291 休憩室と肖像画
「とりあえず、自己紹介をしようか。僕はグスタフ・ホフマン。若輩者だけど、この課を預からせてもらってる。日中は視察や打ち合わせが多くて席には居ない事も多いけど、朝礼には出るからね。簡単な伝言や報告は、あそこにある僕の机の上に置いてくれると助かるよ」
グスタフが自分の机を指差すと、課員はグスタフの机がこの部屋にある事に驚いた。
「じゃ、次は君から」と、驚く課員達を流して調味料課と呼ばれた時からいる課員を指名し、順番に自己紹介が始まった。一通り自己紹介が終わると、グスタフ自ら課内を案内する為に席を立った。
「ここは、給湯室兼調理室だよ。貴族向けは王宮の料理長が協力してくれるんだけど、庶民向けの商品試作とか新レシピの研究や瓶の使いやすさとかを、ここで試す予定になってるんだ。なので、庶民の一般的なキッチンを入れてもらったんだ。もちろん、中古だよ。普段はお茶を入れる程度だけど、雑用係がいない時は各自好きにお茶を入れて飲んで欲しい。食器はそこの棚にあるのを自由につかっていいからね」
キッチン部分は質素だが、グスタフが指差した先の食器棚達は飾り棚と言って良いものだ。その中には、何種類もの古い立派なティーセットとケーキプレートが並んでいた。歴代の部長が使っていた物である。
課員の一人がそっと飾り棚の引き出しをあけると、そこには様々な形をしたスズのカトラリーが種別ごとにきちんと収められていた。スズは銀に次ぐ高級カトラリーだ。
「………」
その課員は、そっと引き出しを閉じた。
給湯室兼調理室の真ん中には、10人は余裕で使えるであろう分厚い天板の作業台を兼ねたテーブルがある。今は花が活けられてないが、お茶で染められたレースの敷物の上に、趣味の良い絵付けがされた花瓶と天使が寝転んだ陶器の置物が置かれていた。
「試食会の時は、ここでみんなで食べるんだ。楽しみだなぁ」
グスタフはにこにこ笑って説明すると、給湯室を出て隣の部屋の扉を開けた。
「ここは休憩室だよ。席でお茶を飲んでも良いけど、気分を変えたい時はここを使って欲しい。女性課員の具合が悪くなった時は、ここで迎えの馬車が来るまで休ませてあげてね。隅に寝椅子があるから」
「はい」
女性が使う事を想定しているのだろう。休憩室は淡いキンポウゲ色に大きめの花の地模様が浮かび上がる壁紙が3面に使われていた。入口の壁だけ淡いペパーミント色の壁紙だ。
「きれいな壁紙だよね。これは1番古株の人もいつからあるかわからない壁紙だったらしいだけど、大きさと所々にシミがあってなかなか使えなかったらしいんだ。やっと使いきれるって営繕課のみんなが喜んでてね。あ、絵と小棚は動かしちゃダメらしい。それでシミを隠してるんだって」
「そうなんですね…」
--どれだけ物持ちが良いんだよ!営繕課!
みんな心の中で突っ込んでいたが、声に出す者はいなかった。
大小の絵画が、壁の所々に散りばめるように飾られている。額縁も大きさも、描かれている絵も違うのにちぐはぐな印象がないのは、やはり王宮営繕課の腕なのだろうか。
でも、この絵画達の真の役割はシミ隠しなのである。
休憩室には小花模様の柔らかな一人がけのソファと椅子、サイドテーブルがあちこちに置かれ、小さな鉢にはいった観葉植物が飾られていた。ここは女性好みにコーディネートされているようだ。
「最後は応接室だね。業者や課内での会議はさっきのソファを使ってもらうけど、高位貴族の方や他の課の方が来たときには、ここに通してくれるかな。僕はちょっと派手かな?とは思ったんだけど、タクシス様がいずれ国外の商人や使者が来るかもしれないから、丁度いいとおっしゃってくれてね」
そう言いながら、グスタフは入り口からすぐの扉をあけた。
応接室は貴賓を招いても差し支えがないほど、華やかでシックに整えられていた。
壁には栗皮色のダマスク柄で近くで見るとうっすらと縦縞が浮かび上がってくる壁紙が使われ、年代物の真鍮製のブラケットライトとの間には、バルクの風景画が飾られていた。
部屋の中央には、あえて中心をずらすように少し斜めに置かれた深い赤の重厚な織りの大型ソファセットが年代物の絨毯の上に鎮座している。
壁に並ぶ磨きこまれた飾り棚やサイドボードには、国内外の貴族向けの商品が品よく飾られ、部屋奥の年代物のマントルピースの上には、アルヘルムとアデライーデとテレサの等身大の肖像画が掲げられていた。
「この部屋も新品と言えるものは、ほぼ無いんだけどね。敬愛する王族の皆様方の肖像画だけは、新しく用意してほしいとタクシス様にお願いしたんだ。肖像画がここに飾られた時は感動したよ」
肖像画を見上げ、先日のアデライーデとの対面を思い出し感慨にふけっていたグスタフだったが、課員は皆同じ事を考えていた。
--多分、その肖像画の購入費に文句をつける輩はいないと思われます…。




