256 知らせと月明かり
「え?私にですか?」
「そうです。コーエン殿に1代男爵位を授与すると先日の会議で決まりました。目出度いことでございますな」
王宮から使者が来ると先触れがあった時には、そろばんの納品でなにか問題でもあったかと緊張して出迎えたコーエンに、老年の使者はにこやかにそう告げた。
「今年は例年になく多くの1代男爵が誕生します。この村からはハンス・ビューロー殿とマデル・マニー親子もですよ。いやはや、1つの村からこれ程多くの1代男爵が誕生するとはバルクの歴史始まって初の事ですな」
「………」
予想だにしていなかった使者の言葉に、コーエンは言葉を失って立ち尽くしていた。
そんなコーエンを使者は、うんうんと頷きながら言葉を続ける。
「驚かれるのも無理はない。職人での男爵位授与は滅多にございませんからな。先にビューロー殿とマデル殿にお知らせしたのだが、、まぁ…ビューロー殿は騎士爵をお持ちなので、驚かれはしたがお喜び頂いたのだが。マデル殿は聞いた途端に倒れられてな…」
「え?!」
「いや、ご心配には及ばんよ。奥方がしっかりされているから直ぐに叩き起こさ…いや…マデル殿は直ぐに気を取り戻され、腰を痛めておるからと椅子に座って静かに授与の言葉を聞かれたよ。息子のマニー殿も奥方譲りなのか、しっかり者のようで初めての授与にもちゃんと受け応えておられた」
マデルは先触れでコーエンと同じようにフライヤーに何か不具合でもあったのかと考えていたが、マニーも一緒に面会したいと言われ今度は王宮からなにか作れと言われるのではと思っていたのだ。
マデルの奥さんも、きっと王宮の厨房の改装か何かでの大型フライヤーの注文だろうと「これで来年も安泰だ」と狸の皮算用を弾いてわくわくしていたのだ。
それが降って湧いたかのような男爵位授与の話に、マデルは目をまわして倒れ、驚きからいち早く復旧した奥さんが平手打ちでマデルを叩き起こして「マデルは最近腰を痛めまして…ほほほ…椅子に座らせてもよろしくて?」と強引に側にあった椅子を引っ張ってきて座らせた。
目をあけたまま気絶しているマデルの代わりにマニーが「男爵位授与、謹んでお受けいたします。これからも親子共々微力ながらバルクの発展の為に身を尽くします」と卒なく挨拶をしてその場を過ごしたのだ。
「身に余る光栄、謹んでお受けいたします。これからも努力を重ねバルクの発展に努めます」
コーエンは、我に返るとすぐにそう挨拶を使者に返した。
「うむうむ、期待しておりますぞ。実はわしの孫は財務部に勤務しておりましてな、コーエン殿のそろばんの事を褒めておりました。手に馴染んで使いやすいとな」
「もったいないお言葉です。私はアデライーデ様のご要望を実現したまでで…」
「いやいや、ご謙遜せずとも。納品を重ねるたびに改良され、使いやすくなっていっていると聞いておりますぞ」
そう言うと、新年祭に王宮に招かれ正式な授与の前に姓の無いコーエンとマデル達には王から姓を賜ると教えてくれた。
この姓は爵位のない子孫に継がせても良いそうで、たまに庶民の中にも姓を持つ者がいるのは、祖先の誰かが国に貢献した証となっている。
使者が帰ると、隣の仕事場で心配で聞き耳を立てていた弟子たちは、コーエンを取り囲み祝いの言葉を口にした。
「おめでとうございます!すごいですよ!この若さで男爵になれるなんて!」
「ありがとう、信じられないよ。男爵になるなんて…まだまだ職人としては年若い自分が…」
「何言ってるんですか。王宮は元よりバルクの商家で、そろばんはすごい人気なんですよ。手に入らない商家は子供のそろばんを借りて親が夜使ってるくらいなんですから」
「そうそう、作っても作ってもあっという間に売れちまうし、バルクの輸出が滞らない影の立役者ってそろばんは言われてんですから…男爵位をもらうのは当然って言えば当然ですよ。」
「お祝いですよ。今日はコーエンさんの祝いをやろうぜ」
「良いな!酒場に誰か知らせてこい」
コーエンよりも職人たちの方が爵位授与にはしゃぎ、もうその日は仕事にならずそのまま酒場にコーエンは連れ出された。酒場に着くと酒場の女将さんも喜んでくれ、ハンスやマデルの家にも使いをやって、その晩は村人全員が酒場に集まり皆の爵位授与を祝う大宴会が催された。
男達は酒を酌み交わしマデルやマニーの肩を叩いて喜び、女達は奥さんが一緒に招かれる新年祭に着ていくドレスの話で盛り上がっていた。マデルの奥さんはそれを聞き「どうしよう?ドレスなんて仕立てたことないわよ。古着しか買ったことないんだよ?!それに王宮での作法なんてわかんないわよ」と青ざめていたが、王宮でメイド務めをしていたおばあさん達から「新年までに形だけでも仕込んであげるよ」と慰められていた。
夜が更けても宴会は終わらず、コーエンは一通り皆から祝いの言葉をうけ、いつもは滅多に飲まない酒を飲んだからと1人酒場を抜け出して酔い冷ましに庭に出ていた。
酒場の中の賑やかな声が漏れ聞こえる静かな庭に、冬の冴えざえとした月が明るく庭木を照らしている。
そう、あの晩のような明るい月明かりだ。
「私が男爵に…。平民の私が同じ爵位に…」
そう呟いたコーエンの声を月だけが聞いていた。




