295 道と花かご
下位貴族の三男以下の道は厳しい。
長男は跡継ぎが確定されている。次男は長男の控えとして同程度の教育も受け、同格の家への養子や跡取りのいない家への婿入りの機会もある。
領地のある家は、家長の長男が成人するまで「控え様」として領地を管理する事が多い。
時が経ち代替わりとなれば相談役として家に残る。年をとっても領地運営の腕をかわれての婿入りや高位貴族の家の管財人として抜擢の可能性を考え独身を通す者も多いが、領地で平民の娘と結婚した者も少なくない。
しかし三男以下は貴族学院卒業後、平民となるか派閥の家の使用人か軍を含む王宮勤めしかない。
王宮勤めをするには貴族学院卒業の資格が必要だが、貧乏な家の子は学院に入学できず、家で親や家庭教師から最低限のマナーと読み書きを教わり、そのまま他家の使用人か平民になっていた。
父親が爵位に着いている間、子息として貴族の地位にあるが代替わりすれば身分は平民となる。しかし、貴族の使用人や王宮勤めをしている間は貴族録から除籍されず、1代に限り見做し貴族として扱われるのだ。
「卿」をつけて呼ばれるのは、その間だけである。
永年爵位を買うには莫大な資金がいる。下位貴族に簡単には用立てはできない金額だ。しかし、王宮勤めをしている間に小さな役職でも付けば、男爵の地位が与えられる。が、その道は狭く厳しい。
どの親も子は可愛い。子が自分と同じ貴族でいられる機会があればこそ、高い学費を工面して貴族学院に入れ、自力で爵位を掴めるかもしれない王宮勤めを親は勧め、彼らも昇進を目指す。
しかし、大抵の文官は、1文官として終わる。
役職が少ないからだ。勤め始めて数年もすれば、自分の周りを見てわかってくる。昇進を諦め与えられた仕事を黙々とこなし、定年退職金が受け取れるまで働くのだ。ー定年以外に退職金は支給されないー
昇進を期待していた親が亡くなったと同時に退職し、裕福な商人の家庭教師になったり、課内にそれなりのコネがあれば出入りの商会に引き抜かれたりして辞めていく者も少なからずいる。
庶民文官を入れたがらない大多数の貴族の本音は、これだ。
庶民にも優秀な者がいるのはわかっている。むしろ貴族より教育の機会が少ない庶民の中から這い上がってきた者は大抵優秀だ。
王宮以外の役所に入っている下級文官ー庶民文官ーも優秀だと聞く。貴族学院で特待生として入り、王宮に入る者もたまにいる。
数年で家業を継ぐために退職していくか、自身で商会を興し独立して去ってゆく者が大半だが、過去に特例として課長になった事例がないわけではない。
少ない役職の椅子を争う相手は、より少ない方がいい。まして優秀なら尚更だ。自分の子どもや甥や孫の将来の可能性の邪魔になる芽は摘んでおきたい。
彼らにも彼らなりの理由があった。
「唐突な訪問を受け入れてくださって、感謝致しますわ」
先日倒れた若い文官の実家の応接室で、メラニアは当主夫妻とその長子の前に座り、言葉を交わしていた。
「いえ当家こそ、宰相夫人が愚息の見舞いに来ていただける栄誉を賜りまして感謝の言葉もございません。しかしながら、愚息はまだ起き上がることもできず、ご挨拶はできません事をお詫びいたします」
「とんでもありませんわ。どうぞお身体を大事になさってね。大切なお役目とはいえ、ご子息が倒れるまでになったことを閣下も大変憂いております。業務の負担を減らすべく改革を進めようとしているのですが、なかなか他の方々にご理解いただけないようで…。宰相として力及ばず、文官達に負担をかけていると嘆いておりました。此度の事、閣下に代わってお詫びいたしますわ」
「も…勿体ないお言葉です」
「文官の長が宰相です。当然の事ですわ」
恐縮している夫妻に、メラニアは連れてきた侍従に目配せをした。
「こちらを。閣下からのお見舞いの品ですわ。お花は私からです。我が家の庭園で摘みましたの」
見舞いの品はガラスの小箱に入った琥珀糖と、メラニアが今朝手ずから摘んだダリアとマリーゴールドをメインに、シロタエギクの葉をあしらった花かごであった。
「このように立派な見舞いを頂く訳には…」
派閥違いであるタクシスからの高価な見舞いの品に、当主は困惑気味に遠慮した。
テーブルの上に置かれた琥珀糖の小箱を一点に見つめ、夫人が意を決したように静かに言葉を口にする。
「息子には過分なお見舞い品ではございますが、頂いても息子はもう到底お勤めをする事はかなわないと思います」
「おい、失礼だぞ」
慌てて夫人の言葉を制する当主にむかい、メラニアはふわりと手で動かした。
「よろしいのよ。夫人のお言葉は同じ母親として当然だと思いますわ。今は復職など考えず、まずはご子息の体を最優先に。閣下からも十二分に身体を休めるようにとの事でしたわ」
「ご配慮、痛み入ります」
汗をかきながら、当主にはそう応えるのが精一杯だった。
程なくしてメラニアは見舞いを終えた。
メラニアは玄関まで見送りに出た夫妻に別れの挨拶を告げた後、夫人の手を取り「ご子息もですが、夫人もお倒れにならないようにね」と言葉をかけ、公爵家の馬車ではなく中立派の実家が用意した家門のない質素な馬車に護衛騎士のエスコートで乗り込んだ。
去ってゆく馬車を見つめながら、それまで黙っていた長男が口を開いた。
「上からは、見舞いという名の出仕を急かす手紙だけでしたね」
「あぁ」
「父上。私が家督を継いだ後、家は完全にお任せいただけるんでしたよね」
「あぁ、お前が当主になるからな。私は柵も持って隠居しよう」
「……。見舞いの品を届けてきます」
次期当主は小箱と花かごを掴むと、可愛がっていた末の弟の部屋に向かった。
メラニアが見舞いに来るより早く、寄り親である派閥の伯爵から見舞いの手紙が届いていた。その手紙には見舞いの言葉のあと、いつ出仕できるか問う言葉が綴られていた。
その手紙の事は、弟に告げていない。
醜態を晒し倒れてしまった自分を悔いている真面目で責任感の強い弟に告げたなら、起き上がれるようになれば這ってでも職場に戻っていくに違いない。
弟の枕辺に座り、宰相様からの見舞いの花だと手渡すと、弟は驚いて花かごを見つめていた。
年の離れた弟は、幼い頃よく熱を出して寝込んでいた。微熱が下がらないのに、もう寝ているのは飽きたと駄々を捏ねる弟の口にあめ玉を放り込み、よく宥めたものだ。
「もう、起き上がれるように…」
そう言いかけた弟の口に琥珀糖を放り込み、あの頃と同じ言葉を口にした。
「だめだ。1日に一粒ずつ食べて、小箱が空っぽになるまでベッドから出るな。数は数えているからな」
そう言って、弟の頭をくしゃりと撫でた。
その後、その男爵家にはメラニアから数日おきに花が届けられるようになり、時折菓子の箱が添えられていた。




