248 謁見と執務室
「陛下は南の大陸…ズューデン大陸と帝国との交易をお望みであるのか?」
しんと静まり返った謁見の間の静寂を、アルヘルムが破った。
「はい。長きに渡った戦も、この夏ようやく諸々の後始末が終わりました。太平の世の幕開けに相応しい希望をこの大陸にもたらしたいと、陛下はお望みでございます」
「………その大役を我が国にか…ありがたき思し召しであるな」
皇帝の娘婿故にか…アルヘルムがそう思ったのを感じ取ったのかヨハンは静かに言葉を続けた。
「皇女アデライーデ様が輿入れされてからのバルク国の目覚ましい発展は、帝国でも人の口に登らない日はございません。皇女様が世に送り出した物も確かに素晴らしいものですが、それを効果的な機会を計り披露させる機微や品の品質を管理するバルク国の…アルヘルム様の手腕に両陛下は甚く感心され、是非アルヘルム様に頼みたいとのことでございます」
アルヘルム様の手腕への評価でございます…そう意味を込めてヨハンは言葉を続けた。
「しかし、何分突然のことでございます。バルク国内での都合もあろうと、両陛下はバルク国の体制が整うまでお返事はお待ちになるとのお言葉です」
皇帝からの直々の打診を、国としても簡単に断る事はできない。
それをわかった上で、下命を携えた使者ではなく表向き帝国との国境近くに街を造る許可を持たせた使者であるヨハンに伝えさせたのは、帝国の気遣いなのであろうとアルヘルムもタクシスも理解していた。
「………ありがたき御下命、バルク国王として承ると皇帝陛下へお伝え願いたい」
「おお…それではお引き受けいただけますか」
「もとより、我が国は皇帝陛下に忠誠を捧げておる。皇帝陛下のお望みとあらば、それを全うするまで身を尽くす所存である」
「アルヘルム様のお言葉、確かにお預かり致しました」
「うむ…」
アルヘルムの言葉を受けヨハンは恭しく膝をつく。
返答を受けた礼をしたあと、ヨハンは微笑みを浮かべた。
「アルヘルム様。皇女様は変わらずお過ごしとお伺いいたしましたが、ご挨拶にお伺いをしてもよろしいでしょうか。皇后陛下よりアデライーデ様への文をお預かり致しております」
「うむ…。では、後ほど案内させよう。まずは長旅の疲れを癒やすが良い」
「ありがたきお言葉にございます」
そのやり取りを聞き、ナッサウが側の侍従に目をやると侍従はヨハンを伴い退出していった。謁見室の扉が閉まるのを確認してからアルヘルムはナッサウに「着替えてから執務室に戻る。執務室に茶の用意を頼む」と告げた。
「お茶でございますか?今年の蜂蜜酒の新酒が届いておりますが…」
「……それを頼む。それと、今日の会議は取りやめだ。皆に伝えておいてくれ」
「御意」
アルヘルムがタクシスを見ると、「後でな」と言って早々に謁見室から出ていこうとしていた。タクシスも礼服を早く脱ぎたくて仕方ないらしい。
皆が出ていった後の謁見室には、花瓶に活けられたユリオプスデージーの花だけが残り微かな薫りを漂わせていた。
「どうする?」
「どうするもこうするも、受けるしかあるまい?舅殿…皇帝陛下からの頼みなのだ」
執務室のソファに座り、黄金色をした新酒の蜂蜜酒をナッサウに注いでもらいながらアルヘルムはタクシスの問いに答えた。
「ヨハン殿はどうしている?」
「ベック伯は客間にてお寛ぎとのことでございます。今は用意した午餐を召し上がれているかと…」
「ナッサウ。今日の見立てはどうだ」
「お若いのに中々の狸…。いや髪の色から賢い狐と言ったところでしょうか。物腰柔らかく帝国からの使いという立場を笠に着ることもせず…。表情も崩しませんでしたな。このご下命はアルヘルム様の手腕故と伝えるべき事はしかとお伝えになり…。流石、現帝国宰相グランドール様の弟君。外交の徒として鍛えられておるのでしょう」
「ふっ…手放しの褒め言葉だな」
「これから、我が国にもあのような者が必要になりますでしょうな」
ナッサウはそう言うと、フイッシュフライのサンドイッチと小エビがたっぷり和えられたマッシュポテトを乗せたカナッペをテーブルに置き、ここでの仕事は終わったとばかりに執務室を出ていった。
ナッサウが出て行ったあと、しばらく黙々と用意されたサンドイッチを二人は口に放り込んでいた。
「アデライーデ様を…。皇女を我が国に輿入れさせたのは、これを見越しての事だったのだろうか」
タクシスの言葉にアルヘルムはしばらく置いて「それもあるだろうな」と答えた。
帝国の皇帝が、愛娘のためだけに輿入れ先を決めるのは考えにくい。貴族の…しかも皇族の結婚は国の利益を最優先に決めるのが当たり前だ。
婚姻の話が出たときには、帝国は長きに渡った戦の終わりが見えていた頃である。それであれば、その後の事を考えての縁組であったと今なら理解できる。
アルヘルムはクリスタルのワイングラスの蜂蜜酒を手に取ると、ぐびりと一気に飲み干した。




