274 申込みと父親
「そう…。それで、どうなったの」
新年会の夜も更け、やっと自室に戻ってきたアデライーデは、ドレスを脱ぎながらマリアに尋ねた。
エマとミアから知らせを受けたアデライーデは、正妃である自分が出ていく事ができないからと、すぐにマリアにコーエンを広間から連れ出すように頼んでいたのだ。
ひとまずどこかの控室に避難させ、担当の子爵を探し出してしばらくしてから再度広間に戻せば良いだろうと言っておいたのだが、その後は主だった高位貴族を集めての晩餐会と続き、今やっと自室に帰ってきたところである。
マリアはアデライーデのコルセットを緩めながら、にこにこと事の次第を詳しくアデライーデに話し始めた。
「え?新年祭の広間で、アメリーに求婚したの?」
「ええ!ええ! それはそれは、とても素敵な求婚でしたわ!正装されたコーエン様はどちらの貴族にも引けをとらない堂々としたご様子で、アメリー様の前に跪いて、真摯に求婚されてましたわ」
うっとりとして、時々手が止まりそうになりつつもマリアは手早くアデライーデからドレスを脱がせ、エマ達に手渡した。
「周りの令嬢方も大興奮で、成り行きを見守っていましたもの」
「きっと、明日のタクシス様ご主催の『瑠璃とクリスタル』でのお披露目パーティでは絶対話題になりますわ!」
「ええ、下位貴族の皆様は直接ご覧になった方も多かったですけど、高位貴族の方々はお噂を、ちらっと聞かれたくらいですもの」
コーエンの求婚を目の前で見ていたエマ達は、アデライーデが入っている猫脚のバスタブの前で身振り手振りを駆使し、その時の様子を熱心に話して聞かせた。
--コーエン。エマのお兄さんの話を聞いて、居ても立ってもいられなくなったのね。アメリーもコーエンも奥手だから少し焦らせるくらいがちょうど良かったのかも。でも、これで晴れて2人は…。あ。
「そう言えば、ノイラート卿は? 2人の事を許しているの?」
バルクに来国した時の挨拶以来ですっかり忘れていたが、今回父親のノイラート卿も一緒に来ているのだ。
「「それなのです!!」」
夜着に着替え居室のテーブルにつくと、軽い夜食とワインを並べながら皆は声を揃えて答えた。
控室にふたりが入り、しばらくするとアメリーの父親であるノイラート卿が訪ねてきたという。コーエンはすぐに初見の挨拶をし、アメリーとの結婚を許してほしいと願ったという。
ノイラート卿も広間でのコーエンの求婚を人陰から見守っていたらしい。エミリアに出されたお茶を一口啜ると、ノイラート卿はおもむろに口を開いた。
「娘はずっとこのまま独身を貫くのかと思っていたのですよ。縁組の話があっても、首を縦に振らずにいました。家の為にはこの子に結婚をしてもらうのが正解なのでしょうが、どうしてもできなかった。
この子は私の赤毛を受け継いでね。顔立ちだけでなく髪も妻と同じ金髪になってくれれば、良かったと…。そうすれば要らぬ思いもせずに良かったと思ってました」
「お父様…」
ノイラート卿はアメリーが赤い髪で嫌な思いをしていた事を、メイド長から聞いて知っていた。お父様には言わないでと言われていたメイド長だが、時々酷く元気がなくなるアメリーを心配して戸惑っていた卿にこっそりと教えてくれたのだ。
「私には、アメリー嬢の髪の色は人生を照らす灯火に思えます」
「うむ…」
思いがけず亡くなった妻と同じ言葉をコーエンが口にしたのを聞いて、ノイラート卿は静かに目を閉じた。しばらく目を閉じこくこくと頷くようなしぐさをしたあとにノイラート卿はゆっくりと立ち上がると、コーエンに手を差し出した。
「娘をよろしく頼みます」
「は、はい!ありがとうございます!」
コーエンはノイラート卿が差し出した手を両手で握り、しっかりと握り返した。アメリーもコーエンの隣で薄っすらと涙を浮かべて笑顔をほころばせている。
帝国に帰った後、あれほど帰ってこいと矢の催促だったにも関わらず1度コーエンの事を聞かれたあとに父は何も尋ねてはこなかった。反対するでもなく賛成するでもなく、違うのは父と二人で出かけることが多くなったことぐらいであった。
思えば、どこも昔連れて行ってもらった覚えのある場所だった。王立の美術館や歌劇場に母が生きていた頃、家族でよく食事に行った店…。父は思い出を辿るために自分を連れ出していたのだと…。帝国を離れる娘と最後に思い出の場所を回っていたのだと気がつくと自然と涙が滲んでいた。
「お父様…。こんなに愛しんでくださったのに、私はお父様をお一人にして…」
「その事なんだがな」
ノイラート卿は二人から目をそらし、顎をぽりぼりと掻きながらいたずらが見つかったような顔をして「私もバルクに住む…かな」と、小声で呟いた。
「ええ?! お父様も?」
アメリーが流していた涙を引っ込める勢いでノイラート卿に詰め寄ると、卿は慌てて「もちろん、新婚家庭と一緒に住むつもりはない!娘の新婚生活を邪魔するなんて野暮なことはしないよ」と否定し、驚いているふたりをソファに座らせると、こほんと咳払いをしてから今まで二人に黙っていた事を話し始めた。
下位貴族とはいえ、他国に娘を嫁がせるとなれば当然国の許可が必要になる。もし、許可が下りなければ職と爵位を辞する覚悟で国に申し出たところ皇后陛下から他国に嫁がせる親の覚悟を褒めていただき、宮廷画家を辞する気持ちがあるのならば、自分専属の画家にならないかとお言葉があったという。
「皇后陛下は、海を見たことがないとの事で、皇后陛下お抱えの画家となりバルクの海の絵を描いて送って欲しいと…ね」
「……。それで、お父様はお受けになったの?」
「うむ。元々人物画より風景画の方が性に合っているしな。それにもう1つ、話があってね」
そう言うと、ノイラート卿はもう1度ソファに腰を下ろした。




