32 驚愕の宴からその夜半まで
陛下達が中座後、広間は静かに蜂の巣を突いたようになった。
元々バルク国に皇女が降嫁されるという話は、貴族の間に知れていた。
最初は順当に第6皇女のカトリーヌ様との話が流れたが、陛下がひどいお風邪を召してそれどころでは無くなった。
3週間ほど後、やっと陛下が公務に復帰された時には降嫁される皇女様は第7皇女のアデライーデ様らしいと高位貴族の間から話が漏れてきた。
アデライーデ様? カトリーヌ様の下の皇女様はフィリーネ様ではないのか?
長く続いた周辺諸国との戦いで、この10年の間に代替わりをした家は多く、若い当主の中には社交の場にほとんど出なかったベアトリーチェが妃であった事すら知らぬ者もいた。
重要人物に対する付き合いは先代から引継があったり、若い当主を支える古参の部下が耳打ちしたりするものだが、すでにベアトリーチェの実家もなくアデライーデの事を覚えているものは王宮以上に少なかった。
また覚えてはいても、アデライーデにご機嫌うかがいをする価値なしとの判断で放置していた家もあった。
すぐに貴族の間でアデライーデが忘れられた皇女であると広まった。
この長い戦いで貴族の目は、良くも悪くも国内と周辺諸国にしか向いていない。彼らの目にもバルク国は毒にも薬にもならぬ小国。目立った特産品もなく産出する鉱物も凡庸。帝国の東の端に隣接する小国との認識だった。
それでも周辺国に帝国に好意的な国が1つでも多くあるに越したことはない。約10年に渡る戦いに終わりが見える今だが、帝国と言えど余計な予算など無い。まして今回バルク国が参加した戦いは重要領地の反乱の鎮圧。領地の御下賜は難しい。皇女一人が嫁げば良いのであれば安いものだ。
しかし…バルク国は辺境の小国。
順当であれば、お輿入れされるのはカトリーヌ様だが、そんな国に大貴族のダランベール侯爵の血筋のカトリーヌ様はもったいない。だからこそ長幼の順を飛ばされ、忘れられた皇女様にすげ替えられたのだ。
陛下も帝国の為とはいえ、寵愛の冷めた妃の娘には冷たいものよと囁かれていた。
ところが…
ほんの7日ほど前のアデライーデ様の輿入れの挨拶のあと、政務にとり憑かれていると言われていた陛下は、突然すべてのご公務をアデライーデ様の為に取りやめた。
その一報に高位貴族を始め、国内の貴族に動揺が走る。
実はアデライーデ様は忘れられていたのではなく、掌中の珠のごとく大事に隠されていたのではないか?
いやそれならば小国なんぞに輿入れなどさせぬであろう。
陛下のお考えはわからぬ…
いや、それよりも陛下がアデライーデ様を大事にしているのであれば、アデライーデ様に長いご無沙汰を侘びご挨拶をせねば陛下のご不興を買ってしまう。皆必死に取り次ぎの手がかりを探すが取次人どころかアデライーデが王宮のどこにいるかすらわからない。
亡くなったベアトリーチェともアデライーデとも付き合いのある貴族は誰もおらず、唯一知っているであろうグランドール宰相も「お輿入れ前にてご多忙」とけんもほろろであった。
すぐにグランドールに宛ててお祝いの品を届けさせたが、型通りの礼状が1通きただけだった。
特に妃を輩出している高位貴族は、息のかかった王宮の使用人達に見つけたら褒美を出すと指示を出し、王宮内にいるはずのアデライーデの居室を探そうとしたが一切の情報が入ってこない…
おかしい。
本当にアデライーデ様という方はいらっしゃるのか?と言う噂まで出てきた。
そして披露の日。
皆の前に現れたアデライーデを見て皆は声を出せなかった。
噂では他の皇女様より見劣りがする外見との事であったが、皇帝の血筋の濃い金の髪と澄んだ青い瞳を譲り受けた美しい少女であった。
キメの細かい白い肌。スッキリとした鼻筋にバラ色の唇。
どの皇女様よりもお綺麗かもしれない。
お召しのドレスは陛下からの贈り物なのだろう。
金糸の刺繍をあれほどふんだんに使っているドレスなど見たことがない。
あのようなドレスをご用意するという事は陛下がどれだけ大事に思っているかわかるというもの。
そしてドレスより貴族達の気になったのはアデライーデが身に着けている髪飾りと首飾りだった。
陛下の瞳の色と同じ耳飾りはともかく、皇后陛下のティアラと同じエメラルドの髪飾りと首飾りをしているではないか。
あれは…皇后陛下がアデライーデ様の後ろ盾と言う事なのか?
ドレスや宝飾品が上位の者と被らないようにするのは女性貴族の常識である。
ただ、それが後ろ盾や母娘の場合は別で同じものをつけ周りにアピールをするのはよくあることだ。
そして、アデライーデの立ち位置に皆が何より驚く。
本来の立ち位置は陛下、皇后陛下、そしてアデライーデ様のはずだ。
それが一歩下がっているとはいえ、お二人の間に立たれている。
第1王子が皇太子に選ばれても両陛下の間に立つことはない。
ありえない。
そして陛下は先ほどの挨拶の中で「我が娘」と言った。
今までの皇女様の披露の時には「皇女〜」といっていたはずだ。
貴族は相手の言葉の行間を読む。
また相手の態度や着けているものでそれらが何を意味しているかを推し量り貴族社会を生きてきた。
そんな彼らにしても、目前で起こっている出来事を押し計れない。
しかし、彼らの静かな混乱は始まったばかりだった。
順に挨拶の折、両陛下…特に皇后陛下が大層ご機嫌が良かった。
そして、慣例を破ってのファーストダンス…。
確かに夫君もご兄弟もいなければ、父親である陛下がダンスを踊ってもおかしくはない…
アデライーデ様の場合、外戚もおらず国外へのお輿入れであれば派閥争いも起きないしな。
問題無いとはいえ慣例を破ることになるが、皇后陛下もお二人にダンスを勧めていたし、親しげに接していてたぞ。
ダンスのあと、高座を降りて迎えに行った皇后陛下をアデライーデ様は「お母様」と呼んだのを私は聞いたぞ。
なんですって!
そう…そして呼ばれた皇后陛下は嬉しそうに乾杯しようと給仕をお呼びになったわ。
もしかしてアデライーデ様は、実はお二人のご実子なのでは?
ベアトリーチェ様のお子様として隠してお育てに…
ならばどんなに王宮を探しても見つからぬはずだ。陛下が隠しているのだからな。
正統な姫君ならなぜ隠す?
アデライーデ様がお生まれになった頃から数年、帝国は危機に瀕しておったからの…
うむ…表沙汰にできぬ事はいろいろあったしの。
いや、わしは覚えているぞ
アデライーデ様はお母上のベアトリーチェ様にそっくりじゃ。
しかし、皇后陛下に雰囲気は似てないか?
だって、皇后陛下とアデライーデ様のドレスのデザイン、色と細部が違うけどラインは同じものでしたわ。
やっぱり…アデライーデ様は…
喧々諤々と話は終わらぬまま、王宮の広間は更けていった。




