249 薪とワインと蜂蜜酒
「ところで、資金の方はどうだ」
「お前のいう資金とは、どこまでを言ってる?」
「全部だ」
アルヘルムの言葉に、やれやれと言った風情でタクシスは蜂蜜酒のグラスを置き、サイドテーブルの上に置いていた一束の書類を手にとった。それは最新の輸出に関しての報告書である。
「まずは…ペルレ島だが、すでに利益を出してきている事は以前報告していたな。今大型船が寄港し始めてその利幅が飛躍的に増えてきている。その利益の一部を今後は現在ある酒場や倉庫、港の増築費用に充てて行けば問題はあるまい。治安もメーアブルグの時より良いらしい」
「ふむ…」
「武器の持ち込みを制限しているからな。揉め事もあるにはあるが、以前のような刃傷沙汰は今のところないようだ。ヴェルフが喜んでいたよ」
メーアブルグでも、刃物の持ち込みは禁止されていたが持ち込む船員は多く、酒の席での揉め事に呼ばれ大きな怪我を負う隊員が後を絶たなかった。
しかし、ペルレ島ではそれがない。治安を守るヴェルフにとっては、それが何よりであった。
「医師達からはなんと?」
「今のところ、伝染性の病を持った者は見つかっていないようだ。浴室使用人達にも見張らせているが、おかしな様子の者はいないようだな」
「引き続き、しっかりと見張らせてくれ。何かあったら島を封鎖しなければならぬからな」
「あぁ」
「炭酸水の売上は落ちている。まあ…これは季節的なものだろう。しかし、帝国でも貴婦人達が炭酸水を酒や飲み物に使うようで寒くなってからも一定量の需要がある…出荷は春まで横ばいだな。帝国内で採れる炭酸水の殆どは庶民向けに出されているが、この状況は皇后陛下のおかげだろうな」
タクシスが書類をめくりながら報告を続けるのを、アルヘルムはソファに深く腰掛けじっと聞き入っていた。
「あと、ホケミ粉とオイルサーディンや魚醤等の食品関係は右肩上がりだ。近隣の国で海に面している国がオイルサーディンと同じような物を最近ちらほらと出してきているが、先に名が売れている我が国の物は高級品として貴族層に食い込んでいるからな。そう心配はあるまい」
「そして、クリスタルガラス…。これが破格だ。シャンデリアはもとより、ユシュカ商会達が買い上げていく値段は驚くものがある。いったいいくらで母国で売っているんだろうな」
すでにユシュカ商会達は、数度ズューデン大陸とペルレ島を往復していた。その度に前回より多くのゴブレットやワイングラスを仕入れできるだけ仕入れていく。
帝国向けにはサンキャッチャーやシャンデリアを、輸出用にはグラス類を、国内向けには全ての物を造らせてはいるが如何せん作れる職人の数は限られている。
その為、世に出して日が浅いにも関わらず、すでに数年先まで予約が詰まっている状態だ。無ければ欲しがるのは人の常で、新製品の価格は右肩上がりなのだ。
炭酸水を輸出し始めてから、国の収益の桁が違ってきている事に慣れてきたタクシスでも驚く程の利益なのだ。報告書をばさりとサイドテーブルに置いてタクシスはニヤリと笑った。
「そういう訳だから、ガラスの街の着工だけなら問題はないな」
「だけなら…か…」
「そうだ。今回の皇帝からの頼み事となれば、話は別だ。今まで以上に交易量が増えるのであれば、メーアブルグの街と港の大規模な整備が必要となる。同じく国境までの街道の整備、街道警備隊と王都警備隊の再編成。輸出入に関わる部署の創設…。金と人手と時間がかかる事が目白押しだ」
そう言うと、先程の顔とは打って変わった厳しい表情を浮かべ壁のカップボードから新しいワインの瓶を手にとると、試作のワイングラスをテーブルに並べた。これは少し厚めに作ったグラスにカッティングで模様をつけたものだ。幾何学模様がグラスの下1/3程に施されていて、とても美しく仕上がっている。
カッティング職人達が試行錯誤の最中にいくつもグラスを割り、ガラス職人達と喧嘩しながら作ったグラスは、早々に付けられた暖炉の炎の光を受けてキラキラと輝いていた。
季節を3つ跨いだだけなのに、去年の今頃とは全く違った悩みを抱える事となったアルヘルムは「そうか…」と呟いた。
タクシスはアルヘルムのグラスにワインを注ぐと、軽くグラスを上げてからワインを一口、口に含んだ。今年のワインの出来はいつもと変わらない。それでもグラスが違うとまた味わいも違うのかと、じっくり味わっていた。
「幸いな事に資金なら何とかなる。しかし、人手がどうしても足らん。職人も文官も軍人もだ。かと言って『それ』を貸してくれと帝国に頼るような事は出来ないからな。むしろまだ資金の方が借りやすい…。皮肉だな」
「ああ。だから『準備が整うまで待つ』との言葉だったのだろうな」
「人を育てねばなるまいな」
「うむ」
「そう言えば、ヴェルフが面白い話をしていたぞ」
「うん?」
「アデライーデ様の村の出身の娘で、素晴らしく計算ができる娘を雇ったらしいのだが、その子がそろばんでメーアブルグの役所の計算の確認を一手に引き受けているらしいな」
「ほう…」
「納税の計算を確かめさせていたらしいのだが、正確で早いらしい」
「庶民の…しかも女の子が…か?」
「元王宮の経理課にいたトーマン・ダボアのお墨付きだ。ヴェルフが言うには、他にも計算に長けた子は数人いるらしい」
「そう言えば、王宮の経理でもそろばんが使われていたな」
「ああ、そろばんを入れてから事務処理が早くなったと言われている。メーアブルグのリトルスクールでもそろばんの覚えの早い子は、商家からの引き合いが多くあると聞いたぞ」
タクシスは深くソファに座り直して、暖炉の炎を見ながら呟くように言った。
「なぁ……貴族だけに絞っていては、この好機を逃すこととなる。庶民にも教育を施し実務官として門戸を広げないか?」
「実務官か…」
「ああ」
「お前は、そうしたいのか?」
「……。そうしなければ、やっていけぬと思っている。軍も文官も商人も他国の人間では駄目だ。バルクを愛しバルクと共に発展していく、この国の人間が必要なのだ」
「そうだな…」
アルヘルムの言葉に、パチっと暖炉の薪のはぜる音が応えていた。




