285 管理人と隠れた知恵
「祖父が造ったメーアブルグを残していただけるとお聞きし、感謝の言葉もございません。また、此度の新しい街の件を当家に御下命いただき、この上ない名誉にございます」
ティシュラー・ジマーマンの祖父は息子に爵位を譲り隠居した後、自領地で建築に興味のある若者達を集め、現役時代には作れなかった他国の様式を取り入れた建物を趣味で作っていた。お忍びで祖父の建物を見た先王様が祖父の建物を気に入り、すでに隠居の身となっていたが王命によりティシュラーの祖父はメーアブルグの街を造ったのだった。
感謝を込めたティシュラーの挨拶を受けたテレサは、メラニアと指物師を紹介しティシュラーに椅子を勧めた。
メイドがお茶をいれ、部屋から下がったのを確認してからテレサはティシュラーと指物師ににこりと微笑む。
「これからの話は、陛下から正式な話が公表されるまでは内密にね。表向きは、ブランシュのドールハウスを作るために呼ばれたということにしておいてくれるかしら」
テレサの言葉に2人こくりと頷いた。
「来年、我がバルクはズューデン大陸との新たなる貿易の為に、新街道と拠点となる街を新設します。その建設と警備のために立体地図が必要になったの。実際の作成はタクシス公爵夫人が連れてきた指物師がするのだけど、その製作の為に貴方の協力が必要になって来てもらったのよ」
「と、おっしゃいますと?」
「タクシス公爵夫人の描かれた建物の図案をもとに、建物を設計をして欲しいわ。そして出来上がった設計をもとに、正確な縮尺をその指物師に教えてあげてほしいの」
「期限は、どのくらいでしょうか」
「立体模型の完成が新年祭に間に合うように」
「…再来年の新年祭でしょうか?」
「いいえ、来年のよ」
「………」
張り付いた笑顔のまま固まったティシュラー。今は秋。来年までほんの数ヶ月しかない。
「建物は『外観』だけで良いのです」
テレサがそう言うと、指物師が持参したメラニアのスケッチブックをティシュラーに差し出した。
ティシュラーは指物師からスケッチブックを受け取ると、ぱらぱらとめくり各ページに描かれた建物を確認する。彫像を置く為のスペースがふんだんにとられてはいるが基本的にはシンプルでオーソドックスな建物であった。
「花と緑と彫像を映えさせるために、建物はできるだけ簡素にしてみたわ。特徴的なのは街全体の屋根の色をオレンジ色で統一すると言う事と、脇道の商店街にガラスの屋根をつけて、雨の日も買い物ができるということかしら」
メラニアが2口目の紅茶に蜂蜜を添えながら、スケッチブックに描いた建物の説明をした。
ティシュラーはメラニアの言葉に頷き、スケッチブックを静かに閉じて人懐っこい笑顔を浮かべた。
「『外観』のみということでしたら、ご希望に添えるかと存じます」
「頼みますね。後のことは、そこの指物師に協力してあげてね」
「承知致しました。では、私は指物師の方と少々お話をさせていただきたいと思います」
ティシュラーの言葉が終わると同時に、テレサの女官が「こちらへ」と別室にティシュラーと指物師を連れ出した。テレサとメラニアに挨拶をした2人を送り出したあと、テレサはメラニアと午餐を共にしながら新しい街の話やクリスタルガラスのシャンデリアの話をして、楽しい時を過ごした。
メラニアが別れの挨拶をして出ていくのと入れ替わりに入ってきた女官が、「控えの間でティシュラー・ジマーマン卿がお待ちでございます」と告げると、テレサはすぐにここへ来るようにと命じた。
「待たせたわね」
「いえ、王妃様の為であればいくらでもお待ち致します」
お辞儀をするティシュラーにソファに座るようにすすめると、女官長1人を残し、他のメイドや女官は下がっていった。その女官長もドアの前に控えている。
「新年祭までに大丈夫かしら?」
「本当に『外観』のみでよろしいのでしょうか?」
「ええ、王宮や離宮のように『特別』な通路や部屋は必要ないわ。中は普通のもので良いのよ」
「であれば、従来の設計を利用できるので、さほど時間はかからないかと思います」
「良かったわ。今回貴方に相談したいのは、道や交番の配置のことなの」
「道や交番?でございますか」
「ええ。街の守りについて相談したかったのよ」
テレサが目配せをすると、女官長が部屋の隅の衝立の後ろから地図を乗せたワゴンを持ってきた。先日の晩餐の際にはテレサのチェスが配置されていたが、今は様々な大きさの小箱が地図にのっていた。
「新しい街には、帝国やズューデン大陸からの珍しいものや高価な物がたくさん集まるわ。当然それらを狙って不届きな輩達が目をつけるでしょう。各領地にはそれぞれの領主に頑張ってもらうのだけど、新しい街は王家の管轄になるの。帝国と大陸の交易の要となるわ。ジマーマン家の知識をもって、窃盗や付け火のしにくい街にしたいの」
「承知致しました。我がジマーマン家の名誉にかけて王妃様の期待に沿うように致します」
ジマーマン家は建国以来、王宮や離宮の秘密の通路や隠し部屋の管理をしている。王宮に勤める者すら気が付かないように、巧妙に設計されたそれらはジマーマン家の先祖達の知恵が詰まっていた。
もし、自分が賊や暗殺者であれば、どこから侵入しどのように逃げるのか。隠すものは隠し、侵入された場合の逃走経路をわざと造り、追い込めるような設計も代々受け継がれてきている。隠し部屋の扉の位置や換気用の小窓の大きさ高さも、全て先祖が工夫したものである。
軍閥の家の娘として、多少の武芸と籠城戦の手ほどきは受けていたテレサは、王妃となった時に教えられた王宮の秘密に大きな感銘を受けていた。
その知恵を、テレサは街づくりに活かしたかったのだ。
「期待しているわ」
「ありがたき幸せにございます。あの…失礼ながら、王妃様にいくつかお教えいただきたいのですが…」
「何かしら?」
「交番と言うものと、ドールハウスとはなんでございますか?」
「ふふっ。そうね、先ずはそこから話しましょうか」
その日の午後、珍しくテレサは予定を取りやめティシュラーと話し込んだという。




