330 螺鈿細工と貝ボタン
「アメリー、少しコーエンを借りてもいいかしら」
アデライーデがそう告げると、皆に囲まれて婚約式の話に盛り上がっていたアメリーは少し驚いた顔をしたが、すぐに「はい」と答え、コーエンに頑張ってと微笑んだ。
隣の客間に入ると、コーエンはレナードの差し出した小さな銀のトレイに小箱を置いた。
レナードはそのトレイを先にソファに座ったアデライーデの前のテーブルに置くと、お茶を持ってくるように従僕に伝えて側に控える。
「これって、あれよね? 以前コーエンに頼んだ…」
「はい。あの時ご依頼された貝細工です。大変お待たせしました。それに慣れぬ作業で随分素材を無駄にしまして、この小箱にしか貼れませんでした。申し訳ありません」
キラキラと輝くそれは、螺鈿細工の小箱だ。
去年、海に出かけたときに浜辺で天草と一緒に拾ってきた貝を洗って干し、コーエンに貝からボタンが作れないかと依頼していた。
その時には、まさかこんなにコーエンが忙しくなるとは思ってもいず、気軽に頼んだのだ。
その後コーエンはそろばん作りに忙しくなったが、仕事の合間をみて比較的厚めの貝の外側を削り落とし、白い部分から試作の貝ボタンを作っていた。
そのボタンは、すでにテレサを通してメラニアに渡され、バルクの『瑠璃とクリスタル』の給仕のカフスボタンとして使われている。
この小箱は、アデライーデから渡された貝の中にあった一枚貝の表面を削り落とし、磨きを加えキラキラとした部分のみをとり出して、箱全体に張り合わせたものだ。
中心に薔薇を模した花があり、その周りに細かな螺鈿がびっしりと張られている。
貝は平面として使える部分は少ない。コーエンは花びらの部分を工夫し、螺鈿の一欠片をさほど大きくせずに優美な薔薇を描いていてた。大きいと貝の湾曲で張りづらく、ちょうどよい大きさを探るのが難しいのである。
本来コーエンは木を扱う指物師。そろばんはまだ仕事の範疇かもしれないが、螺鈿細工は全くの畑違いの仕事である。
その指物師に貝をぽんと渡し「これの内側を取り出して小箱に貼って欲しいの。ボタンを作って欲しいの」とは土台無茶な注文であった。
「いいのよ。無茶な依頼をしているのだし、初めて作るものなのだから気にしないで。また拾ってくればいいのだし」
「お優しいお言葉をありがとうございます」
コーエンは詫びるが、無茶な注文をしたという自覚のあるアデライーデは逆に申し訳なく思っていた。
「とても、きれいなものでございますね」
レナードは運ばれてきたお茶を出しながらテーブルの上の小箱を評した。
「ええ、きれいでしょう?」
「海岸で拾える貝がこんなにきれいな飾りになるとは、考えもしませんでした」
レナードは黒檀の小箱に貼り付けられている青と緑に輝く貝細工をじっと見つめている。
「全部の貝が使えるわけじゃないのよ。ボタンには厚みのある貝で、この小箱の細工には内側がキラキラしている貝が使えるわね」
「何と言う細工なのでしょうか」
「貝細工だから螺鈿細工ね」
「ふむ。これはまた、シリングス卿はお忙しくなるでしょうな。このように光の当たり具合で輝きが変わる細工は見たことがありません」
「………、それよね……」
--タイミングが悪いわ。コーエンが忙しくならないように考えていたところなのに…。これが世に出たらコーエンは今以上に忙しくなっちゃうわ。
アルヘルム様に頼んで、しばらく螺鈿細工の事はお披露目を控えてもらおうかしら…。
「ご心配ありがとうございます。なんとかなるかと思います」
意外なコーエンの言葉に驚くアデライーデに、コーエンはしずかに微笑んだ。
「職人を募り、見つけた技法を教え作らせようと思います。最初は忙しいかもしれませんが、職人が育てば、忙しさも落ち着くかと」
コーエンは、国内外にそろばんの工房を持つ話を聞いてから、ずっと考えていた事がある。
今まで職人として、最初から最後まで一人で仕事を完結させる事が大事だと思っていた。自分の工房を持ってからも、しばらくはそれで良かった。
しかし、大量の注文が来てそうもしてはいられず、弟子を持った。弟子に教え、弟子達が少しずつ技を覚え一人前になるさまをみて、親方の元で預かり弟子達を教えた時に感じていた物をつくるとはまた別のやり甲斐を思い出していた。
そして、師匠の言葉を思い出す。
『俺も師匠として、お前らに日々教えられているからな』それがどういう意味か、その時にはわからなかった。だが、今ならそれがわかる気がする。
『お前はできるさ。人を育てられる器量がある』
工房を複数持つなら、今以上の弟子を持ち育てねばならない。自分にそれができるのかと怖くなる。
しかし、この小箱の貝細工は、貴族達の関心をそろばん以上に集めるはずだ。貝ボタンもきっと同じだろう。自分一人だけで依頼をこなすのは無理である。
だが、あの時の師匠の言葉を信じてやってみよう。自分が感じたやり甲斐を信じてみよう。そうコーエンは螺鈿細工の小箱を作った時に思っていた。
きっと、これからもアデライーデから試作の依頼は来るであろう。そろばんもそうだったが、螺鈿細工も貝ボタン作りも苦労したが、職人としての好奇心と達成感が満たされた。
不安も大きいが、この世にないものを生み出し、それを人に教える楽しさを知ってしまった。きっと自分はもう辞めることはできない。
しかも、作り出したものは、バルクだけでなくこの大陸で広まってゆく。職人だったら一度は夢見る野望だ。
独り身であれば、そんな大きな野望を抱くことすら恐れ一職人で終わる事もできた。だが今は守りたい人もでき、自分を支えてくれる人達とも巡り会えた。
何より、それらを掴む機会を与えてくれた目の前にいる黄金の女神に報いたい。
コーエンは心配そうに自分を見るアデライーデに、「ご心配ありがとうございます。無理はしないとお約束します」と口にすると、決意も新たに微笑んだ。




