339 土地と貝
「素敵でしたわよね。昨日のアメリー様の婚約披露宴」
「お料理もお菓子も、料理長達が頑張ってて普通の男爵家の披露宴じゃ、お目にかかれない品揃えでした」
「私、熱々のフライドポテトでアイスクリームを食べるのに、ハマってしまいましたわ」
アデライーデは昨日の披露宴の感想が止まらないエミリア達を微笑ましく見ながら、熱々のお茶に口をつけていた。
「そういえば、アメリーとノイラート卿は明日帝国に発つのだったかしら」
「はい、本日アルヘルム様とタクシスご夫妻にご挨拶されるそうです」
アデライーデの質問に後ろに控えたマリアが応える。
「コーエン様も、ノイラート家の準備が整い次第帝国へ行かれるでしょうし、結婚式のご準備でお二方ともお忙しくなるでしょうね」
「そうねぇ。楽しい忙しさでしょうね」
「えぇ。本当に…」
アデライーデ達がのんびりとお茶をし、ノイラート卿達がアルヘルム達への挨拶を済ませ帝国に旅立った頃から、コーエンは仕事に忙殺されていた。
婚約式の翌日には王宮より正式な使者が来て、土地の下賜を告げられた。指定された日に王宮へ出向き、通された小謁見の間の控え室で緊張しながら待っていると、上機嫌のタクシスが入ってきた。
すぐに挨拶をするとタクシスは鷹揚に挨拶を受け、コーエンに席を勧めた。
「シリングス卿、過日ノイラート嬢と婚約されたそうだな。お祝い申し上げる。愛妻を得るということは何より勝る至福だからな」
「はっ ありがとうございます」
新年会での求婚劇を聞き及んでいる愛妻家のタクシスは、いい笑顔をコーエンに向けた。
「此度の下賜は、国よりの祝いとでも思って欲しい」
「…身に余る光栄にございます」
「今は一代男爵で屋敷と工房が建てられる程度の小さな土地しか下賜できぬのが、残念だ。卿には今後の活躍も期待している」
「ご期待に応えられるよう、精進いたします…」
何が残念なのか…。一代男爵に国からの結婚祝いなぞ、聞いたこともない。それに、そんな期待は欲しくない。ただでさえ、今でもいっぱいいっぱいなのだ。
コーエンは、冬のこの時期なのに背中にたらりと汗をかいた。そんなコーエンにお構いなしにタクシスは話を続ける。
「ところで…。貝ボタンは去年アデライーデ様から贈られたメラニアに見せられて知っていたのだが…」
「……はい」
「ちょうどその時は、陛下も私も政務に忙殺されていてね」
タクシスが目配せをすると、メイドがお茶を運んできた。
「メラニアに任せてバルクの『瑠璃とクリスタル』の給仕達につけさせていたのだが、目敏い貴族達の目に止まってね」
「はい…」
「白い貝ボタンに金の細工をつけると良いと思わないかい?」
タクシスは袖口のレースについた金細工に縁取られた貝ボタンをちらりと見せた。
たしかにあれは、以前アデライーデに渡した貝ボタンだった。乳白色の貝ボタンは縁取りの金細工で一回り大きくなり上品なカフスとなって、タクシスの袖に収まっている。
貴族女性のおしゃれはドレスに宝飾品、ハンカチに扇と多岐にわたる。同じように貴族男性のおしゃれの一つに「ボタン」がある。
貴族男性が好むのは宝石、高価な布を使ったくるみボタン、金の細工を施した細工ボタンである。コレクターもいて、物によっては庶民の数年分の収入より高い価値のあるボタンもあるのだ。
確かに自分の服にも、タクシスの服にもたくさんの飾りボタンがついている。
「で、だ。先日アデライーデ様から陛下に、これが送られてきた」
タクシスが軽く手をあげると、侍従が銀のトレイに螺鈿細工の小箱をのせて持ってきた。タクシスは螺鈿細工の小箱を前に良い笑顔で、小箱を摘まんだ。
「実に美しい。光を受けて虹のようにきらめく独特の色。太陽の光と月の光で表情を変える神秘さ。テレサ様も妻もこれを一目見て気に入ったのだよ。これは卿が作ったと聞いてね。詳しく聞かせてくれないか」
コーエンは、タクシスに何度も失敗した事や自分でメーアブルグに、店に持ち込まれた他国の貝がないか探しに行った事を話した。
残念ながら持ち込まれた貝は無かったが、船員からズューデン大陸には大きな貝があるという話を聞けたと告げた。タクシスは茶を飲みながらコーエンの話をじっくりと聞いていた。
「自分はアデライーデ様のご用意された貝を使い、ご要望通りに作ったまででして…」
「うむうむ。そろばんもそうだったな。ところで、これを作れるものは他にいるのか」
「いえ、螺鈿細工はまだ試作でして、他に作れるものはいないかと…。あ、でも、あくまでも私の知る限りですが」
「ふむ。そうだな。メラニアも見たこともない細工だと言っていたからな」
タクシスは、コーエンの言葉に満足気に頷くとティーカップをそっと置いた。
「そろばんもだが、陛下も卿には今後ボタンや螺鈿細工の事でも期待している。アデライーデ様から結婚を控えた卿には、くれぐれも無理をさせないでくれと願われているので、こちらでできる限りの事はするから安心して欲しい」
タクシスは、全く安心できない笑顔を向け「少し待っていてくれ」と、告げると席を外した。
タクシスが席を外した間、コーエンは小箱を見つめる。まだまだ改良の余地があるものだ。もっと効率のいい作り方、もっと貝の美しさを引き出す方法を探らればならないと考えていると、タクシスが巻いた地図を片手に戻ってきた。
タクシスは羊皮紙の地図を広げると、シードルフ村にほど近い場所を指差しにこりと笑った。
「この一帯が卿に下賜される土地となる」
思っていたより広い。コーエンが考えていた数倍の広さの土地であった。
広すぎないか?自分が考えていた広さと違いすぎる。仕事で男爵の屋敷に行ったことはあるが、もっと控えめな広さだった気がする。
王都にあった為なのか?郊外だと違うのだろうか。そんなことが頭を駆け巡ったが、とりあえずコーエンは感謝の言葉を口にした。
「多大なる陛下の御心、ありがたきことにございます」
「うむ。これより正式に陛下よりご下賜される。受ける手順は叙爵の時と同じだ。参られよ」
コーエンはタクシスに連れられ、小謁見の間に入りアルヘルムから下賜の言葉を賜った。




