267 控えの間とレモン水
「アデライーデ様、お久しゅうございます。また此度は手紙が届かず大変失礼をいたしました」
翌々日、王宮のアデライーデの客間にアメリーが来国の挨拶に訪れ深々と頭を下げて詫びの言葉を口にした。
「良いのよ、気にしないで。お手紙ならばそういう事もあると聞いているわ。それに配達人の突然の病気ならしょうがないわ」
昨日、アメリーに1日遅れて手紙を持った配達人が離宮にやって来たという。
対応したレナードからの手紙によれば、配達人は途中の街でたちの悪い風邪をもらい酷くこじらせたらしく、10日以上宿で寝込んでいたらしい。ようやく起き上がれるようになっても旅を続ける体力が戻るまで数日かかったと、ゲッソリとした顔で何度も詫びの言葉を口にしていたとレナードの手紙に書かれていたのだ。
「寛大なお言葉、ありがとうございます」
それでも恐縮して言葉を続けるアメリーを、アデライーデはマリアに目配せをしてソファに座るように促し、3人は久方ぶりの再会を喜びお茶をエマ達に頼んだ。
身体の温まるジンジャーティと、胡桃の蜂蜜漬けの入ったずっしりとしたケーキがテーブルに並ぶ。
--でも、今ここでコーエンの事を聞くのは野暮というか、お節介?うーん、私の立場からしたらパワハラとかにならないかしら。
頭の中でぐるぐると、どのようにコーエンの事を聞けばいいか悩んでいたが、この場で1番身分のあるアデライーデが黙っていたら会話が始まらないので、当たり障りなくノイラート卿の事を聞いてみることにした。
「今日はノイラート卿は、登城されているのかしら?」
「はい、先程国王様と宰相閣下に正式なご挨拶を一緒に奏上し、今は宰相閣下と何やらお話があるとかで先に私は失礼をいたしました。父は後ほどご挨拶をさせていただきますとのことでした」
「そうなの。タクシスとは新年祭のことを話しているのかしら…」
コーエンとの事をどのようにして自然に聞こうかと悩んでいたら、マリアがズバリとアメリーに聞き始めた。
「ところで、お父様はコーエン様との事はお認めになってくださったのですか?」
--まぁ、すごく直球だわ。若いっていいわね。
「そのことなのですが……」
アメリーは少しため息をつきながら、アデライーデとマリアに話を始めた。
時は過ぎ新年祭の当日、雲ひとつない冬には珍しく風もなく暖かい日となった。
すでに広場には、フライヤーの屋台を始め色々な土産物の屋台が軒を並べ冬の早朝から活気を見せていた。例年にない異国の果物や菓子、珍しい布織物を扱う屋台もちらほらとでている。
アデライーデが公式に民の前に姿を見せるのは、豊穣祭と新年祭のみ。民達は、青と黄色の布をリボンやタイにして新年祭の開催を待ちわびていた。
王宮では新年祭に先立ち、名誉男爵の叙爵式が行われる。今年の新年祭は例年になく多くの名誉男爵が誕生するため、いつもより早めの式となった。当然、新男爵達は早朝から控えの間に集まり、叙爵式を待つこととなる。
「ね、あの方素敵だわ」
「本当ね。指物師でアデライーデ様からの依頼でそろばんを作ったコーエン様でしょ?すごくかっこいいし…。所作も杖のさばきもとても庶民とは思えないわ。どこかの貴族のご子息か庶子の方ではないのかしら」
「ほんとよね。ね、もう一人の方もなかなか素敵じゃない。ちょっと爽やかな感じだわ。あの方スライサーを作ったマニー様でしょ?あら、コーエン様がこちらを見ているわ。笑顔もすてき…。今、私に微笑まれたのよね?」
「何言ってるの。私達にでしょ?」
今回も壮年や老年の者が多い中コーエンは一際メイド達の目を引いた。毎回お年寄りか既婚者しかいないこの控えの間の仕事は、メイド達にひどく不人気で大抵は新人メイドの仕事となるのだ。しかし、今回ばかりはメイド達は自分達の幸運に感謝した。そして、新名誉男爵の控えの間付きのメイド達から、コーエンの事が瞬く間に王宮の女官やメイドに伝わってゆく。
本来控えの間には水差ししか備えられてないのだが、それがレモン入りの水に差し替えられ、ちょっと良いグラスに交換され、最後にはお茶のセットと摘める茶菓子まで出されてきた。
もちろん、差し替えに来るのは噂を聞いてコーエンを見に来たメイド達である。
前髪を少し整え長い髪を臙脂色の細いリボンで束ね、控えめとはいえ貴族の衣装を身に纏った長身のコーエンは、どこから見てもイケメンの青年貴族にしか見えない。
加えてレナードから鍛えられた所作により、メイド達がコーエンを貴族の子息と間違えても無理はなかった。
「ん、どうされた?コーエン殿」
「いえ、少し緊張したのか喉が乾いて…水でも頼もうかと思っているのですが、あちらの王宮のメイドの方にどのように頼めばよいかと…」
「なんだ、そんな事か。わしも少し喉が乾いたところだ。わしが一緒に頼んでやろう。マデル殿たちも何か飲み物はいかがか?」
王宮に慣れているハンスは、マデルやマニーにも気遣いひと声掛ける。
「いや、粗相があっては困るので私は遠慮いたします」
「俺…いや、私はお茶が良いかな。王宮でお茶なんて今後一生飲めそうにないから」
緊張のあまり無表情になっているマデルはハンスの誘いを断り、目の前の1点を見つめている。マニーは先程まで緊張した様子ではあったが少し慣れてきたようである。
ハンスが慣れた手付きで軽く右手を上げメイドを呼び、水とお茶を2杯頼むと、すぐにメイドがグラスに入ったレモン水とお茶を運んできた。そして、頼んでもないのに茶菓子まで出てきた。
「いや、ありがたいな」
「いえ…。メイドとして当然ですわ。皆様、本日は叙爵おめでとうございます」
ハンスが礼を言うと、メイドは笑顔で祝いの言葉を口にした。
「ありがとうございます」
コーエンに礼を言われたメイドは頬を染めてお辞儀をすると、名残り惜しげに元いた場所へ帰っていった。
マデル以外が運ばれた飲み物で喉を潤してしばらくした頃、時告げの従僕が叙爵式の始まりを告げに来た。
暑い日が続いています。
家人が先日職場で熱中症になり体調を崩しました。
皆様、熱中症にはお気をつけてくださいね。




