275 蜂蜜入りの紅茶と爵位
「娘から話を聞いた時には、君の叙爵の話はなかったという前提で聞いて欲しい」
そう言って、ノイラート卿は飲みかけの冷めた紅茶に手を伸ばそうとした。
「お取り替えいたします」
すかさずミアが声をかけ、熱い紅茶にバルクの蜂蜜が添えられて3人に出された。
「我が家の爵位はアメリーが帝国の貴族を婿にすればその婿が預かり、アメリーが独身のままならば、女男爵としてアメリーに譲る事となる。しかし、アメリーがバルクに嫁ぐ場合、皇后陛下に爵位はどうするのかと尋ねられた。娘婿とはいえ、爵位を他国の平民に譲る事はできないからね。しかし、嫡子であるアメリーが産んだ子であれば、祖父から孫へと爵位の譲渡はできる」
蜂蜜を一匙紅茶に垂らし、その蜂蜜が途切れるまでじっと見つめながらノイラート卿は話を続ける。
「私は皇后陛下に、できる事なら爵位は娘の子に譲りたいと申し上げた。年寄りと言うのは強欲でね。一度手にした物は離したくないのだよ」
半分は本当で半分は嘘である。
女男爵として女性も爵位を継ぐことはできるが、当主として矢面に立つことになる。アメリーが男勝りの性格であればそれでも良かったが、引っ込み思案で大人しいアメリーにはそれも難しい。
妻が亡くなった後、娘しかいなかったノイラート卿には親族から後継の男子をもうける為に、後添いの話は降るほどあった。しかし、まだ幼く亡くなった母を慕うアメリーの気持ちを家の存続より優先し、後添いの話には頑として首を縦に振らなかったのだ。
アメリーが年頃になり爵位目当ての縁談もたくさん来たが、どれも納得のいく人物はおらず、適当な理由をつけて断っていた。たまにこれであればという話もあったが、アメリーが首を横に振った。
できる事なら、一人娘であるアメリーが心惹かれる相手にめぐりあってほしいと男性名で仕事をする事も許してきた。が、娘は男性とではなく女性達との交流に夢中になり世間ではハイミスと言われる年まできたのだ。
こうなっては、アメリーが養子を迎えてもおかしくない年まで自分が長生きをして、その子を教育しゆくゆくは爵位を譲るべきかと考えていたのだが…。
思いがけず、バルクにいる娘から交際をしている方がいると手紙が届き驚きと嬉しさの反面、初心な娘が旅先で騙されているのではないかと心配になりすぐに手紙を出してアメリーを帰国させた。頬を染め話す娘を見て、その心配を口にすることはできなかった。
「皇后陛下も、祖父から孫への爵位の譲渡はよくある話だと許可くださった。その後に君から名誉男爵叙爵の手紙が来て、私はすぐに皇后様にお目通りを申請してね。後日お時間を頂いた。友好国同士の貴族の結婚の場合、両国の許可さえあれば互いの国の爵位をそのまま持つことができる。それが名誉男爵である君に当てはまるのかとお尋ねしたのだ」
「お父様…」
「皇后陛下は、もちろんだと。アデライーデ様の嫁がれたバルクの貴族と帝国の貴族の結婚は、素敵な話だと祝福をくださったよ」
「あの…それはどういう意味でしょうか?」
急な話に軽いめまいを覚えながら、コーエンは未来の義父に尋ねた。
「つまり、アメリーと結婚する君に私の爵位を譲るということだ。貴族となった君に爵位譲渡の資格はできた。そして将来生まれる孫は両国の貴族として、後々もノイラートとシリングスの爵位を伝えていくことになる」
「いや…しかし…。私は1代男爵として叙爵したのですが」
「爵位に関しては国を跨いだ特例があってね。他国での爵位を持つ者は、その国において同等か一つ下の爵位を有する事ができる。他国に行っても貴族は平民にはならないのだよ。無論バルク国の許可があればだがね」
ノイラート卿はバルクに到着してすぐに、内々にこの件をタクシスに打診をしていた。
2度目に皇后に目通りをした時、コーエンの人柄がわからずあくまで自分の心づもりで、会ってみて自分が思うような人物でなければこの話はなかった事になりますがと漏らしたら、皇后はコロコロと笑いながらここだけの話なのだけれどねと、コーエンの人柄や生い立ちを教えてくれたのだ。
「仕事熱心で誠実で人柄も良いみたいよ。なにより、とてもアメリー嬢を愛しているみたいね。でも、まぁ父親からしてみたら、どんな殿方でも心配よね。もっと調べさせる?」
「いえ、十分でございます。お心配り、ありがとうございます」
「ふふっ。そうね。あとは卿の目で見てから決めると良いわ。バルク国への必要な書類は作らせておくわね」
皇后は、そう言うと上機嫌で謁見の間を退室した。
アデライーデ様につけている影が、周りの者も1人残さず詳細に調べあげているのだろう。その影からの報告であれば信頼はおける。あとはこの目で確かめるだけであった。
「蜂蜜入りの紅茶とは、美味しいものだな」
噛みしめるように、ノイラート卿は紅茶を口にして呟いた。




