283 ジオラマとドールハウス
「紙と何か箱をこれへ」
テレサがお付きの女官に声をかけると、メラニアも侍女に私にもスケッチブックとペンを持ってくるように頼んでいた。
テレサは王宮に住んでいるからわかるとして、メラニアの侍女はどこからかスケッチブックを持ってきているのかと、後からエマたちに尋ねると宰相夫妻専用の控室が王宮にはあるらしい。そこに儀礼服の予備や細々した私物が置いてあるという。
テレサの女官は、少し眉を動かして一瞬考えてから承知いたしましたと下がっていった。メラニアの侍女がスケッチブックを銀のトレイに乗せてペンと一緒にメラニアに差し出すと、メラニアはペンを取り楽しそうにスケッチブックを広げた。
「どうしましょう?優美な建物がいいかしら?それとも力強い感じがいいかしら? そうね…。ガラスの街が優美な印象ですものね。初めてバルクに来た商人たちに印象つけるには…。やはり、かちりとした建物の方が良さげね」
「そうですわね。不正は見逃さないという印象をつけるためにも、男性的な建物の方が良いですわ」
「ええ、ガラスの街と対になって良いですわ」
テレサとアデライーデが応えると、メラニアはうんうんと頷きサラサラとペンを走らせた。
「せっかくですから、メーアブルグの印象を取り入れて…少し帝国風の要素を入れると…」
メラニアがスケッチブックに街の建物の案に夢中になりはじめた頃に、テレサ付きの女官が先程持ってきた地図と同じ大きさの紙と大小いくつかの小箱を持ち帰り、テレサの前に置くと脇に控えた。
「大通りを中心として…ここに倉庫街、そして官庁街、宿泊施設と商店街を置くとして…。兵士の詰所は大通りから死角になりやすいここ…」
と、広げた紙に小箱を置いてテレサが街の構成を考え始めた。
「箱が足りないわね。『私のチェス』を持ってきてちょうだい」
「…よろしいので?」
「ええ、構わないわ。ここには家族と友人だけですもの」
女官はテレサの指示に少し驚いたような表情を浮かべたが「承知いたしました」と言って下り、すぐに貴族女性の持ち物にしては少し無骨な黒い箱をワゴンに乗せて戻ってきた。
女官は、テレサの脇のサイドテーブルに精巧な細工が施されたチェスの駒を取り出したあと、小さな建物やテントの形をした駒や馬車の形をした駒、柵や塔の形をした駒などを次々と出してゆく。明らかにチェスの駒ではないそれらは赤と青に色分けられていた。
「テレサ様、これは?」
「ふふっ。我が家は軍閥の家でして、王家に嫁ぐのだからと父が持たせてくれた私の輿入れ道具のチェスですわ」
アデライーデがテレサに尋ねるとテレサはそう答え、家の形をした駒を楽しそうに紙の上に置き始めた。テレサはチェスと言ってるが、それらは地図を広げ軍事戦略を練る時に使う小物である。
メラニアはすでにテレサのチェスを見知っているのか、建物の図案を描くほうに集中しているのか、ちらりと駒を見てすぐに視線をスケッチブックに戻した。
「バルクは北は高い山脈と東と南は海に守られ、帝国以外とはあまり接していないので他国ほど国境警備に兵力を割かずに済みましたが、それでも去年までは時々アルヘルム様とこの『チェス』を使っておりました。でも、アデライーデ様と、この『チェス』をこのような楽しい使い方をするとは思わなかったですわ」
ころころと笑いながら柵の駒をとったテレサは、良い事を思いついたと言う顔をして紙の上に駒を並べだした。
「この街の塀は、すべて高い柵にしましょう。隠れる場所が無いように。良い考えだと思いません?」
お茶会の時とは違う楽しそうな笑顔を浮かべ、「この配置も書き取らなくてはね」と呟いた。
「書き取るのですか?」
「ええ、陣営はその度ごとに変わりますから」
「でも街なのでジオラマを作ってもいいかもしれませんわ」
「ジオラマ?ですか?」
「立体の地図のようなものですわ。ドールハウスの街版のようなものですね」
「ドールハウス?」
「ええ、おままごとで使う小さなお人形の家です」
アデライーデは指で人形の大きさをテレサに示した。
陽子さんが言っているのは現代のママ達ならずとも知っている、あの有名な家族のお人形シリーズだ。女の子たちだけではなく、幅広いファン層と小物や服をも自作するコアなファンをもつそのシリーズに夢中になったのは、娘の薫だけでなく陽子さんもである。
今でもリビングの一角に陽子さんの家族を模した人形達がクリアケースに収まってお茶をしているはずである。
「ぬいぐるみや抱き人形の着替えのドレスや椅子は持ってましたが、ドールハウスは持っていませんでしたわ」
女の子の遊び道具として、この世界にもお人形はある。ブレンダがアンジーの為に縫った布の人形は庶民のもの。貴族の令嬢が遊ぶのはレースやシフォンをふんだんに使って贅を凝らしたものである。持ち主の髪の色と瞳の色を合わせ、人形にも同じドレスを着させるのが貴族令嬢のステイタスであった。
「あら、それも楽しそうですわね。私もニーナの為にドールハウスを作らせようかしら?」
メラニアがペンを止めて会話に参戦してきた。ニーナというのは、メラニアのお人形だろうか。
「男の子には、騎士団のお人形も良いかもですわね。フィリップはお人形よりもうチェスでしょうけど、カールならば喜びそうですわ」
「良いですわね。街のジオラマにいろいろな職業のお人形を置くのも楽しそうですわ」
「本当に!」
3人で笑いあっているところに、夫人たちを放置していた事に気がついたアルヘルム達が声をかけてきた。




