263 黒曜石と黒檀
翌日、午後に仕立て屋が離宮に来てハンス達の叙爵の衣装の引き渡しが済んだ。引き渡し後、ハンス達は衣装をアデライーデへのお礼とお披露目をすると老テーラーに話すと、目を細めうんうんと頷きながら帰って行った。
「アデライーデ様。ハンス殿達がアデライーデ様に感謝の言葉をとの事でお待ちでございます」
レナードが居間でお茶をしていたアデライーデに告げに来たので、マリアと共に1番大きな客間に向かった。
客間のテーブルは取り払われ、少し奥に一人がけのソファだけがちょこんと置かれている。アデライーデはマリアに先導されそのソファに座ると見計らったように客間の扉が開いた。
すると、レナードを先頭に若い従僕達に連れられたハンス達が客間に入ってきてアデライーデの前に並び、レナード直伝のお辞儀をした。特訓のかいあって、きれいに息があいお辞儀の角度も揃っている。
さながらプチ叙爵の儀のようである。
--あら…。色とかはお揃いの色じゃないのね。
マデルとマニーは濃い藍色で、ハンスは黒が混ざった深い緑色、コーエンは落ち着いた焦げ茶である。
上着の襟は少し立て襟で丈は膝程まであり、袖は大きめのカフがある。見事なのは襟から裾まで縁取られた刺繍だ。金糸とそれぞれの上着と同色の糸を数種使い、小花や蔓草が華やかにそして上品に縁取られていた。
中のベストは落ち着いたクリーム色で、上着と同じ意匠の刺繍がさされている。首周りと袖口には幾分控えめながら細やかなレースが顔をのぞかせている。それに上着と同色のトラウザーズだ。
「素敵だわ。皆、よく似合っているわ。それに歩き方も姿勢もお辞儀も完璧よ」
「ありがとうございます。これもみなアデライーデ様のご配慮のおかけでございます。叙爵の儀は贈って頂いたこの衣装に恥ずかしくないように務めます」
ハンスが代表してアデライーデに感謝の言葉を述べると、もう1度深くお辞儀をした。
叙爵の儀には、爵位を授ける国王アルヘルムと推薦する宰相であるタクシスと公務を執り行う高位貴族達だけで行われる。後は見届け人としての数名の新男爵の家族のみ。叙爵の儀の場に入る事はないアデライーデの為にレナードがせっかく感謝の言葉を伝えるのであれば…と、用意したのだ。
ハンスが頭をあげ4人が客間を出ていこうとした時に、最後尾にいたコーエンに従僕がそっと声をかけ、コーエンだけが客間に残された。
「コーエン、叙爵おめでとう。これは私からの贈り物よ」
隣の部屋から従僕が、恭しく黒い木箱をワゴンに載せて持ってきた。勧められるままコーエンが木箱を開けると、中には1本の黒い立派な杖が赤いビロードでできたクッションの上にあった。
「このような立派なものは…私には過ぎたものでございます」
「アデライーデ様がコーエン殿の為に選ばれたものでございますよ。是非お手取ってみてください」
杖を見て戸惑っているコーエンにマリアが声をかけるとコーエンは恐る恐る杖を手にとった。杖は艷やかな黒檀でハンドルには子供の握りこぶしほどの大きさの丸い黒曜石が使われていて黒檀と黒曜石を繋ぐ部分は細やかな銀細工で取り付けられていた。
アデライーデは杖職人からコーエンが質素な杖を望んでいるがどのような装飾にするかと尋ねられた時に、それであれば黒曜石を使って欲しいと願ったのだ。
黒曜石は、陽子さんが社会人になった時に両親から贈られた昔懐かしい三点セット[ネックレス・イヤリング・ブレスレット]に使われていたものである。
贈られた時に父親から、黒曜石は昔から新しい一歩を踏み出す力を持ちお守り代わりにもなると言われている石だと教えられ、母親からは「使い勝手が良いものだからどこにでもつけていけるわよ〜」と実用的な面を力説された石だった。実際、結婚式以外のちょっとしたフォーマルな席には、とても重宝した覚えがある。
コーエンが杖を手に取り、トンと床を突くと着ている衣装にピタリとハマり見惚れるほどに格好良い。レナードに促され杖をついて歩く姿は、確かに足が少し不自由だとは全くわからないほどであった。
「まぁ…。とても素敵ですわ!」
「本当に! よくお似合いですわ」
「うむうむ。以前から使っていると言ってもよいくらい、違和感がございませんな」
にこにこ笑うアデライーデや、エマ達やレナードに褒められていたがコーエンの内心は穏やかではなかった。
職人としてこの杖を見て、この杖がいかに一級の杖かよくわかる。正確に真っ直ぐ削られ僅かなへこみもない滑らかなシャフト。黒曜石とシャフトを繋ぐ銀細工の細やかさは同じ職人として唸るほどの見事さだ。
「身に余る贈り物をいただき、感謝の言葉もございません」
「良いのよ。それだけ似合っていれば贈った私としても嬉しいわ」
深々とお辞儀をするコーエンにアデライーデは、恐る恐るアメリーの事を尋ねてみた。
「アメリーは元気かしら?」
「……。お忙しいのか。一月ほど前に出した手紙の返事がまだでございます」
「そう…」
「ただ…手紙は遅れがちですので、そのうち返事は来るかと」
「そうね。新年祭までに返事が来るかしら」
「そうであれば良いかと思っております」
コーエンはにこりと笑うと、再度アデライーデに丁寧にお辞儀をして退室していった。




