298 吉報と改変
「うおおー」
「いやったぁぁーー」
翌日、各部署に庶民文官登用の報が届いた。
朝礼の最後に上司から告げられたそれに、文官達は歓喜の声を上げ狂喜乱舞した。
「静粛に! 正式な登用日はまだ決まってはおらんが、多分来年の2月以降だ。それまでは臨時の祐筆文官を増員し、共用の書類を書いてもらうようになる。また書類も簡略化される予定だ。もうしばらくは今まで通りだが、気を引き締めて務めを果たすように」
貴族らしく威厳をもって重々しく話すが、上司の顔も少しほころんでいる。この課長も課員と同じまでとは言わないが、残業を重ねてきていた。
「はい!!」
希望があると無いとではまるで違う。終わりが見えるなら頑張れる。
課員達は、机に向かった。
「簡略化との事ですが、どのようにでしょうか」
文官棟の会議室で、各課の代表者が集まりタクシスを囲んでいた。各部長は陽子さんの世界でいう所の大臣のようなものである。この会議に集まっているのは、各課の実務責任者達である。
「これを見てもらいたい」
「これは…」
配られた幾通りもの資料を、文官達はパラパラとめくり目を通していく。今の書式に比べ非常に簡素な書式だ。しかし、要点は押さえられ見やすくわかりやすい。
「これは、今アリシア商会と炭酸水課内で実際に使われている書類だ。表向きアデライーデ様を会頭とした商会となっているが、実際は国が運営している商会ではある事は皆も知っていると思う」
「炭酸水課。そう言えば…唯一王宮内の文官棟にない課ですね」
「立ち上げ当初の経緯で、利便性を優先してシードルフ村にあるからな」
炭酸水は帝国の皇后からの依頼で輸出を始めたものだ。何より時間との勝負であったので、アリシア商会と炭酸水課はシードルフ村に設置された。当初通商課より異動したのは8名であったが、後に増員している。
「商会と課を合わせて、人員は20名ほどだ。臨時雇いの者が他に数名いるがな。あと、そろばんも扱っている」
「え?! この人数で、ですか?」
「盛夏の間は流石に残業が続いたが、それでも休みはとれていたぞ」
「信じられません…。当初より輸出もしていたはずです。それをこの人数で…」
帝国の皇后へ献上後すぐに出荷が始まり、その後国内外でも爆発的に出荷数が伸びてバルクの繁栄のきっかけとなった炭酸水を扱う部門である。秋になるまで輸出での主力であり、その仕事量も膨大であったはずである。
炭酸水の発注が帝国より舞い込むまで、文官棟もさほど忙しくなかった。文官棟が忙しくなったのは、炭酸水の本格輸出と同時に動き始めたバルク国内の経済ーアデライーデが関わった開発品含むーと、ペルレ島の開発からだ。
商会設立や炭酸水課の創設も、それに異動した文官はタクシスが部長を兼務する通商部からの移動である
「何やら先王様の炭酸水を帝国に贈る為に課が創設されたらしいぞ」と噂が流れた。基本、部や課が違えばお互いの情報のやり取りも少ない。
まして、文官棟にない課の話だ。すぐに爆発的に利益を上げ始めたと聞いていたが、自分達の仕事が忙しくなり始めたのでその噂はすぐに消えた。人は遠くの出来事より、目に見える事の方に関心がある。
「事実だ。創設当初は現在の文官棟と同じく仕事はすぐに膨れ上がり混乱した。だが、書類を簡略化し日常的な業務の承認権限を一部任せることで、業務の負担の軽減と時間を短縮させた。食材課も同じ手法を採っている。その結果は食材課を見ればわかるだろう」
「なんと…」
文官達は、手元の書類をまじまじと見て言葉をなくしていた。
書類の流れだが、すべての書類は王か宰相の決裁が必要になる。すべての仕事は王命によって行われるのだ。そして、その書類だが書式は格式を持って書かれなければならない。
陽子さんに言わせれば、その書類はお手紙に近い。
国と王を讃える言葉から始まり、許可をもらいたい内容に続き、いかに必要かが長々と認められ、それに必要な物と数量と金額と許可を願う言葉で締めくくられたお手紙形式で書かれている。
書くのも読むのも大変な書類だ…。
しかし、その書類に王か宰相の決裁がされないと、なにも動かないのである。アルヘルムやタクシスが毎晩遅くまで書類仕事をするのは、決裁が無いと国が動かないからである。
特に急ぎの決裁は、当日中に書類を書かせサインをしなければ翌日文官達が、購入先の商会や業者に依頼をかけれない。
ちなみに、業務を依頼する商会にも多少簡略化されるが『恐れ多くも勿体なくも…』と、貴族らしく格式に則った形式で依頼書が書かれる。
そして、文官棟内にその仕事の関連部署があれば同じ内容の書類も必要だ。それもすべて手書きで。
「ここにある書類は炭酸水課が、いかに少ない人数で業務をこなすかと改良を重ねてきた書類だ。これを各課にも採用しようと思っている。貴殿らにやってもらいたいのは、所属する課の実情に合わせた書類の改変だ」
タクシスは、にこりと笑って書類を机においた。




