277 お披露目と舞踏会
新年祭の翌日はメラニアが以前より準備を進めていたバルク本国での『瑠璃とクリスタル』のお披露目の日である。
国内の高位貴族はもちろんの事、帝国から来ているヨハン・ベック伯爵を始めとした周辺諸国からの大使夫妻を残らず招き、日が落ちかけた頃華やかに開催された。
もちろん諸国の大使達はバルクが帝国に『瑠璃とクリスタル』という店を構えた事を知っている。噂を聞き『瑠璃とクリスタル』がどのようなものか部下に様子を探らせようとはしたが、あまりの人気にどうしても入店できなかった。仕方なく庶民開放の日に大金を積んでなんとか潜り込ませた部下からは、地上の楽園であったと言う報告を聞いてはいた。
部下が熱心に語る報告を、少しばかり婦女子受けのする店であろう…何を大げさなと思って聞いていたのだ。
しかし、その後も『瑠璃とクリスタル』の人気は衰えないばかりか、ますます入店が困難になり、『瑠璃とクリスタル』でしか手に入れられない食べられる宝石と異名がついた琥珀糖と言う菓子が貴族の間で珍重され、入手もできなくなっていた。
秋になりバルク本国に帝国と同じ『瑠璃とクリスタル』を造らせているという報告をうけ、さてどのようなものか自分の目で見聞してやろうとやって来た大使たちは、メラニアが手掛けた『瑠璃とクリスタル』が自分達の想像をはるかに超えたものとは思ってもいなかった。
瀟洒な邸宅の中のいたる所に、メラニアが目をかけた芸術家達の作品が飾られ、見目麗しい給仕達による完璧なサービス。そして料理も王宮で供されている揚げた料理だけでなく、最近南の大陸のズューデン大陸から入ってきたココナッツを使った料理の数々にも唸る他なかった。
中でも、ココナッツで柔らかく煮込まれ魚醤で味付けされた鶏肉のココナッツミルク煮は、異国情緒を纏い珍しいものを食べ慣れている筈の大使達の舌をも虜にした。
すぐさま給仕に何を使って作るのかを尋ね、自国の特産品とで何かできないかとココナッツの輸入を考え始めたのである。夫人達も夫に気づかれないよう、好みの給仕をさも気がないというふうに選び、彼らからの丁寧なサービスを受け晩餐を楽しんでいた。
ある大使夫人が音もなく置かれる皿に目をやった時に、給仕の袖に蠟燭の灯りを含んできらきらと光る白い小さなボタンを目にした。
「あら…素敵なボタンね」
「お褒めにあずかり光栄にごさいます」
「さすがは公爵夫人ね。給仕にこのようなものまでつけさせるなんて。そのボタン…白とクリーム色にピンクや紫まで混ざったような色合いね。金でも銀でもないし…何かの宝石かしら?」
「いえ、宝石ではございません。詳しくは存じませんが、メラニア様がご用意されたものと伺っております」
給仕はにこやかに微笑むと、次の皿の用意のためにその場を離れた。
庶民は木をくり抜いたものを使うが、貴族のボタンは共布のくるみボタンか金や銀などに細やかな細工を施したものが主流である。特に男性はボタンの装飾を競うような風潮がどの国にもあった。
その夫人が周りを見回すと同じ色合いのボタンをつけた給仕が数名いた。もっと詳しく話を聞こうかと担当給仕を呼びかけた時に、階段横のピアノが奏でられ、あわせて聞こえ始めた心地よいテノールの歌声に夫人は心を奪われて、ボタンの事はすっかり忘れてしまった。
ここバルクの『瑠璃とクリスタル』でも帝国の『瑠璃とクリスタル』と同じく料理の合間に、演奏や歌が披露される。さすがに各国の大使夫妻を迎えてのお披露目当日に帝国の『瑠璃とクリスタル』と同じ女性好みのお芝居はできなかったので--メラニアは大きな不満ではあったが--主人夫妻を守る騎士の芝居を披露した。
突然広間のあちこちから現れる騎士役や歌い手、バイオリンやフルート奏者に、普段劇場の貴族席で見る芝居とは異なった臨場感と意表をつく演出でその夫人だけでなく全ての招待客を魅了した。
料理も進み、晩餐のクライマックスはあのクレープ・シュゼットである。
テーブルの燭台や壁の蝋燭の灯りは落とされ薄明かりの中、各テーブルの側にテーブルワゴンが用意された。
「おおー」
「まぁ…」
オレンジに走る華やかな炎に歓声の声があがる。
オレンジの香りが広間を覆いつくし、皆がクレープの最後のひとくちを口におさめたのちに、バルクの『瑠璃とクリスタル』の女主人であるメラニアが夫であるブルーノ・タクシス公爵のエスコートで、2階から優雅な足取りで降りてきて、招待客への挨拶をはじめた。
「明晩の我が公爵家主催の舞踏会にもぜひご参加くださいませ。皆様とダンスを楽しみたいですわ」
メラニアは、挨拶の最後に明日の公爵邸での舞踏会への念押しも忘れなかった。
翌晩、各国大使夫妻とバルク国のすべての貴族を招いての舞踏会が、公爵本邸で行われた。そこでお披露目された燦然と煌めくクリスタルガラスのシャンデリアに大使達は度肝を抜かれ、洗練されたワイングラスに言葉を無くしていた。
舞踏会翌日に、招待客へ贈られたペアのワイングラスとクリスタルガラス細工の小箱に詰められた琥珀糖を手にして、各大使は母国への帰路を急いでいた。
すでに使者を走らせ、バルクが帝国とズューデン大陸との交易の窓口となる事は知らせている。
しかし、皇帝にサンキャッチャーを献上してから程なく、この目で見たあのシャンデリアを作製できる今のバルクの国力。そして、これから計り知れない富を手にするであろうバルクと、自国がいかにして手を結ぶかを自国の王に進言するためにである。




