな事言ったかしら… 道は国の大動脈だと思っていたけど…)
「アデライーデはいい王妃になるわ」
「そうだな。バルク国王は王妃の尻に敷かれそうだ」
きょとんとしているアデライーデに、
「過去に偉大な皇后が同じ事を言ったんだよ」エルンストはアデライーデに笑いながら言う。
「西の国はお芝居がとても盛んでね。どうしても一座を呼びたくて『あの国の織物とうちの小麦の交易をする為に』って街道を整備して貰ったの」
「芝居も楽しかったが、他にも良い縁が増えてな。おかげで未だに頭が上がらぬ」
エルンストは愛おしげにアデライーデの頭を撫でる。
「アデライーデ、思うように穏やかにな」
「ええ、きっとバルク国で穏やかに暮らせるわ」
ローザリンデがアデライーデの頬を撫でる。
「陛下…そろそろお時間でございます」
侍従長が別れの時を告げると、「うむ」とエルンストがアデライーデの手を取り、ソファから立ち上がる。
「息災でな…」
最後にアデライーデを抱きしめるとエルンストは別れを告げた。
「お手紙をちょうだいね」
ローザリンデもアデライーデを抱きしめた。
「はい、お二人ともお元気で…」
アデライーデはふたりに別れを告げるとマリアに連れられ王族の間を後にした。




