247 書状と伯爵
豊穣祭が終わってから、アルヘルムとタクシスの忙しさは以前より増していっていた。
ペルレ島にそれまで停泊していなかった大型船を持つ商会からも、停泊の申し込みが正式に入ってきたのだ。それはもちろん、ナジーン達のユシュカ商会が取り扱いだしたクリスタルガラスのグラス類を見たからである。しかし、クリスタルガラスの食器類の販売はすでにユシュカ商会らが専売の権利を抑えている。
他の商会は歯噛みして悔しがったが、タクシスの「かの商会達は、小さな港町であった頃からの長いバルクとの付き合いの実績がある」との言葉で、グラス類の取引はやんわりと断られた。だが、そう言われてすんなりと諦めるような商人たちではない。
船旅に危険は付き物で、嵐や海賊の襲撃で一夜にして商会が無くなることも珍しくない。ユシュカ商会も永遠に続くとは限らないのだ。
それならば、その時にユシュカ商会の後釜に収まるべく、これから実績をつくれば良いとばかりにペルレ島への停泊と、今まで西の大国で商ってきた南の大陸の珍しい布や保存の効く干した果物で取引を持ち込みはじめた。
持ち込まれた布や食材は、炭酸水やペルレ島の建設で懐が潤いはじめた貴族達やバルクの大店の商会が購入をしだし、バルクの王都もメーアブルグの港町も、急速に異国情緒が豊かになっていく。
時を見計らったかのように、舅殿… 皇帝から一通の書状がアルヘルムの元に届いた。その書状を携えてやってきたのは、アデライーデが輿入れの際付き添いでやってきたヨハン・ベック伯爵である。
「アルヘルム王に置かれましては、ご健勝のようで何よりでございます。それに皇女アデライーデ様がお輿入れをされてから季節を一巡しないうちに、このような繁栄をもたらす采配に皇帝陛下、皇后陛下も大層感心されお喜びでございました」
久方ぶりの挨拶を終えたあと、謁見の間でヨハン・ベックはその優しげな顔でアルヘルムとタクシスに深々と頭を下げた。
「過分な評価である。我が国の繁栄は皇女…いや、我が正妃アデライーデの助力が大きい。今や正妃はバルク国王家はもとより、バルクの民草にとってかけがえのない宝となっている。無論我が正妃として私にとってもである」
「仲睦まじいご様子をお聞きできて何よりでございます。アデライーデ様からの文にも、輿入れされてからのバルク国での楽しき日々が綴られ、両陛下もそれはそれはお喜びになり御許に嫁がせて良かったと、よく家臣の者にもお言葉にされます」
「……うむ」
アルヘルムは言外にアデライーデは、すでにバルクの人間になったのだから返さぬとヨハンに告げ、ヨハンはそれを受けて肯定したのだ。
宮廷雀の噂とはいえ、アルヘルムは気になっていた心のしこりを解消し顔には出さなかったが安堵していた。
「こちらは、先日タクシス宰相閣下より陛下に奏上された事への書状でございます」
ヨハンの脇に控えていた従者が、書状を載せた銀の盆を恭しくタクシスに差し出すと、タクシスが銀の盆を受け取りアルヘルムに差し出す。
アルヘルムは、帝国の封蝋が押された封書を受け取ると銀のペーパーナイフで封を切る。
アルヘルムが書状にゆっくりと目を通し終わると、ヨハンは恭しくアルヘルムに告げた。
「両陛下は、楽しみな事だとお喜びでございました。また、必要な事は何なりと舅として助力しようとのお言葉でございます」
「……ありがたきお言葉であるな。だが、まずは我が国でできる限りの事をやるつもりである。そして、我が国で手に余ることがある時、是非に皇帝陛下のお力をお借りしたいと伝えて欲しい」
アルヘルムは封書を閉じ目を伏せた。皇帝からの手紙にはヨハンの言葉通り国境にガラスの街を造ることへの許可と期待が込められた言葉が綴られていた。
ありきたりの定型文ではあるが、その行間にはアデライーデへの惜しみない父親としての愛情が溢れていると感じつつ、アルヘルムは封書を丁寧にたたみナッサウの持つ銀の盆に置いた。
陛下に助力を願えば、陛下はどのような事でも願いを叶えてくれるであろう……アデライーデの為に。
しかし、それはアルヘルムの矜持が許さない。舅の力を借りずとも自国の力でガラスの街を造る決意を新たにしたのだ。ヨハンはアルヘルムの決意を感じ取ったのか「承知致しました」と、微笑みを絶やさずに返答した。
そして、ナッサウが書状を王座の脇の小卓に置いた時に、ヨハンが再び口を開いた。
「アルヘルム様、陛下よりアルヘルム様へお言葉をお預かりいたしております」
「……うむ。なんであるか」
「陛下に置かれましては、アルヘルム様が開発されているペルレ島に大変ご興味をもたれ、南の大陸…ズューデン大陸と帝国の交易の窓口になってもらいたいとお望みでございます」
「………」
ヨハンの口から語られた皇帝からの申込みに、その場に一時の静寂が訪れた。




