322 赤いクリームソーダと共栄
「ふむ…、確かに。悪くはないと思うが…」
アデライーデの耳打ちに、明らかに困惑した表情のアルヘルムが言い淀んでしまった。
--ダメかしら? でも、国外から大量の注文がくるなら、遅かれ早かれこの方法が1番なんだけど、この世界では斬新すぎるかしら…。
「アデライーデ様のお考えをお伺いしても?」
先程から2人のちょっといちゃいちゃ風に見えるやり取りを、しらっと見ていたタクシスがアルヘルムに言葉をかけた。
「ふむ…。2人にも聞いてもらって意見を聞きたいな。話してごらん」
アルヘルムに促されアデライーデは、先程浮かんだ考えを話し始めた。
バルク国内向けは当面小箱つきのそろばんで間に合うとしても、帝国から注文が入りだしたら到底追いつかない。
ならば、帝国の職人を募り帝国内向けのそろばんは帝国で工房を構え製作すれば良いのではないか。同じように周辺国でそろばん作りに力を入れたい国にも工房を作るのはどうだろうかとアデライーデは口にした。
「それは…。これから利益を生み出す技術を、他国に譲れと言うことですか?」
「譲ると言うより、共栄になるわね」
「共栄…」
タクシスは驚きの表情を浮かべ、眉間にシワをよせた。
「アルヘルム様にお聞きしているんだけど、今バルクは人手不足でしょう?これから職人になる人もだけど、ある程度の事ができる職人さんはおいそれとは増やせないでしょう? 炭酸水やクリスタルガラスと違って、そろばんは職人さんが手に取れば、すぐに模倣品が出てくると思うの。そうよね?コーエン」
「はい。国内ではまだ聞きませんが、国外となれば精度の差はあれど、すぐに模倣品が出てくると思います。私ども指物師も、国外の珍しい造りの細工物が手に入れば購入し、分解して素材や構造を勉強します」
「確かに、そうだとは思いますが…」
コーエンの言葉にタクシスは、眉間のシワをさらに深くした。
そろばんに向く樺や柘植は、この大陸のどこでも手に入れられ、細工物や彫刻などに広く使われている。
手近に素材があり、簡単な構造のそろばんは、あっという間に模倣されるだろう。便利なもの生活に役立つものはこうやって広がっていく。粗悪品も含めてだが。
「だからね。その国の素材でその国の職人さんが作って、バルクの職人が検査して合格したそろばんには、アリシア商会の刻印とその国や工房を置く領主の刻印を押してもらうの。監督料や検査料はこちらで貰うけど、そうしたらその国にも新しい産業ができて利益が落ちるでしょう? 相手も利益が入るし、こちらには製作するより少ない人数で、それなりの利益が入るから共栄なの」
「少ない人数………」
「そろばんだけでなく、バルクはこれから新しい街やガラスの街も作るから材木はたくさん必要でしょう? いくら森に恵まれているとはいえ、すぐに木も育たないわよね? バルクの山が禿げ山になっちゃうのも嫌じゃない?」
「禿げ山……」
「あとはね。他国に工房を作るのは、嫉妬よけかしら」
「嫉妬よけ?」
「えぇ、これもアルヘルム様にお聞きしたけど、炭酸水やクリスタルガラスの輸出から、バルクに結構注目が集まってるんでしょう? バルクだけものすごく儲けてるってなると、変なやっかみで足を引っ張ったり、ありもしない噂を立てられたりするじゃない? クリスタルガラスとか絶対他国には渡したくない技術はしっかり確保しておいて、すぐに模倣されそうなそろばんは利益を分け合って仲間にしちゃうの。仲間になったら自国の利益を守るためにも、バルクに対して変な事はしないと思うの」
「なるほど……。」
タクシスは変わらず眉間にシワを寄せて何事か考えているし、アルヘルムも眉間にシワは寄せてないが思案顔で黙っていた。
--会社関係でも子供関係とかでもそうだったけど、飛び抜けて優秀な人やお子さん持ってた人には、やっかみってあったのよね。まぁ…人だけでなく国も同じよね。日本もバブルの時に海外から儲けすぎって叩かれて、関税引き上げから相手国にも利益を落とす現地生産に切り替えていたもの。
バルクはバブル景気に沸いた当時の日本と似ている。これからガラスの街の建設や帝国の交易の窓口となるバルクは、もっと発展するだろう。それなら、できるだけ他国からのやっかみは少ない方が良いはずだ。
それに小国のバルクの職人の数は限られる。貴族が買う高価なクリスタルガラスなら少量生産でもいいが、そろばんは大量に需要が出てくるはずだ。模造品を先に作られるより先手を打ってアリシア商会の刻印付きの良品を、その国のお墨付きで売る方がいいはずである。
--間違ってないと思うんだけど、今までに無い考え方って、すぐには受け入れられないわよねぇ。あとは、アルヘルム様とタクシス様に任せるしかないかな。
2人の表情を見て、ふっと小さく息を吐くと喉が渇いているのに気がついた。それに甘いものが欲しい。
「レナード、グレナデンシロップのクリームソーダをお願いしていいかしら」
「承知しました」
「アルヘルム様達もいかが?」
「あぁ、貰おうか。それも新しい飲み物かい?」
「ええ、とってもきれいで美味しいんですよ」
甘酸っぱい真っ赤なソーダにまん丸のアイスクリームにベリーのソースが乗ったクリームソーダが4つ運ばれてくる頃、窓の外も同じように真っ赤な太陽が沈もうとしていた。
ドイツにもクリームソーダはありましたが、あんまりお店には無かった記憶があります。あってもメロンソーダではなくいちご味でした。そしてアイスクリームはホイップクリームだったり、ソーダでではなくコーラだったり……。バルクでは手に入りやすいシロップのグレナデンシロップを使ってクリームソーダを作っています。ちなみにアイスクリームは冬のお菓子です。




