259 仕立て職人と杖職人
「それでは、叙爵の場に相応しきように頼みます。時間がなくて申し訳ない」
「いやいや、レナード様のお頼みとあらばうちの工房の職人どもも張り切りますわい。どうぞ、お任せくだされ。それでは皆様、授爵おめでとうございます。また仮縫い場でお会いしましょう」
翌日の昼下りに、レナードの知り合いという仕立て屋が離宮の小さな客間に呼ばれた。かなり高齢とみられるテーラーは節くれが目立つ指でコーエン達の採寸を丁寧に済ませ、にこにこしながら挨拶をして帰っていった。
後には、面倒な事が終わってホッとしているハンス・ビューローと採寸で緊張していたマデルと初めての仕立ての採寸に少し興奮していたマニーとコーエンが客間に残された。
大抵の庶民は服を古着屋で買う。縫い物の得意な母親や奥さんがいれば彼女たちが家族の服を布から縫うこともあるが、ほとんどの家では古着を買って少し袖や裾を寸直しをする程度だ。
採寸後、4人は離宮の客間のソファでメイドが持ってきたお茶に口をつけていた。アデライーデに呼ばれた時はホールや客間でお茶を出された事はあるが、今までは使用人用の休憩室でお茶を出されていた。
「今までどおり、お茶はいつものところで良いのですが…」
「そういう訳にはまいりません。ハンス殿たちは男爵となられるのですから、今後は使用人口からでなく玄関からお迎えいたしますし、アデライーデ様とのお呼び出しも客間で対応させていただきます」
ハンスは一口お茶を飲んだあとレナードにそう頼んだが、レナードはにこやかに叙爵し男爵となるのだからこれからはこちらで…と、告げてきた。ハンスはやれやれ仕方ないとカップを口に運んだが、他の3人は苦笑いをしていた。
叙爵したとはいえ、すぐに貴族の習慣に慣れる訳ではない。これから気軽に入れた使用人口が使えなくなるのかと、ちょっぴり気が重くなっていた。
「ところで、叙爵の儀の所作を教えてあげてほしいとアデライーデ様に頼まれまして、皆様がよろしければ早速今から軽く指南いたしますが…」
穏やかに笑うレナードと、引きつるマデルとマニー。
無論アデライーデからの頼まれ事を断れるはずもない。それに確かに叙爵の時の所作など知るはずもないのだから指南してもらえるのはありがたい。ありがたいのだが、果たして自分が出来るのかと口に含んだお茶をごくりと飲み込む。
「あぁ、そうでしたな。私も永く王宮には出向いておらんので、細かい作法はすっかり忘れておるからな。ありがたいよ」
「ようございました」
ただ一人そういう所作に慣れているハンスを、マデルは少し恨みがましげな目でちらりとみやる。しかし、叙爵の儀でなにか粗相をすれば村の名誉…いや、アデライーデの名前に傷がつく。
--なんで叙爵などされちまったんだろう…ただの鍛冶屋なんだぞ…俺は…。頼まれた物を作っただけで叙爵なら、職人はみんなお貴族様になってるぞ。
そう心の中で叫んでいるマデルをよそに、レナードとハンスの間で指南の話はトントン拍子で進んでいくのだ。
「そうそう…。コーエン殿にこちらをお試しして頂こうかと」
レナードが控えていた従僕に向かって頷くと、従僕は隣の部屋から一人の職人を連れてワゴンを押して戻ってきた。
「杖職人を呼んでおります。お気を悪くされるかと思いましたが、コーエン殿には必要かと思いまして」
「いえ、とんでもないです。お気遣いありがとうございます。しかし…。杖はあまり使ったことがなく…」
実はコーエンは幼い頃少しの間杖をついていたのだが、近所の悪童共にからかわれたり、歩いている時に杖を蹴飛ばされたりしてすぐに使うのをやめてしまった苦い思い出がある。
コーエンが言い淀んでいると、コーエンの父親くらいの年齢の杖職人はワゴンから一本の杖を見繕いそっと両手でコーエンに差し出した。
「授爵、おめでとうございます。爵位を持つ者は御前でも杖を持つ事が許されております。故に杖は貴族男性の象徴とも言われておりましてな。どうぞお手に取ってご覧ください」
「は、はい」
差し出された杖を受け取らない訳にもいかず、コーエンが杖を手に取ると職人は杖をついてみてほしいと言い出した。
「ふむ…、右手に持って少し歩かれてみていただけますかな?」
「は…はい」
言われるがまま少し歩くと、その姿をじっと見ていた職人はすぐに別の杖を取り出した。
「こちらでもう一度、お願いいたします。そして、もうひと呼吸ゆっくりお歩きくださいますか。貴族の方は庶民よりゆっくり歩くのが普通でしてな。ほれ、ドレスのご婦人をエスコートするのに早足では、さまになりませんからのう」
「はい」
コーエンは不自由な足で皆に遅れまいと、少し早足に歩く癖がある。職人に言われて、確かにアメリーと連れ立って歩く時は、普段よりゆっくり歩いていたなとその時の事を思い出しながら歩いてみせた。




