334 温室と妖精
「今後の予定だが…」
執務室でタクシスが書類に目を落としながらアルヘルムに声をかけた。
帝国からガラスの街の建設についての同意は得られた。競馬場の件に関してもライエン伯より皇后陛下から許可が得られたと知らせがきている。
「まずは当初の予定通り新街道の整備に着手する。街道は、各領の領主の領都より工事させ接合地には小さな『宿』を造らせる予定だ」
「人員は大丈夫か?」
「ペルレ島の主要設備の工事は終わっているからな。あとは必要に応じて増築をすればいい。その分の人手を街道工事と新しい街の工事に回せる。今は農家の閑散期だから、各領地も作つけの準備が終わり次第街道工事の人手を確保できるはずだ」
「ふむ。ライエン伯からはなんと?」
「当面はライエン伯領の領民を出してくれるそうだ。追って帝国の各領地から希望者を募り、宿舎の出来具合いに合わせて送り込んでくる手筈になってる。『丁度、手紙の為の街道補修が終わった』からだと」
「時期が良すぎないか」
「確かにな。だが、皇后陛下がアデライーデ様との手紙のやりとりの為に街道補修工事と駅を造らせる指示をした時には、ガラスの街の話はなかった。ペルレ島の開発もな。偶然だとは思うが、、」
「ふむ。そうだな…。ガラスの街はアデライーデが言い出した事だが、ペルレ島の事は俺が決断した事だしな。偶然か…」
「そうだな。それを見越してやったのなら、空恐ろしいがな」
バルクの発展がここまでとは、エルンスト達にも計算外だった。当初カトリーヌが輿入れした後、折を見てバルクには交易窓口の話はするはずだった。ただ時期は輿入れ後1年経っての予定であった。
カトリーヌの性格なら輿入れ直後は大人しくしていても、いずれバルクで何かしらの問題を起こすはずだ。周りの限界は1年とエルンスト達は考えていたからだ。
その見返りとして交易窓口の話を持ちかけ、財政の苦しいバルクに港や国内の街道の整備資金を出して貸しを作る腹積もりでいた。
帝国内の街道整備はその為の下準備だった。予想外に「皇后とアデライーデとの手紙のやりとり」という名目が半分本当になっただけである。
街道工事は、ローマ街道の造りに似ている。
馬車道幅は馬車ニ台がすれ違える4メートルほど。その両脇に約3メートルの歩道が造られる。歩道と馬車道の間には歩道止め石が置かれ歩道は馬車道より少し高い。
馬車道は土が柔らかい場所では2メートル、硬い土では1メートル程掘られ、底に大きな石を敷き、次に中くらいの大きさの石、上部に粘土と砂利を混ぜた層を積む。
路面には、大きな石をモザイクのように組み合わせ平らにする。粘土と砂利の層に分厚い石を敷くことで重い荷車が行き来してもすぐに轍ができないようにする為だ。
馬車道は中央部が少し膨らむよう勾配が付けられて雨水の排水を助けるような設計だ。バルクの街道も同じ仕様で造られる。
皇后が指示した街道補修工事は、長年の使用で轍ができた箇所や傷んだ歩道の補修を各領地にさせていた。
「帝国の人夫にやってもらうのは、ライエン領に接する国境からのガラスの街への新街道造りとガラスの街の基礎工事だ。こちら側は人足達の昼食場所の設営と医務所や厠の設営だな」
「うむ。ガラスの街の設計はあがってきたのか」
「これだ」
タクシスはそう言うと、テーブルに大判の羊皮紙を取り出した。
広げた紙の中央には2階建ての大型温室がある。その周りの4つの区画に分けて色分けしてあった。2つはガラスを扱ったショッピングエリアと芸術品を扱うエリアと観劇エリアである。それぞれのエリアの道沿いには数軒の小さな建物が固まって所々にあり、公園や広場がふんだんに配置されている。
「夏までになんとかなりそうか?」
「あぁ、温室と劇場が一番時間がかかるが、他の建物はそれ程でもない。なんなら劇場は夏以降でもいいと思ってる」
そう言って、タクシスはサイドテーブルに置いていた飲みかけのワイングラスに手を伸ばした。
「しかし、これが当初俺たちが考えていた建物ならゆうに数年はかかっただろうがな」
「あぁ。それに、板ガラスを使うのなら板ガラスの職人達の仕事も増やせる。ビンの需要が増えて少し落ち込んでいるからな」
当初はガラスの街のシンボル的な建物にはステンドグラスをふんだんに使った建物をアルヘルム達は考えていた。しかし、それだと長い工期の間の収入はない。
その事をボソリとアルヘルムが呟いた時に、アデライーデが温室ならどうかと口にしたのだ。温室はこの世界にもある。
温室ならば内装もなく、屋敷を建てるより工期は短くて済む。その分、温室の形のセンスは問われるが、そこはメラニアの抱える芸術家集団と建築家に任せればいい。
ガラス小物を取り扱う店や劇場やカフェも、あえて小さな店にすると良いのでは?とアデライーデの提案にメラニア達が頷いた。
「建物の外観は同じにしても、内装をお店ごとに変えると楽しいでしょう? 土の妖精の棲むような内装で、売り子の衣装も妖精っぽくして、手持ちランタンとかランプのお店とか。そういう小さなお店を自分で発見するって、楽しいと思って…」
--フィリップ様の時もそう思ったけど、安全な場所でのごっこ遊びって、きっと大人でも楽しいはずだわ。特に行く場所が限られている女性はね。
「あら、それは楽しそう。高位貴族の夫人方は屋敷に商人を呼ぶか、家が決めた店しか行けませんものね」
「でしたら、海の妖精がいるお店では、青いガラス小物やオイルサーディンとか扱わせてもよろしいですわね」
テレサが同意して、メラニアが楽しそうに夢を広げた。




