338 エリカ溢れる披露宴
「おめでとうございます!」
「おめでとう!」
村の酒場に着くと、会場となっていたホールに集まっていた顔見知りの村人と兵士達が、口々に祝いの言葉を二人に投げかけた。
祝福の言葉と拍手に包まれて、二人は幸せそうに顔を見合わせた。
非番の兵士や従僕、メイド達の姿も見える。
ホールに入ると子ども達が摘んできた、白、赤、紫のエリカの花がたくさん飾られていた。
この時期、庶民が手に入れられる花は野に咲くエリカぐらいなものである。それでもホールを満たすくらいの花を集めるのは大変だっただろう。
「はい、ご本の先生。結婚おめでとう」
アメリーに小さなエリカのブーケを手渡したのは、村の子ども達を代表した一番小さな女の子だった。
「まぁ、ありがとう」
「そろばんの人と本の先生は、結婚じゃなくて婚約なのよ」
「えー。こんなに綺麗なドレス着てるのに結婚式じゃないの?」
「だって、ベールつけてないでしょ。結婚前の婚約なのよ」
女の子のお姉ちゃんが、お姉さんらしく妹に教えていた。村の子供たちにアメリーはそろばん教本を作った人、コーエンはそろばんを作る人と覚えられているらしい。
「二人とも、正式な婚約おめでとう」
「ありがとうございます。アデライーデ様…」
「しーっ! ここではアリシアと呼んで」
お忍び着のアデライーデが、口の前に指を立ててアメリーに笑った。まだ一代男爵のコーエンの婚約式に正妃が正式に出席するのは、村の中とはいえあまりよろしくないらしく皆知った顔だが、体裁としてお忍びでの参加となった。
--こういうところが貴族社会は面倒よね。お忍びなら許されるっていうのもおかしなものだわ。でも、それで参加できるなら、ありがたいわよね。
陽子さんは心の中でやれやれと思ったが、参加できる抜け道を教えてくれたレナードに感謝していた。
「アメリー様、ご婚約おめでとうございます!」
「素敵なドレスですね」
「ありがとうございます」
「帝国の鴇羽色のドレスですね! すてき…お似合いですわ」
「あ! その指輪…コーエン様からですか?」
アメリーを取り囲み祝福の言葉をかけていたミア達は、目ざとくアメリーの指に輝くリングを見つけた。
「ええ、先ほど贈られて…」
「すてき…羨ましいです! 私も贈られたいです」
貴族の婚約披露宴は主役の二人が会場入りし、その場で1番身分の高い客人に挨拶をしたらそこから始まる。
アデライーデ…アリシアに挨拶を済ませた二人は、次々と挨拶に来る知り合いから祝福を受け、幸せそうだった。
「師匠」
コーエンがホールの隅にいた師匠に声をかけると、師匠は手にしていたエールのジョッキをテーブルに置いた。
コーエンは師匠夫婦と娘夫婦と兄弟子達に順番にアメリーを紹介していく。貴族に慣れた奥さんと娘さんはにこやかな笑顔でアメリーに祝いの言葉をかけ、貴族にそれほど慣れていない娘婿は少しぎこちなく、全く慣れていない兄弟子達は、ガチガチに緊張しながらも祝いの言葉を二人にくれた。
「アメリー様。どうぞ、これからもよろしくお願いします」
師匠の奥さんがアメリーに声をかけた隙に師匠は「ちょっといいか?」と、コーエンを少し離れたテーブルに誘った。
「まずはおめでとう」
「ありがとうございます」
「お前が嫁をもらう時には、連れてこいと言っていたが、まさか貴族の…それも帝国貴族のご令嬢と結婚するとは思ってなかったぞ」
師匠は、笑いながらコーエンの肩を小突いた。
「あ…すいません…。えっと、仕事で知り合って…それが縁で…」
顔を赤くしてもごもご言うコーエンを師匠は、目を細めて見ている。
「お前も貴族になっちまったしなぁ」
「いや…でも、師匠はいつまでも自分の師匠です」
「はははっ。貴族の弟子がいるとは、くすぐってぇなぁ。俺も貴族の弟子を持つ親方の修業でも始めるか」
師匠は上機嫌で笑うと、自分の妻と娘と話すアメリーを見た。
「お前が所帯を持ったら女房が得意先を紹介すると言っていただろ」
「はい」
「結婚してからでいいんだが、できるだけ早く女房と奥方が話ができるようにしてくれ」
「なにかあったんですか?」
師匠の横顔を見て、両親が巻き込まれた噂を思い出し少し不安になったコーエンは師匠に尋ねた。
「いや、なに、お前を紹介してくれと得意先からの紹介がたくさんあってな」
「なにか、ご迷惑な事でもあったんですか」
「いやいや、迷惑じゃねぇ。女房が心配してるんだ。この国の貴族じゃねぇ奥方に話しておきたい『クセのある』客の話をな。あれは俺と一緒になってからお袋と一緒だったから、お袋からいろいろ教えられてきたが、それでも何度か苦い仕事を取らされたからな」
師匠はそう言うと、テーブルにあった蜂蜜酒を二つのコップに注いだ。
「貴族には貴族の社交ってのがあるが、職人の女房には職人の女房と貴族との付き合いがある。俺達とは立場が違うから、奥方が女房みたいに仕事を受けるような事はないかもしれねぇが、知っておいて損はないってな。まぁ、親心みたいなもんだな」
師匠は、蜂蜜酒を注いだコップを一つコーエンに渡すと言葉を続けた。
「仕事の話はこれまでだ。今日はめでたい日だからな。上等の酒に見たこともねぇ料理と菓子ばかりだ。たらふく飲んで食わないとな」
そう言ってニカリと笑うと、コップを軽くあげてぐっと飲み干し、ホールの隅で飲んでいる弟子たちのところへ向かっていった。
「ありがとうございます。師匠…」
しばらく注いでもらったコップの蜂蜜酒を見つめていたコーエンは、同じように蜂蜜酒を飲み干すとアメリーの元に向かっていった。
「コーエンのお師匠さんは、いい人なのね」
「そうでございますね。うちも小さな商会をしてましたから、貴族同士では聞かない話を商人から聞いたりしましたわ。あの方の奥様が心配されていることは、よくわかります」
たまたまコーエン達の後ろの間仕切りの反対側にいたアデライーデとマリアは、聞くともなしに二人の会話を聞いていた。
--どこの世界も一緒ね。アメリーも男爵令嬢として社交はある程度できても、バルクの貴族事情はわからないしね。でも、あのお師匠さんの奥さんならいろいろ裏事情とか教えてくれそうよね。面倒見が良さそうだし…。
そんな事を思いながら間仕切りの影からそっと覗くと、アメリーは師匠の奥さんと娘さんと打ち解けたのか、楽しそうに笑っていた。
「アデライーデ様」
マリアに小声で声をかけられて振り向くと、ノイラート卿が恭しく頭を下げていた。
「ご婚約が整い、ノイラート卿も安心ね。おめでとう」
「勿体ないお言葉、ありがとうございます。それもこれもアデライーデ様のおかげでございます。諦めていた娘の晴れ姿を見れるとは…思っておりませんでした」
そう言って、ノイラート卿は愛おしそうにコーエンの隣で笑う娘を見つめた。
--ちょっと羨ましいかな。私も花嫁や花婿の母って、やってみたかったかも。
アメリーを見つめるノイラート卿をみて、陽子さんは薫達を思い出していた。
--あー。でも、裕人は結婚するかもだけど、薫は無さそうね…。ずっと家に居そうだわ…。
陽子さんとは別の意味で恋愛偏差値が低そうな…いや…興味が無さそうな薫。仕事と趣味と家が大好きな娘だ。
「ノイラート卿は、アメリー達と新しく建てる家にお住みになるの?」
ふと気になって、尋ねるとノイラート卿は笑って首を振った。
「シリングス卿は、部屋を用意するので是非にと勧めてくれますが、私は帝国の貴族ですので、こちらに定住はできません。しかし、皇后様のご依頼で海の絵を描きますので、メーアブルグにでも宿を借りるかと。いつまでもタクシス様の客分として滞在する…と、いうわけにも参りませんので。それに、時々は帝国の屋敷に戻らねば使用人達も不安に思いましょうし、孫ができれば、その教育の為に帝国との行き来も増えますでしょう」
「まぁ…。そうですか」
「当分妻を待たせることになりますが、土産話を持っていけば叱られる事もないと思います」
ノイラート卿はそう言うと、少し遠い目をして賑やかなホールを見渡した。




