279 街道と領地図
「先代陛下は、それはそれはメーアブルグに未来のバルクの発展の糸口となる事を、期待されていたそうですわ。外国の貴族や商人がメーアブルグを訪れた際に小国だからと侮られぬよう、調和のとれた美しい街並みを造らせたのですのよ。今、メーアブルグは先代陛下のお望みになられたように発展し始めているのに…。皮肉ですわね。その発展の為にメーアブルグの街並みが大きく変わるかもしれないのは…」
とても残念そうな顔をしてメラニアは小さくため息をついた。
「船への荷揚げや荷おろしはメーアブルグでしても、他国からの荷物を仕分けたり検査する場所を別に作ることはできないのでしょうか?」
「別の場所に?」
アデライーデの言葉に、テレサが口に運んでいたグラスを止めて興味を示した。
「ええ、港から荷物専用の広い道を街中を通らないように一本だけ作って、荷物の検査等は新しい場所でするのですわ。それであれば今の街並みをあまり変えずとも良いのではないかと思って…。これから交易をするのであれば、メーアブルグの街を広げるより別の場所に作った方が作りやすいのではないかと思いましたの」
「良いですわね。それであれば、先代陛下のお造りになられた街並みを、大きく変えることはありませんわね」
メラニアも満足げに頷きながら、ワイングラスに手を伸ばした。
テレサはメラニアの言葉にこくりと頷きながら、手に持っていたグラスをテーブルに置いて慎重に口を開いた。
「他国と交易をするというのは良い面ばかりでもないですものね。平和な世になったとはいえ、抑えるところは抑えたいですわ。国が栄えれば、良い交流だけでなく良からぬ輩も多々入ってきますしね」
軍閥家門の生まれのテレサは、やはり国の守りを最優先に考えるようだ。
「もちろん私も街道を新たに作り、別の場所にて交易品を管理するのに賛成ですわ。今の街道ですとアデライーデ様がお住まいの離宮の横を通り、王都を抜けて帝国に向かいます。それでは些か…心配ですもの。アデライーデ様…、やはり王宮に居を移されませんか?離宮には季節の折にお戻りになるのもよろしいかと…」
今の街道では、これから増えるであろう他国の荷車に心配の種が紛れ込みやすい。無論離宮の警護にあたる兵士らは選りすぐりの者達であるが、王宮のそれと比べれば数に劣る。
帝国の皇女でありバルクの正妃であるアデライーデに害なす輩はそうそういるとは思えないが、バルクをここまで短期間に発展させたのはアデライーデの力が影にある事は諸国に響きわたっている。その叡智を我が物にせんとする輩が心配される。
テレサはバルクの王妃としてでもあるが、離宮で1人寂しく−テレサの目にはそう見える−暮らす、まだ成人前であるアデライーデに少し母のような気持ちが芽生えていた。
「ありがとうございます。でも私、この離宮の暮らしをとても気に入ってますの」
幾度めかのテレサと子供たちの茶会の折に、そっと告げられた同じ誘いにアデライーデは同じ答えを返した。
−そうよね。同じ年頃の子供を持つ母親なら危険になりそうな場所に住むより、目の届くところに住んでほしいって気持ちはわかるわ。でも、私は離宮の気楽な暮らしを手放す気はないのよ。
テレサが良かれと思っている事は十二分にわかるのだが、アデライーデが王宮に住めば当人たち以外の思惑で、いらぬ権力争いや派閥争いを起こされかねない。
それは長い人生の中で会社や友人親戚関係から嫌というほど学んできて、もう手に取るようにわかるのだ。
--それに私に、王宮でテレサ様のような社交を始めとした妃の役割はできないわ。人前に長時間いて誰かに注目され続けるなんて無理無理。やっと誰かにお世話されるって言うのも、早めに老人ホームに入居したって割り切れるようになってきたんだから。
どうも陽子さんは離宮での暮らしを、老人ホームでの暮らしと考えていたようだ。かなりな高級老人ホームである。
--離宮での暮らしを死守する為にはテレサ様の心配を排除しないと、これからも言われ続けるわよね…。実際できるかどうかなんてわからないけど、そういう考えもあるって事を話すだけでも違うはずだわ。
「あちらで殿方がメーアブルグをどうしようかとお考えになっているようですし、私達も私達風の理想のメーアブルグや新しい街道の事を考えてみるのも楽しいかと思いますわ」
3人がちらりと横目でアルヘルム達を見ると、ワイン片手に二人で何やら熱心に話している。
「ああなりますと、しばらくはこちらの世界には戻ってまいりませんわね」
テレサがやれやれといった風にワインを口にした。
「よろしいではありませんか、テレサ様。アデライーデ様がおっしゃった『理想』を私達で考えて楽しみましょう!アデライーデ様、先程おっしゃられていた街道をどのようにひかれるのですか?」
メラニアは楽しい事を見つけた子猫のように目を輝かせてアデライーデに微笑みかけた。
「ええ、新街道を今の街道よりもっと東寄りに少し迂回するようにしてガラスの街と繋げるのが良いかと思いますわ。確かその辺りはあまり大きな街もなかったような気がしますので…」
「王都に繋げるのではなく、帝国との国境のガラスの街にですの?」
「ええ、直接王都を通らない事で、外国からの荷物に良からぬものが入っていても、王都にすぐに影響が出にくいと思います」
アデライーデの提案を聞いてテレサは自分の女官に声をかけた。
「ここに私の領地図を」




