278 秋の夜長と二組の夫婦達
「ご苦労だったな」
「労りのお言葉誠にありがたく。しかし、言葉よりそこの蜂蜜酒の瓶を渡してくれる方がもっとありがたいな」
軽口をたたきながらタクシスは執務室のソファにどっかりと腰を下ろした。
晩秋から昨日までの舞踏会まで、ほぼ休みなく激務をこなしたのだ。昨日の舞踏会でのシャンデリアのお披露目を終えて、明日から短い休みを取るために今日は執務室にやってきたのだ。
「昨日の首尾はどうだった?」
「上々以外の返事はないな。お前にも見せてやりたかったよ。シャンデリアを見た時の大使達の顔をな」
タクシスは思い出し笑いをしながら、アルヘルムから手渡された蜂蜜酒の瓶を受け取ると、グラスにとくとくと手酌で注いだ。
タクシスは黄金色をした蜂蜜酒本来の色をグラス越しに楽しんでから、ゆっくりと口に含む。
「さっきまで大使達の帰国の挨拶を受けていたよ。どの大使も我先にと帰国したがっていたから、てっきり我が国に失望したのかと思っていたよ」
「ははっ。絶望の間違いじゃないか?我が国の急激な発展と自国の差に対してな」
冗談を言い合いながらも、目だけはしっかりと書類に目を通していく。
「まぁ…彼らの気持ちはわからんでもないがな。当事者である我らも未だ、夢ではないかと思うくらいだからな」
「あぁ、そうだな」
そう言うと、二人は書類に落としていた目を横の立体模型にやり少し遠い目をしていた。
話は少し遡る。
去年の秋、交易の窓口となる話が出た後に、アデライーデを囲んでアルヘルムとテレサ、ブルーノとメラニアとでごく内輪な晩餐をとった。
まだ重臣たちにもズューデン大陸との交易の話は伏せられていた時期だ。
交易が始まる事と、それに伴い今まで以上にバルクが栄え忙しくなる事をアルヘルムが告げバルクの未来に向かって祝福の言葉から始まった晩餐だった。
話題は自然と、どのようにこれからのメーアブルグの街と街道を整備しようかという話題になった。予想される交易の規模を考えれば、港も街も小さく街道は細いのだ。
「メーアブルグの街中の道も狭い。今でも日中は絶え間なく荷車が行き交っているしな。道を広げるとなれば、既存の建物をどかさねばなるまい。街全体を作り直す方が良いのではないか?」
「しかし…。そうなれば今の貿易が止まるとまではならないが、工事や増えた荷物に街が大混乱になるだろうな。メーアブルグだけでなく、王都も他国からの人間が増え面倒ごとが増えるだろう。治安兵達も増員せねばなるまい」
晩餐後にワインを楽しむために歓談室へと移り、いつもの執務室での会話のようにアルヘルムとブルーノは、話を始めた。
アルヘルムとブルーノはお互いの夫妻しかいないという気安さで、いつもの執務室のようにひとしきり思い当たる問題点を話し込んでいたが、楽しげな笑い声に、現実に引き戻された。
気がつくと3人の女性達は何やら大きな紙を広げ、きゃっきゃうふふと楽しんでいる。
メラニアの側にはなぜかスケッチブックがあり、テレサの前のテーブルにはいくつものマッチ箱や小箱があった。そして3人ともほろ酔いなのか頬を薄っすらと染め、まるで貴族院の女学生のように楽しげに笑い合っていたのだ。
「ご婦人方、何やらとても楽しそうですね」
アルヘルムがテレサに声をかけると、テレサはこほんと小さく咳払いをしてすました顔で応えた。
「ええ、殿方が私達をほったらかしてお仕事のお話に夢中になっておりましたので」
「それは大変失礼な事をしてしまったな」
「許して差し上げますわ。勤勉な王と実直な宰相様でいらっしゃいますからね」
アルヘルムが苦笑いをしながら人差し指でこめかみをぽりぽりとかくと、テレサはころころと笑いながら、2人に席を勧めた。
ブルーノがメラニアの隣に座ると、メラニアはブルーノの手をとって笑いかけた。
「私達も同じように夢中になっておりましたのよ。私達だったらどのような街道を作るのかって。そして、美しくて堅守で清潔な街道になりましたの」
「ほぅ…。それは興味があるな。ぜひともお聞かせ願いたい」
ブルーノは、楽しげに話すメラニアを優しく見つめながら少しだけメラニアを引き寄せた。
アルヘルムとブルーノが話し始めた頃、メーアブルグの街を作り直すという言葉にメラニアが「そうなってしまうのは、残念だわ。きれいな街なのに」と呟いたのが始まりだった。
陽子さんも同感だと思っていた。
テレサによれば、先王が小さくともバルクの海の玄関として恥ずかしくない街にするようにと、1人の棟梁に命じて作らせたのだという。
--なるほどね。どうりで整った町並みの印象を受けたのね。
陽子さんはメーアブルグの街を思い浮かべながら、メラニアの話をじっと聞いていた。




