305 見本と飾り棚
「どれもすごく美味しいですわね」
「さすが王宮の夜会のセイボリータルトですわ。どれを食べてもあとを引く美味しさですわね」
「本当に!うちの家も夕食の残り物でよく作っていましたけど、これは別格ですわ」
エミリア達は、1つ1つのタルトに感想を言いながらきゃっきゃとタルトを味わっていた。
そんなミア達を微笑ましく見ながら、玉ねぎとベーコンのセイボリータルトをアデライーデは摘んでいた。玉ねぎの甘みと少しばかりの香ばしさが前世でよく作ったセイボリータルトの記憶を引っ張り出す。
もっとも陽子さんは、最寄り駅のビルに入っていた◯澤商店の製菓コーナーで買ってきた出来合いのタルトカップを使っていた。
-うちもよくやっていたわよ。残り物で作るセイボリータルト。少食な薫が小さい頃、前の晩のおかずを小さく刻んで薫用の朝食をつくっていたわね。肉じゃがに刻み海苔をかけたやつが薫のお気に入りだったわ。
薫がよく食べるようになると、タルトカップでは割高になり冷凍パイシートを伸ばして、おにぎりにもならないような量のご飯や食べ残しのトーストを刻んでフィリングにし、ミートソースやカレーの残りをかけていた。
‐パイにご飯ってどうよ?炭水化物オン炭水化物じゃない?
‐お米はね。欧米だと野菜なの。食べないなら、お母さんが食べるわよ?
‐食べないとは言ってなーい!
そう言って1つ摘まんでは髪をとかし、1つ摘まんでは制服に着替えていた。あと15分早く起きれば座って食べられるのよ?と毎朝言っていたが、「無ー理ー」という言葉を残して慌ただしく学校に行っていた。
‐おにぎりさえ与えておけば良かった祐人と違って、食の好みの煩い薫には随分鍛えられたわよね。
陽子さんは、自分では1度も作らなかった牡蠣のタルトを味わいつつ、懐かしい我が家の始末なセイボリータルトの思い出に浸っていると、ミアがうっとりとしながらつぶやいた。
「ほんとに食べるのがもったいないくらい、王宮のお料理もお菓子もきれいな盛り付けなんですよね。ずっと眺めていたいくらい」
‐あ。
思い浮かんだ事を口にする前に、じっくりと牡蠣の旨味を味わってからアデライーデは皆に尋ねる。
「そう言えば、街の食堂とかで注文する時ってお品書きとかあるの?」
「いいえ、読み書きできない庶民も多いので店の人に食べたいものがあるか尋ねるか、飲み物だけ頼んで他に運ばれる料理を見て、あれと同じものをって注文しますわ」
「そう、それじゃ新しい料理やお菓子って頼みにくいわよね」
「そうですね。お店で恥をかきたくないので、知っているものを頼む方が多いですね。知らないお料理やお菓子は、出てくるまでどんな物かわかりませんから。それがどうかされました?」
突然、庶民の食堂事情を尋ね始めたアデライーデを不思議そうに見ながら、マリアが尋ねる。
「今度、新しい街やガラスの街が作られるでしょう? きっと、近隣の国やズューデンからも商人やお客様がたくさんいらっしゃると思うの。屋台ならともかく、食堂とかでは見慣れない食事を注文するのは大変だと思うの」
「確かに、そうですわね」
「私達も初めてのお店は、すでにその店に行ったことのある友人に連れて行ってもらって、おすすめのものを頼む事が多いです」
マリアに続いて、エマも自身の経験を話してくれた。
メーアブルグでも王都でも、商店はそれと職種がわかる看板が掲げてあるのでなんの店かわかるのだが、看板がなければ普通の家に見える。
風のない日は扉が開け放たれていたので、そこからチラチラと中を覗き、自分の懐具合で目的のものが買えそうな店に入るのだ。
「だから、見本を店先に置けばわかりやすいと思うの。大きな窓越しでも良いわね」
「??? 料理の見本…で、ございますか?」
「でも、冬ならともかく、夏はすぐに傷みますしハエや虫がきて、見た目があまり良くないような…」
「本物の料理は置かないわ。さっきミアが言ったでしょう? タルトが美しい盛り付けだから、ずっと眺めていたいって。木彫りで本物そっくりのタルトを作ってもらって、色をつけるの。それならずっと置けるし、虫もこないわ。小さく作ればお土産物にもなるわ」
そう、日本が世界に誇る食品サンプルである。元々蝋で作られた食品サンプルだが、現在はほとんど塩化ビニールで作られているらしい。暑い季節では変形するだろうし、それなら細工のしやすい木彫りの方がいいと陽子さんは考えたのだ。
「お料理の見本の前に、使われている野菜や鳥や豚の小さな置物を置いておけば、異国の方でもなにが使われているかわかるから注文しやすいと思うの」
「なるほど、それなら初めて見る料理でもわかりやすいです!」
「バルクの木工職人は腕が良いので、すぐに作ってくれそうですわね」
「アデライーデ様。同じ見本をこのセイボリータルトくらいの大きさのブローチにして給仕が腕につけていたら、外の見本を見た人はこの料理って、すぐに注文ができそうですね」
「ミア、良いアイディアね!」
「料理の種類のある店は、両腕につけないとですわね」
「うふふっ」
アデライーデ達の笑い声が大きくなったのを聞きつけて、アルトがテーブルの側にやってきた。
「何やらお話が盛り上がっているようですが、お飲み物のおかわりをお待ちしましょうか?」
「ありがとう、アルト。おかわりもだけど、何か書くものも持ってきてくれる」
アルトはかしこまりましたと応えると、すでになにも乗っていない大銀皿を手早く片付け、新しく入れた紅茶と、紙とペンを持ってきてくれた。
「アメリーみたいに上手に描けないけど」
と、言いつつアデライーデはコーヒーショップのレジの隣にあるショーケースを少し不格好だが丁寧に描いた。
「ガラスの飾り棚でしょうか」
「そうね。でも飾り棚よりシンプルにして中の見本を見やすくするの。扉は後ろにつけて後ろから見本を出し入れするのよ」
1枚目の紙に描いたショーケースをみんなに見てもらう間に、もう1枚アデライーデは何かを描き始める。
「あと、服屋さんならこんな感じでトルソーに新作のドレスを着せて飾るのもわかりやすいわよ」
そう言って、ショッピングモールでよく見る洋服屋さんの店先を簡単に描いた。壁の大部分を大きなガラス張りにした、前世ではよく見るありふれたお店だ。
「大きなガラス窓ですね。この窓のところだけ見ると貴族のお屋敷の窓のようですわ」
「でも、これだと窓からチラチラと店を覗かなくてもどんな服があるかわかりますよね」
「間違えて高級店に入らなくて済みますわ」
「飾ってあるドレスを見るだけでも楽しそうですね」
この日、アデライーデの部屋では日が傾くまで楽しそうな声が聞こえていた。




