308 工房見学と赤い薔薇
「アルヘルム様、わざわざ離宮までお出迎えありがとうございます」
王宮から騎士達を従えて離宮にやってきたアルヘルムへ感謝の言葉を言ったアデライーデをアルヘルムは、まじまじと見つめていた。
「?」
「いや、いつもながらとても可愛らしい。ともに出かけるのは結婚の時以来か…。今まで出かけ無かったのは勿体なかったな。そうしているとあの冬薔薇の妖精のようだね」
そう言うと、アルヘルムはアデライーデを抱き寄せ頬に軽いキスをした。
アデライーデの今日の装いは、深紅のしっかりとしたハリのあるタフタのドレスに、同色のウエストまでのケープマントを纏い、その上にあの黒セーブルのショールを羽織っていた。スリットから覗く腕にはセーブルのマフをはめている。
髪はゆるくハーフアップに編み込まれ、白兎の毛皮で縁取られた小さめのボンネットには、濃淡の苺水晶が小花を模していた。
離宮の前庭に雪を少し被って下を向く、丸っこい真紅の冬薔薇が風に揺れている。
「んんっ」
近づいてきたアルヘルムのキスを受けて、アデライーデは頬を染めるがアルヘルムは腕を緩めてはくれなかった。
「そろそろ、出かけませんと工房の皆さんがお待ちでは?」
アルヘルムは良い笑顔のままアデライーデを見つめる。
「?」
「…お返しは?」
そう言ってアルヘルムは、自分を指さす。
「!」
「で…でも、皆が見ておりますわ…」
慌ててアデライーデは周りを見渡すと、皆は一様に視線を2人から外して明後日の方向を見ている。レナードもマリアも騎士たちもだ。
「………」
-くぅ…裏切り者ぉー
誰も裏切ってはない。
ただ生温かく、他所をむいているだけである。
ここはキスを返さないと出かけられない雰囲気にのまれ、アデライーデが軽く触れるだけのキスをアルヘルムの右頬にささっと返すと、アルヘルムは満足したのか腕の力を緩めてくれた。
「お返しが唇でないのが残念だが、行こうか」
アルヘルムは、にこやかにそう言うとアデライーデをエスコートして馬車に乗り込んだ。
離宮を出て街道に入りメーアブルクに向かって少し行くと、左手に林が見えてきた。
馬車が少し速度を落とすと、外から声が聞こえた。
「前方よし!」
「後方もです!」
アルヘルム達の馬車が村に入るのを見られないように、街道警備兵達がかなり遠くから一時的に道路を封鎖していたようだ。
その声が聞こえて馬車が速度を元に戻すと、街道から轍だけの畦道に入った。そして林を抜けると緑の屋根の建物が並ぶ村が出てきた。
-ここ、新婚旅行で泊まった北ドイツの村に似てるわ。
そう。陽子さんは貧乏新婚旅行でヨーロッパを回った時、ブレーメン近くの馬の産地の近くの村に1週間ほど部屋を借りていた。
その村に入るには、今と同じように街道から信号も目印もない、交差点とも言えない四辻を曲がって村に入るのだ。
街道から見るとただの林だが、その奥には雑貨店(食料品から日用品を取り扱う)と郵便局だけがある小さな村があった。
民宿のオーナーによれば、なんでも古くからある村は、防犯の為に街道から村をわかりにくくするようにつくられているらしい。
おかげで、道に迷いオーナーに電話をして迎えに来てもらった覚えがある。
「林の奥に村があるのですね」
「あぁ。自警団も無いような小さな村は、野盗に目を付けられにくいように大抵こんな感じだな。そろそろ着くよ」
-ここでも同じ理由なのね。
アルヘルムの言葉通りに、すぐに馬車は止まった。
すぐに外からコンコンと軽いノックが聞こえ、アルヘルムが軽くノックを返すと馬車の扉が開いた。
アルヘルムのエスコートで馬車を降りると、村の広場に居並ぶ騎士の間からヴィドロとヴィダが進み出て、2人に挨拶をした。
「本日は我らが国王陛下と正妃アデライーデ様に工房をご覧いただく栄誉を賜りまして大変光栄に存じます」
「出迎えご苦労。アデライーデ、ガラス職人のヴィドロとその息子のヴィダだ。彼らがクリスタルガラスを作製してくれている。グラスを作ったのは彼ら親子なんだよ」
「まぁ、ありがとうございます。おかげでとても美味しくワインを頂けるようになりました。ご苦労されたでしょう?」
「いえ、我らは陛下のお導きにより事を成したまででございます」
そう言うと、ヴィドロとヴィダは恭しくお辞儀をした。
「早速だが、工房を案内してもらおうか」
「御意」
案内の道すがら、廃村だったこの村にクリスタルガラスの品々を作るために自分達が移り住み、後にシャンデリアやサンキャッチャー、その他の物を作るために宝飾職人達が集められたというヴィドロの話を、アデライーデは熱心に聞いた。




