293 椅子と扉
「素晴らしいです!こんなに素敵な机や椅子を使わせていただけるなんて、感謝の言葉も見つかりません」
「丁寧に保管されていた机や椅子ですもの、大切に使わせていただきます」
「こちらとしてもありがたいよ。こいつらの中には百年以上も倉庫で眠っていて、やっと日の目を見れたのもあるんだ。しかも、こんな可愛らしいお嬢さん達に使ってもらえて、こいつらも喜んでるはずだよ」
課員が揃った初朝礼も終わり、庶民文官達は先輩文官に課内を案内された後、自席の机を拭いたり備品を確認したりしていたところに営繕課の課員が数名、椅子の高さ調整のためにやってきていた。
グスタフはオイルサーディンの瓶の工房に打ち合わせの為に出かけている。
「休憩室も応接室も素敵でしたが、私は2階の倉庫の壁紙に感動しました。あんな素敵な貼り方見たことがないです。まるで絵画のようでした」
「あぁ、あれは半端な壁紙をどうやって使い切るかってみんなで工夫したんだ」
倉庫の壁はそれぞれ赤、青、黄、白の色が使われていた。
赤の壁は様々な柄の壁紙を細く横に切り、赤からピンク、そして濃い灰色への色彩階調で朝日が登る夜明けの空を。青の壁は所々に白い雲が浮かぶ青空を。黄色の壁は豊かに実る麦畑を。白の壁は新雪を纏った北の山々が様々な壁紙と営繕課の技術によって描かれていた。
「壁紙のパッチワークのようなもんだ。好きにしていいと、ここの課長から言われてやったんだが楽しかったよ。他ではこんなに自由にできる仕事はないからね。もうどこの壁にも使えなくなっていた古い壁紙も全部使えて在庫もなくなったし、うちの課にとっても有り難い仕事だった」
上機嫌で話す間も手を休めることなく、初老の課員は作業をすすめる。
「自分達もすごく勉強になりました。普段は1つの仕事で少しずつ先輩の技術を見せてもらえるんですが、この仕事では普段手順書で読んだ事しかない技術を一気に見せてもらえましたし」
「違う端材を取り合わせた壁の作り方とか、滅多にないもんな」
「あぁ」
若い課員も嬉しそうだ。
営繕課の基本理念は『可能な限り元通りに。使えるものはとことん修理する』である。
「さぁ、できた。座ってみてくれないか」
初老の課員が椅子の新しい主人に声をかけた。
「! 丁度良いです。筆運びも楽です」
「うむ。お嬢さんにあわせて差尺を調整したからね。差尺が合わない椅子に座って長時間仕事をすると、肩こりや頭痛血行不良になりやすいんだ」
本来、文官の椅子の調整に営繕課が出てくることはない。
椅子の調整までするのは王族や宰相であるタクシスまでであるが、長年在庫として日の目を見なかった家具を全て引き取ってくれた事への、営繕課からのささやかなお礼であった。
「これをホフマン卿に渡しておいてくれ」
そう言って、改装・納品目録を食材課に渡すと「不具合が出たら声をかけてくれ」と初老の営繕課の課員は、若い課員を引き連れて帰っていった。
午前の仕事を終え、少し早めに半分の課員が食堂に向かう。お昼休みは交代制なのだ。今日から新課員も増え、ちらちらと見られる事も以前より増えた。付き添い文官に刺さる目が痛い。
「あ、昼飯ですか?」
「ええ、良かったらご一緒にどうです?」
「喜んで!」
営繕課の派閥はタクシス派、しかも営繕課は文官では無く職務官である。声をかけてきた営繕課員は、先ほど調整に来てくれた若い課員だ。交流を深めても問題ない部署である。
「じゃ、隅の大きなテーブルに移動しましょうか」
トレイを持って、きゃっきゃうふふと席を移る彼等をたくさんの目が追っていた。
そんな光景を目にするようになって半月もたった頃…。
「もう、無理です!どうにかしてください!!」
とある課の中堅の課員が珍しく課長室で声を荒げ、課長に詰め寄っていた。
「豊穣祭の休みも削られ、課員は連日泊まり込みでこの数カ月頑張ってきましたが、もう無理です!櫛の歯が抜けるように倒れていってるんです!その分、他の課員の負担が増えもう限界なんです!」
「いや、それはわかっているよ。だから増員しようと人を探しているんだ」
「夏以降、一人も増員はされておりません!」
目を血走らせた中堅の課員が、課長の机にだん!と手をついた。
「課員の中にはもう10日も家に帰ってないものもいるんです。まともに寝ることもできず風呂にも入れず…。人を入れる入れると言われてますが、いつまで待てば良いんですか!」
そう言う中堅の課員も少し臭う。彼ももう数日家に帰れず、夏以降子供の顔は寝顔しか見ていない。
挙げ句、深夜に帰宅しお手洗いに起きた末の幼い愛娘に「知らないおじさんがいる」とギャン泣きされていた。
「いつまでと言われても…」
課長とて何もしてなかったわけではない。学院の新卒生も限りがある。伝を頼り、既に卒業し商家に務めている者にも声をかけているが、王宮の現状を噂で聞いているのか体よく断られるばかりだ。
「そ、そうだ。空いている旧食材課の部屋を仮眠室に改装するよう、かけ合おう。風呂は無理だが体を拭ける場所も…」
--違う、違う…。そうじゃ、そうじゃない!
中堅の課員は、ぷるぷると拳を震わせ心の中で叫んでいた。
「……。現状をご理解いただけないようですね。今のままでは代替わりの時期以降、退職者が続出するかもしれませんね。民間の商家の方が待遇が良いですから。失礼します!」
「ま…、待て。改ぜ…」
課長の言葉は、彼が後ろ手で締めた扉の音にかき消された。




